22 小さな戦士の導き
今まで、何度も死を覚悟したことはあった。
相手取る者の強大さに足がすくむことも、今すぐにでも逃げ出したいと感じたことはあった。
それでも、今までの怨敵たちはただの人間。武装していようが徒党を組んでいようが、首を斬れば死に至る脆弱なもの。壊し方も殺し方も十分理解できていた。
しかし、今目の前にあるものはなんだ。
神々しく、荘厳で、汚れのない異物。砂も埃も自ら避けて通るのではないかというほどの清廉さ。
そこに同居する生理的嫌悪感。虫、鬼、悪魔、人工物。超常的なものから日常的なものまでを切り貼りしたような様相が、どうにも不安を掻き立てる。
何よりその足元に広がる地獄のような惨状が、「これは人間が敵対していいものではない」と訴えている。
(こんなもの……生命体と呼ぶのは不適切だな…………自然、それも太陽そのものと戦うようなものなんじゃ……)
一度切り刻んだ肉体も軸に沿って元に戻ってしまう。ならばその軸を切り落とそうとしても、音波に似た衝撃が骨髄まで響き到底不可能。
万事休す、為す術なし。挽回の一手を打ち出そうにも、熱波が思考の切り替えの邪魔する。
『選択の時だ、迷い子よ』
風に乗って、聞き惚れるほどの旋律が鼓膜を揺らす。弦の弾くような音は脳内で傲慢な言語へと変換された。
『もはや欺瞞は不要。勇敢に死ぬか、敬虔に糧となるか――さぁ!』
ビリビリと空気を震わせる天の神託。雷術による痺れはとっくに無くなったはずの腕が、未だに小さく痙攣を起こしている。カタカタと悲鳴をあげる奥歯を必死に噛み締め、朝は強く土を踏む。
「選ぶだなんて……笑わせる。実質一択の問答に意味は無し。私の選択は、初めから貴方の命を奪うこと!」
そう言って、振り動かす肩から血が吹き出すのもお構い無しに駆け出す朝。進む事に火が服を焦がし、皮膚や粘膜から水分を奪っていく。
『蛮勇……か』
噛み締めるように小さな声を奏でた天神の間合いに入る。
天神の再生過程において、骨格となる金属は位置形を変えていない。そして、全てが一度崩れた際、奴の弱点の中身に金属部分は見当たらかった。ならば、あとはソルが先程示した通り。
「そう言われようと結構です。勇敢に死ぬのであれば、蛮勇を貫いて生きる。それが私なのだから――!」
狙うは頭上。首の無い胴体の上、王冠のように浮遊する双角。ソルがそれを掴んだ瞬間、全体の神経が妨害されたように敵の動きが鈍くなったのは記憶に新しい。
『判定:笑止』
「笑止はこっちだ馬鹿野郎!!」
焦熱をかき分けて閃電と共に刃が走る。遮るように天神が鷲掴むように手を向けるが、朝の目の前を横切ったなにかと共にその位置はずらされた。
瞬間的に一瞥すると、変化したソルの足ががっちりと天神の腕を掴んでいるのが見えた。彼の翼からは数枚の羽が落ち、地面に落ちて火に包まれる。
「クソあっちぃ……!」
横から聞こえた悪態。朝が反応する間もなく、薙刀は天神の角に刃を入れる。想定通り、雷はなんの障害もなくするりと光の神体を両断した。
『――――――ッ!!』
片方の角が落とされたことで、ピタリと動きが止まり、爆発寸前の袋のように微細な振動を起こす天神。ギチギチとした弦を引きちぎるような言葉にならない雑音が響く。
(弱点らしきものは確実に落とした……これでダメなら本当に打つ手が無くなる…………)
仮に再生するなら核があるだろう、と踏んだ最後の悪足掻きだった。むしろ、それ以外に活路を見出すことが出来なかった故の一撃。
蛮勇だと啖呵をきったものの、あれは己を鼓舞するため。心は既にぐらりぐらりと傾いて、戦闘の高揚感で無視できていた肩の損傷がここぞとばかりに主張する。
朝の目は祈るように、縋るように固まる天神を睨みつけた。
「いや、朝ちゃん…………期待するだけタダだがな、悪いが……これは無理だ……!」
『同じことを二度三度、繰り返したとて代わりはせぬ』
しかし、隣に降り立つ仲間の言葉と、耳を撫でる嘲笑うような弦楽が無慈悲にも朝の希望を打ち砕いた。
「チッ……」
礼節を重んじる朝の口からつい舌打ちが出るほどに、現状を突破する術が見つからない。どう出るべきか、そもそも勝てる道があるのか、死という概念があるのだろうか、と朝の頭がぐるぐると稼働する。
『愚かしいな、人の子。蛮勇さえも我には適わず。我を倒すなどの妄言、天災でも無い限り到底不可能だと知るがいい』
「…………天災」
ふと気になった天神の言葉を反芻した。
当の本人は眉間に皺を寄せる人間を、滑稽だとでも言いたげに切り落とした角を再生している。奴には顔がないのに、その口が子を描いているのが見て取れるようだ。
気圧されるように一歩後ずさる朝。その足は、何故かモフっとした物体にぶつかった。
「ウぅぅぅ〜〜〜〜ガウッ」
「えっ……ルフ?」
「ばっかお前!! まだチビだから留守番してろって言っただろ……!」
足元にいたのは真っ黒い毛玉。森で一番朝に懐いていた狼の子供――ルフだった。
歯茎を出して威嚇する彼女を慌ててソルが抱き抱える。靴を履いていない動物では、今の大地は暑すぎよう。ふわふわの毛先は焦げて縮れ、肉球は火傷したように赤くなっている。
「ウワぅ! グルルルル……アぅぅ」
「なんだよ……何そんなに怒って…………待て、今なんて言った?」
ソルの腕の中で小さな体を暴れさせるルフ。熱さで泣きそうな瞳は、強く何かを訴えるようにある一点に焦点を当てていた。
「ルフ……なんて言ってるの?」
ただの唸り声にしか聞こえないルフの鳴き声も、彼等と共に森に住むソルには理解できるのだろう。
彼は小さな戦士の言葉に耳を貸し、子狼の指し示す方へ視線を動かした。
「石碑……一番、すっごく、嫌な匂いがするって…………あ〜、なぁーるほどぉ〜?」
「石碑?」
何かを掴んだように不敵に笑うソル。疑問に思い、同じく朝の視線も広場の中心、天神の背後に鎮座する小さな石碑へ移行した。
ふと、照明が着くように頭の中が明るくなった。
よくよく思い返してみると、昨日草陰から見た天神は、願いを持った迷イ人に石碑へ触れることを強要していた。彼女の指先が石に接したその時に、奴の光が降り注いだのだ。
「つまり……天神に核があるとすれば、それは頭でも骨でもなく――」
「あの石碑っつーことだ。お手柄だな、ルフ!!」
わしゃわしゃと翼に変化した腕で頭を撫でるソルに、「ふんっ」と満足気に鼻を鳴らすルフ。
「じゃあお前は少し下がってろ」
「キュー…………」
「ダメなものはダメだ、お前が適う相手じゃないの、わかるだろ?」
安全地帯にそっと降ろされたルフが不服そうに尻尾を垂らすが、ソルは頑としてそれを拒絶している。
それもそうだろう。朝やソルでさえ、歯が立たない相手。心臓位置に検討が着いたとて、相手取るものは変わらない。未だ幼い彼女にできることは限られている。
やがて納得したのか、ルフはぺたりと地べたに座り込み項垂れた。とてつもない罪悪感が朝を襲うが、彼女の命には変えられまい。
「さて……石碑ぶっ壊すっつっても、あれが邪魔してくるんじゃどうしようもねーな……」
――と唇を噛む、ソル。不甲斐ないが、朝もその言葉に同意せざる負えなかった。
灼熱の更地にゆらゆらと陽炎のように立つ天神。改めて見ると、護るように石碑の前に居座り、自ら動いて攻めては来ない。
『話は終わりか』
「わざわざ待っててくれた訳? はっ、お優しいことで」
つまらなそうに声をかける天神に、ソルが変わらぬ煽りを投げる。
天神にはその態度もただの虚勢に見えたのだろう。否、ソルからすればもしかすると本当に虚勢だったかも知れない。
自身の威光を振りかざすように天神の周りの光が発熱し、圧が風となって向かって来る。
『我の依代がこの石だとわかったところで何も変わらぬ。先も言ったであろう。人の力で、我は崩せぬと――!』
「――いえ」
突風により髪や服が靡く中、一つの否定が凛と響いた。
朝の頭では数言前の天神の言葉がずっと気にかかっていた。未だ確実に倒せる保証は持ちえないが、彼女の中で僅かに希望が生まれていた。
「人の力では無理だとしても、天災規模なら……可能性はあるのでしょう?」
『……そうだとしてどうする? たかが人間に何ができる?』
確証もなく、どうせ逃げ場もないのなら、今重要なのは相手に屈せぬ気概を持つこと。朝は今まで以上に真剣に、力強く相手を見据える。そして、ダラダラと血を流す腕にムチを打ち、空高く薙刀を掲げこう告げた。
「天災――落としてみせましょう」




