21 起死回生の絶望
「待ってくれ……一度話をまとめさせて欲しい」
セシラの話を黙って聞いていた長が、頭を抱えてポツポツと言葉をこぼした。頭痛を堪えるように頭を抑え、歳のせいで悪い顔色がさらに土色になっていた。
「まとめるも何も簡単な話。お前らの知ってる神話はあの天神が都合のいいように掻い摘んで語った虫食いなんだよ」
そういったセシラは近くの塀に座り込み、弱々しく狼狽える老人を見下ろした。
長の知る神話は「黒炎という異界からの災いを倒すため、八つの神が生まれた。天神はその後継者である」というもの。最後の一言を除き、これ自体は間違っていない。
「ただ本当の話は、その前があるってだけ。――この世界が出来たと同時に生まれた災を倒すため、世界そのものが救援として黒炎を呼び寄せた。しかし彼はその後に世界を蹂躙し始めた――あとは大抵お前の知ってる通りだよ」
「ならば……ならば天神様とは一体何なのだ」
「さぁな。ただ少なくとも、八つの神の後継者なんてものじゃないのは確かだ。八ツ神が生まれたのは、人を黒炎から守るため。人間の感情によって生まれたんだから」
少なくとも、人の願いを我欲によって踏みにじることはしないだろう……というのは、飽くまでセシラの願望であるが。それでも、『歴史の証人』は天神を神だと伝えていない。
今この場において、長の中ではそれだけで十分だろう。
「まぁ? わたしの勝手な予想だと、黒炎が一つだけ殺し損ねた災。それの変異体じゃねぇ? じゃなきゃあの強さは説明がつかない」
「災…………天神様が…………」
自身の信じてきたものが根底から覆され、酷く憔悴している老人。弱肉強食を謳う彼だが、その信念には確かに「世界を護るため」という正義があった。そのために、天神の甘言に惑わされていたのだから。
動悸がするのか、ただただ胸が痛むのか。長はしわくちゃな手を胸に当て、焦点の合わない目を静かに地面に向けていた。
「ならば……ならばなぜ天神様は我々護リ人の元におられるのだ。災だと言うのであれば、あのお方が人間を庇護しようとする理由はいったい…………」
「そもそも、護リ人の後ろ盾になってるってこと自体がお前らの勝手な妄想なんじゃねぇの?」
「なっ……」
言葉につまる長。その様子を気にすることなく、セシラは淡々と非情に言葉を積み重ねる。
「数年前の迷イ人。お前らはきっと覚えてねぇだろうけど、儀式でもないのに天神が出たことがあった」
「いや、あれは儂も覚えている……後にも先にも、天神様が自ずと出てくることはあの日しか無かったからな」
「それは結構。あの人わたし達は迷イ人を帰還させようと魔法を行使したんだ。ソルが作った異界転移の魔法式を使うためにわざわざ大陸まで移動して」
「貴様達……大陸に逃がすだけでは飽き足らず勝手に……!」
「はい黙れー。話は最後まで聞きましょうね、おじいちゃん」
条件反射のように迷イ人を逃がそうとした事実に憤慨する長。迷イ人を捧げるという行為自体、自分達の考えていた正義とは異なると知ってなお、憤る。染み付いた習慣や思想はそう易々と変えられないのだろう。
先程まで塞いでいた窶れた老骨は、今や顔を真っ赤に染めている。青くなったり赤くなったり、健康的で何よりだ、とセシラは内心悪態をついた。
「あの時の神がなぜ出てきたか。答えは簡単――自分の餌が手の届かないところに消えるから。奴の目的は迷イ人を捕食することで力を蓄え、次代の唯一神になることだ」
当時はプロトタイプの検証兼ねた実験だったが、それでもあの迷イ人は元の世界に帰れるという希望に縋り着いた。もっとも、かの実験はデータを出す前に天神に邪魔されたため、何も成果を得られていないのだが。
この時のことをセシラは鮮明に覚えている。
今でこそただの荒地になってはいるが、大地に生えていた草木は皆干上がり、建物は台風の化身でも通ったかと言うほどに粉々に崩れた。
(そういえば、朝を見つけたのもそこだったっけな……)
唯一の幸運は、人目のつかないところの為に人の去ったゴーストタウンを選んでいたことだろう。そうでなければ、そこに住まう人間もろとも消えていた。
忘れることなど決してない。癇癪を起こした子供を思わせる天神の動向に辟易としたと同時に、これを倒さねばならぬと決意した日である。
「だからわたし達はあの偽物を殺す。勿論、家に帰りたいと願う迷イ人のためでもあるが、これは護リ人のためでもあるんだぜ?」
「何?」
「餌を運ぶ道具に、傲慢な神様がいつまでも手を貸してくださるとは思えねぇ。いずれは切り捨てられるのが落ちだってこと」
そう言った、セシラの視線は霧の外に向けられた。
幾度にもわたる閃光。そして絶叫にも似た魔力の波。朝とソルの無事を願うが、ただで殺される天神でもないだろう。
(周りもだんだん静かになってきたな……)
住民と獣達の戦いは疲弊によって下火になりつつある。目の前で力無く座り込む最大の懸念は、ここまで言えば邪魔などしてはこないだろう。
闘志の火が消えた長の目を横目にセシラはスッと立ち上がる。そのまま、家々の屋根を飛び移るように広場の方角へと足を進めた。
☆。.:*
視界が白く染まり、強烈な光が目を焼いた。
何かによって撃ち抜かれた肩からはドクドクと血が流れ、頭が嫌に冷えていくのを感じる。
急いで距離を取ろうと雷術の反動で痺れる手足を叱責するも、四肢は全くいうことを聞かない。
そうこうしている間に、水をかけられた泥のように形を失っていた天神が、再び骨格となる金属に似たものをガタガタと動かし始めた。糸に釣られる操り人形のように、故郷に伝わる餓者髑髏か何かのように。
骨格から剥がれ落ちた光り輝く泥は段々と浮き上がり、形を変える。そのコネ回されるパン生地を思わせる光景はどこか目が離せず、朝の視線は引き寄せられるように天神へと向けられる。
「――朝!」
怒鳴るようなソルの声が聞こえた。同時に、風を切る音と浮遊感。傷を抉るかの如く容赦なく肩にくい込むのは、きっと鳥の形をした彼の爪だろう。
「悪いね、怪我に配慮する余裕はねーですよっと!」
「う、ううん…………ありがとう」
十数尺遠くに降ろされた朝。肩は確かに痛むし、ソルの爪にも血が塗りたくられているが、命には代えられまい。むしろ、痛みが強くなったことで意識が明瞭になった。
顔を上げれば、天神を中心に村の広場が干上がるように湯気を立てている。僅かに生えていた雑草は枯れ萎むどころか火種となり、土はひび割れ荒野のような光景。
「ソル……天神は? この感じ、殺せてないどころか、ちょっとまずい怒らせ方をした……よね」
「怒らせてこそだろ! ……と言いたいとこだが、その通りかもだ。まさか……」
朝とソルの目には、一度は原型を失った天神が時を遡るように同じ形へと戻っていくのが写っている。
しかし、肌で感じる殺意は先程の比にならない。今までのものが耳の横で飛ぶ羽虫に向けるものだとすれば、今のそれは明確な根絶を目的とするほど。
「まさか再生しやがるとは思わないって…………」
頭上から聞こえるソルの声が微かに震える。無理もない。朝とて、全身の産毛が逆立っている。
手を出そうにも本能でわかる。下手に触れればその時点で詰む――と。
先の光線の何倍にも渡る熱量。およそ人が相手取るべきものではない、災害。自然災害が形を持って降臨した絶望感が朝を襲う。
『――判定:回帰。神なるものに、絶命無し』
目の前の驚異とは裏腹に、鼓膜を撫でるのは耳障りな金属音ではなく、弦楽器のような優麗さ。心酔するのも理解できると思ってしまうほどに、滑らかな音色だった。
『死した神など神にあらず。我こそが、この世を統治すべきもの』
耳に入る音と、頭で認識する言葉のチグハグさに目眩がする。
気が付けば、既に天神の肉体は初めと全く同じ。化け物のような姿へと変貌、否、逆行していた。
『今一度、頭を垂れよ――――哀れ弱き人間よ』




