24 霹靂神に祈りを込めて
ぽつぽつと控えめだった雨足は、ルフの声と共鳴するようにだんだんと強くなる。気が付けば、海辺の方に見えた雨雲は島のすぐ側まで黒い手を伸ばしていた。
これぞまさしく慈雨。
神の名を騙る者に意図的に作られた干魃も、本物の自然には敵わない。
天神の光で干上がった広場はみるみるうちに土を潤し、草木の火種は身を潜める。呼吸するのも苦しいほどの熱波も落ち着き、一気に形勢が傾いた。
『判定:不快。雨が降ったからなんだと云う。豪雨だろうと、暴風だろうと。そんなもの我を殺すには至らぬと知れ』
それがどうしたと言わんばかりの天神。顔のない奴にとって、雨風に対する視界不良や煩わしさは無縁なのだろう。恐らく朝のことも、自ら動きにくい環境に変えた愚か者とでも思っている。
(勝手に油断してくれるなら、それはそれでありがたい!)
雨に濡れて、肩の傷がじくじくと痛む。
最後のひと踏ん張りだと喝を入れ、今再び朝は雷術の準備を始めた。石碑まで目算六間。頭上にはゴロゴロと唸る雨雲が次第に近づいて来るのを感じる。
『ふん……何をするのかは知る由もないが、まさか黙って見逃すとでも思うたか』
「思ってませんけど――!」
血を流しながら尚武器を向ける人間。神を敬う気が欠けらも無いその姿に、天神の苛立ちが増したようだ。それを反映するように、消えかかった火の手が熱を取り戻していく。
『何故に立ち上がる? 何故に神に牙を剥く? 貴様はただの迷い子だろう』
熱によって蒸発した雨が、綿雲のように天神を覆う。ただの蒸気にしては、妙に分厚い白い空間に躊躇いなく飛び込んだ。
「何を今更」
天神の爪から槍を思わせる光が走る。乱反射した輝きが朝の視界を襲うが、なんのその。光に視界を奪われた戦闘は、つい昨日も行った。
固く目を閉じたまま、朝の足は石碑に向かって一直線。攻撃されても、避けることなどまず不可能。
そんな状態で迷いの無い声が通った。
「私は初めに言いました。全ては、友人への恩を返すため!」
『は…………?』
朝の眉間、すぐ手前まで迫っていた光線。瞼の向こうに感じた眩しさは、間の抜けた天神の声が聞こえたと同時に、パッと姿を消した。まるで初めからなかったように、白い絵の具で塗り重ねたように。
耳に入った天神の声は酷く人間臭く滑稽だった。自身の技が霧によって阻まれたせいか、はたまた朝の言い分が理解できなかったせいか。
「朝! そのまま進め! 一回二回くらいなら神の魔法だろうと打ち消してやるから!!」
少し遠くから、粗雑な女の声が聞こえた。朝がこの戦場に立つ意味が、すぐ側で背を押してくれている。
目を閉じる前に脳裏に描いた地図では目的地は目と鼻の先。
『させるものか――ガッ、ギギ……』
ここまで来て漸く危機を感じ取ったのか、焦ったような天神の声。それもすぐに雑音に変わる。代わりに聞こえたのは落ち着いた男の声。
「魔法はセシラ。直接攻撃はオレが止める。お前さんはその一撃に集中しな」
一際高音な熱源を通り過ぎた気配がした。こちらに伸びるなにかの風が髪を揺らすが、ただそれだけ。恐らく、飛び込んできたラシュが角を切り落としたのだろう。
ソルに託され、ルフの力を借り、セシラとラシュが道を切り開いた。
「――焔の血 天を裂く槍 岩をも穿つ雷よ」
朝の声が祈祷を紡ぎ、握る薙刀が雷雲と呼応する。
指先から脊椎に電流が走るような刺激。その道筋をなぞるが如く、今度は自身の気を流す。私はここにいるぞ、と空を覆う大霊に語りかけるように。
全身の血液が細かく爆ぜるような感覚と同時に、カッと目を見開いた。
「落ちろ――――」
振り上げた刃に雷公が集う。空高くに聞こえたのは、雷鳴ではなく獣の遠吠え。引き裂くような、叩き潰すような重圧が、避雷針のように薙刀へ向かう。
やるべき事は変わらない。水を流し、風を撫で、力を受け流す。そして――
「――――雷霆ッ!!」
天より降り立つ霹靂を、大霊を騙る贋作に向けて導いた。
☆
地面にピタリと着いた薙刀を見つめながら、朝の肺は大きく収縮を繰り返す。胸が忙しなく上下するのが視界の端に映るが、その視線の先は粉々になった石の残骸に向けられていた。
目の前で爆ぜた雷鳴のせいで耳鳴りがする。腕を滴る血液がいい加減に武器を下ろせと訴える。肩の熱さと裏腹に、指先は氷水に突っ込んだかと錯覚するほど冷たくなっていく。
霞む意識、歪む視界。自覚をすると急に重さを感じる。崩れる膝を堪えるだけの力は、もう欠片も残っていなかった。
(まずい……意識が…………落ち……)
ゆららと傾く朝の体。雨で泥濘んだ土に飛び込む前、グッと腕を後ろに引かれ何者かに抱きとめられた。
「お前ほんっとに最高!そんで最後まで恩返しって……それはもうこっちのセリフだぜ、朝」
「セシ……ラ? ……天神は……」
呆然と見上げると、滄海を思わせる碧眼が優しくこちらを向いていた。頭に置かれた暖かい手が安心させるように緩やかに髪を撫でる。
「見てみ」
そう促されるままに、先程通り過ぎた天神に視界を移す。
弱々しい弦の突っ張るような音と共に、偽神を形作る光が流れる砂のように崩れていくのが見えた。
『判……定…………徒労……所詮我は天神の数ある影に過ぎず……人間に神を殺すなど……不可能……』
奴は「ざまあみろ」とでも言いたげな言葉を残し、だんだんと空気に溶けていく。むき出しになった金属が時計を急速に回すように風化した。
聞こえているのか分からない天神に向かって、朝は絶え絶えな息に何とか言葉を乗せた。
「それで充分です……私が倒したかったのは、今この護リ人の村にいる貴方なので。本体がどうとか言われても、どうでもいいの一言ですよ」
『…………』
言葉が終わる頃には既に、天神の姿はただの鉄屑に変わり果てていた。この言葉が届いたかは重要では無い。重要なのは天神はもうガルディアルにいないということ。
それはつまり、迷イ人を捕食することも、護リ人に信仰されることもないのだと。そういうことなのだから。
敵の姿が完全に消えたことで、緊張の糸が切れたようだ。朝の瞼が鉛のように重くなり、視界が黒く明度を落としていった。




