19 魔法が使えない者
辺り一面、霧と共に砂埃が風に舞う。
言葉にならない唸り声。苦悶、恐慌、憤慨の声。それらが森に住む獣のものか、あるいは応戦する護リ人達のものかは定かではないが、様々な絵の具を混ぜたようなドロドロとした狂騒。
きっと、今聞こえた負傷の叫びは、先週野菜を分けてくれた向かいの青年。
次に羽を散らして鳴いたのは、一昨日ソルの小屋で擦り寄ってきた鳶の仲間。
傷つけているのも、傷つけられているのも、ラシュにとってはよく知った友人と呼べる者達。
耳を劈くような断末も、引き裂くような罪悪感も。それらは決して無視できないくらい深く、高く積み重なっている。
(だからと言って――もうオレに引き返すなんて選択肢はねえ……!)
淀んだ沼のような重苦しい音を伴奏に、金属同士の短い音が奏でられる。
剣の重さを必要以上に感じないように、頭に浮かぶ消極的な思考から目を逸らす。
都合のいいことに、怨嗟から引き上げたのは相対する敵の声だった。
「迷イ人を家に返す方法はある――だと?」
白い壁を突き抜けて頬を擦る刃。ちりちりと熱を持つように皮膚を何かが垂れた。
殺さないようになどと悠長なことを言える相手ではない。友人の父親だろうと、村の仲間であろうと、何に恨まれようと。本来自身の全力を持ってしても敵わない存在。
血を拭う暇もなく、ラシュの大剣がゼイルの腹に向かって空気を裂く。
「――そんなもの、この村には一切伝わっていない!!」
鼓膜を破るかの勢いで飛び出した言葉と共に、ラシュの攻撃は難なく防がれる。否、それどころか弾かれた。
(次が来る――!)
よたよたと数歩下がりながら、反撃に備える。案の定、弾かれた拍子に、ゼイルの靴がぐるりと土を抉った。視認と同時に、先程と同じような衝撃が脇腹を襲う。
先と違うのは、何とかラシュの大剣が防御に間に合ったこと。ゼイルの靴底は硬い剣身に当たっている。
それでも伝わる骨を揺らすほどの衝撃。直接受けた時の損傷は計り知れないだろう。
「俺は……後悔して欲しくないんだ。息子にも、セシラちゃんにも、もちろん君にも」
「…………」
一度強く剣を蹴り飛ばし、反動で一歩下がったゼイル。彼の口から絞り出すように心の内が紡がれた。
「長は……セシラちゃんを否定の魔女なんて揶揄しているが、俺からすれば可愛い姪だ。ラシュくん、君だってそう」
「……オレは貴方の血縁じゃないですよ」
「そうじゃない。君は、魔法が使えないと馬鹿にされているが、決して弱くないことを俺は知っている。でなければ、ここまで俺とやり合うなんて不可能だ」
ゼイルの剣が僅かに震えているのが見える。彼の堪えるように力の入った腕。跡がつき、硬くなった傷だらけのそれは、ドラッドの家名を、護リ人の村を、何より世界を護るために足掻いてきた修羅場を物語っている。
「君も、セシラちゃんも、同じ村に住む若者。そんな君たちが、一時の感情に任せて世界を危険にさらすかもしれない賭けをするのを、黙って見ている訳には行かないだろう」
男の声が段々と地に向かう羽のようにゆっくりと静かに、落ち着いていく。自身の記憶には随分遠くに行ってしまった父親を思い出させるような、芯のある柔らかさ。
目の前に立ち尽くすその巨躯は、ラシュの目には初めからただの一人の先達に見えている。そして今、この人は本当に自分達の未来を案じているが故の敵対なのだと、強く胸を打たれたのだ。
しかし――
「…………ソルは?」
「なに?」
「後悔して欲しくないってのはよくわかりました。貴方が、オレ達を認めてくれてることも。その感情は、経験が浅く、親でもないオレたちには抱けないものでしょう」
――彼の言葉を理解したからこそ、その厳しいながらも慈しむ心が、向けられるべきところに向けられているかが気になった。
「けど、ソルはどうなんですか?」
純粋に、真っ直ぐに、セシラやソルのような煽りや嘲りではない単純な疑問。
一度間合いから離れたはずの気配が揺れた。一気に膨れ上がる緊張感を肌で感じる。
「あいつは…………アレはまだ子供なんだ。自分の理想に視線を遮られている。一度痛い目を見ないと分からないんだ」
(…………それはアンタも同じでしょうに)
薄れつつある霧から見えるは、どちらに傾くか分からない天秤のように揺らぐゼイルの視線。
気に食わないと言いたげなその顔が、ソルと本当によく似ている。
言っている内容は真正面からぶつかり合えど、その心持ちを横から見れば大して変わらない親子喧嘩。磁石の同じ極位をひたすらにぶつけ合うような反抗。
今目の前にいるのは、ソルなのかその父親なのか分からなくなるほどに、ラシュの目には似通って見えた。
ソルの母親が呆れ果てるのもよくわかる。
「時に、ゼイルさん。この叛逆まがい、誰が作戦立てたと思います?」
「それ……は…………」
言い淀んだ男。
ここですぐにセシラの名前が出てこないあたり、きっと心のどこかではわかっているのだろう。ただ自身の見ていないところで成長していく息子を、認められないだけで。
「ソルですよ。いっちばん最初の発端はセシラとは言え、肝心の内容は基盤から細部まで全てソルが考えてる」
風の流れで霧が再び互いを遮る時、一歩、強く前踏み込み、大剣を構えた。
「さっき言った、迷イ人を家に返す為の術式だってソルが編み出した。あいつは凄いやつなんです」
深く呼吸をし、低く、静かに言葉を続ける。
目の前の先達を敬うのとは別として、今は親友の味方をさせてもらおう――と。
「いい加減ちゃんと見てやってくださいよ。己の跡を継ぐ者としてではなく、ソルという一人の強者について、対等に」
「…………そんなこと……」
微かな服のズレる音が聞こえる。相手の地雷を踏んだのか、その声は沸騰する前の水のように僅かに揺れている。
「わかっているって言いたいんですか。傍から言わせてもらいますけどね、ソルも貴方も……そっくりですよ。頭ごなしに相手を否定するところとか。本当に……悪いとこばかりよく似てる」
腰を落とし、霧でぼやけるゼイルを見つめる。
あえて、言わなくてもいいことまではっきりと告げると、爆発音のような轟音が鼓膜を叩いた。
「――お前が口を挟むことではないだろう!!」
視界に現れたのは剣先ではなく、ゼイル本人。助走をつけた本気の目。怒りに身を任せた、恐らく彼の持ちうる一番早く、強い一撃。
(これを待ってた――!)
本気だからこそ、ゼイルの挙動が一回、不自然に固まった。
「くそっ……魔法が…………!」
派手な火花を散らす剣と剣のぶつかり合い。
本来ならば相手に分がある真正面攻撃も、僅かな隙がラシュに味方した。
仮に、ゼイルの魔法が万全に使えたのならば、ラシュに勝ち目はなかっただろう。しかし彼は今魔法が使えない。攻撃がトップスピードに乗る前に、ラシュの大剣がそれを阻んだのだ。
(一瞬でも我を忘れれば、必ず魔力を使う……もはや癖みたいなもの……か。どこまでもソルの予想通りだ――!)
例えるなら、腕相撲。それも両手でかかってくる相手に、利き手じゃない片手で対応するようなもの。
方や魔法が無いことへの動揺で力がブレた魔道士。方や魔法に一切頼らない純粋な剣士。
ラシュはせめぎ合う自身の剣に体重を乗せ、一気にそれを振り下ろす。
打ち返されたゼイルの剣。ラシュの目がその一瞬を逃すことは無い。
パッと大剣から離されたラシュの掌が、反動で大きく開けた彼の胴目がけて狙いを定める。
武器を手放した突然の行動に、男の目が見開かれた。
「全部終わったら……ちゃんとソルと話してやってください――――よ!」
ガランと音を立てて大剣が地面に倒れた時、ラシュの掌打がゼイルの腹を、撃ち抜いた。




