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13 ドラッド家の歪み

 乱れる息を整えながら、家のドアに手を伸ばす。

 異常を悟られてはならない。普段通りに、飄々と、淡々と。

 ソルは最後に深く息を吐き、意を決して扉を開けた。


「ただいま〜」


「……あ…………お、お兄ちゃん…………」


 扉を開けた先。返ってきたのは「おかえり」でも「どこ行ってたの」でもなく、陶器の割れる甲高い音だった。

 

 ちょうど開けてすぐのところにいた小さな少女。まん丸の目をこれでもかと見開き、阿呆のように口を開け、何かを持っていたような不自然な手の形のまま固まっている。

 わなわなと震える彼女の足元には、先程落としたのだろう、真っ白い皿が粉々に割れていた。


「ま…………」


「ま?」


 死んだ人間でも見たような顔で呆然とソルを映す少女の瞳。その間の抜けた締まりのない口は、やがて聞いた事のないような音を立てて盛大に息を吸い込んだ。

 

「ママ〜〜〜! お兄ちゃん! 帰ってきた!! お兄ちゃん帰ってきた!!!!」

 

「うわうるさ……そんなに騒ぐ?」


 村全体に聞こえるのではないかと言うほどの大声量。不快感を隠さず顔を歪めたソルだが、これはこれでありがたい。「ソルが家にいる」という事実を周知させることができるのだから。


 バタバタと家の奥へ消えていった少女の代わりに、穏やかそうな女性が現れた。洗剤の匂いと共にエプロンをつけていることから、食事の片付け中だったことが伺える。


「あら帰ったの。そりゃソニアも騒ぎますよ。家を出たきり森に籠るなんて…………毎日心配なんですからね?」


 本当に心配しているのかと疑いたくなるほどあっけらかんとした母親。彼女はふわふわのタオルで手を拭きながら慌てふためくソニアの頭を撫でている。

 

「それはサーセンっした…………で、親父は?」

 

「まだ帰っていませんよ。全く……なんでそんなに仲が悪いのかしら…………」

 

「仲良くなる要素ないからじゃん? 親父には今帰ったこと言うなよな」

 

「はいはい、どうせまたセシラちゃん達となにか企んでるんでしょう?」

 

「どうだろうな〜?」


 ろくに視線を合わせない息子を見た彼女は、呆れ半分、興味無し半分程度の適当な言葉を返した。

 もっとも、愛が無いとかではなく、問いただしても反抗期の息子は答えないと理解しているだけ。いつもの事なので、今更ソルも不満は無い。


 当たり障りのない返事をしながら、ソルはそのまま部屋の中で一番日当たりの良い場所に腰を下ろす。

 たまにはラシュに習って瞑想でもしようかと思っていたが、その目論見は背にのしかかる重みによって邪魔された。


「お兄ちゃん……もうお家に住むことはないの?」

 

「ソニア…………悪いけどないな。あのクソ責任野郎がいる限りない。ありえない」

 

「そっ、か……うん。でもたまには帰ってきてよ……」


 まだ幼い妹に寂しい思いをさせるのは本意ではないが、こうして稀ではあれど帰ってきているだけ見逃して欲しいものだ。

 口を尖らせ、暗い顔をするソニアの頬を抓るソル。ふにふにとした触り心地がなんとも面白い。子狼(ルフ)の腹を撫でている時と同じ感覚に陥った。

 

「気が向いたらな。つかそもそも母さんとソニアが森に来ればいいだろ? 二人なら大歓迎〜〜親父は連れてくんな」

 

「でもソニア森に行くの怖いもん…………」

 

「怖くねぇよ。誰もお前みたいなちんちくりん食わないって」

 

「何その言い方!」

 

「お前食うところ無さそうだもんな〜〜!」

 

「ママ〜お兄ちゃんが悪口言う〜〜!!」


「――ソル」


 ぴゃっと逃げ出したソニア。兄妹揃ってお互いただの軽口、戯れ、冗談の範囲だと認識していただけのやり取り。

 しかし微笑ましい緩んだ空気は、たった一つの低い声によって即座に温度を無くした。


「チッ…………親父……」

 

「家族に心配をかけたと思えば妹を貶すとは……どこまで落ちた」


「おや〜? クソ真面目なお父様よぉ、兄妹間の日常的やりとりをそこまで重く捉えるとは。流石だぜ、堅物」


「…………」


「…………」


 無言の睨み合いが続いた。刹那の時間が極限まで引き伸ばされたような体感。一言でも間違えれば容赦はしないと言わんばかりの威圧。父親が息子に向けるべき視線ではないだろう。

 

「あら、また始まったわ……ソニア。いらっしゃい、クッキーできたのよ」

 

「…………うん」


 先程まで元気よく騒ぎ立てていたソニアも、母親の脚にしがみつき不安そうにこちらを覗いている。母親だけが不気味なほどいつも通りに過ごしている。口出しするだけ無駄だと思われているのだろう。


 怯えたソニアを見たせいか、父の怒気は目に見えて緩んだ。


「はぁ……ソニアが本気で嫌がってないのは見ればわかる。ただし程々にしろと言っているんだ。それに貴様また迷イ――」


「そんなことより。お前こそなんだ? 家族に心配かけてだって? あはは! どの口で? 仕事だ任務だと長の飼い犬みたいに走り回って家を蔑ろにしたのは一体誰ですかねぇ〜? 当時のおれ達がどれだけ心配だったかご存知ない!!」


 父にとっての本題に入らせる前に、ソルは矢継ぎ早に言葉を投げた。話題を逸らすためではあるが、その言葉は間違いなく心からの本音(愚痴)でもある。

 

「あ〜やだやだ。責任塗れで雁字搦め。護リ人ともあろう野郎が守るべき家族のことも見えちゃいねぇ」

 

「父親に向かって今更自己紹介か?」

 

「ばーか、おれは毎日帰ってないだけで定期的に連絡してんだよ。有事の際には直ぐに帰ってますぅ〜」


「連絡など来た試しがないと記憶しているが」

 

「誰がテメーになんぞ連絡するか。母さんとソニアにだけだ自惚れんな」


 仕事モードの父親はともかく、家の中、特に家庭のライフライン(母親)の前では武力に頼ることはしないだろう。という予想の元、言いたい放題のソル。

 

 実際、以前殴り合いの喧嘩になった際には母によって飯を抜きにされた。お互いサバイバルはできるとはいえ、自炊能力が高い訳ではない父親には応えたらしい。ソルはその当時から森に入り浸っているため家出して事なきを得た。

 

「この前流行病でソニアと母さんが熱出した時だっておれがすぐに気がついたから悪化する前に医者に行けたんだぜ? さて、ここでクエスチョン。テメーはどうだった?」

 

「…………」


 肝心の質問に、父は口を噤んだ。無言が何よりの答えである。

 

「クソ野郎が……言い訳のひとつも出ねぇのかよ。正解はこうだ――『長のお世話係が大変で気がついてもいない』」


 多少の罪悪感はあったのかもしれない。父の目は、ここに来て僅かに揺れ動き、母達のいるであろう扉と一瞥した。

 ソルはフッと鼻を鳴らし、そんな行動ひとつに流されるものかと目を逸らす。


「テメェの仕事は村の守護・管理であって介護じゃねぇのにな。親不孝……ああイヤ、家族不孝はどっちだよ」


「……わかっていないなソル。家を守る為には村を守る必要があるんだぞ。そしてその為に最も強大な力()の補佐をするのは巡り巡って必要なこと。世間を知らぬ子供の癖に大口を叩くな」


「あっそ〜? それで守れてるとは到底思えませんけれど〜〜? 浅学な息子からお節介なアドバイスだ。守るってのは外部からだけじゃなくて、内部も重要なんだぜ」


 仕事の話に触れた途端、一度消えかかった火に再び油が注がれた。


 家を守るために村を守り、仕事をまっとうする。

 これだけ聞けば確かに良き父親だろう。


 しかし実際は肝心の家の中身はほったらかし。いくら樹皮が硬くとも、中が腐れば木は折れるのだ。

 ほんの僅かに家の様子を見に帰り、温かな言葉の一つをかけるだけでも、ソルの鬱憤がここまで溜まることはなかっただろう。


「わかった風な口を……仕事の責任もないお前に」

 

「はいはい責任感マシマシ偉いですね〜。仕事熱心なのは結構だがよ。守ると誓ったから築いた家庭だろ。有言実行、してみろよ。それが出来なきゃおれはテメーを一生認めねぇ」


 出すべき膿は全て出し切った。

 ソルは最後に野犬のような目で父を睨み、居間を早足で後にする。

 もう、これ以上父の顔を見ていたくはなかった。


「あ……待ってお兄ちゃん!」


 ちょうど様子が気になったのだろう、扉から覗き込んでいたソニアを無視し、ソルは無言で自室へと進む。


「あのねお父さん……お兄ちゃんは怒ってるけどね……ソニアはお父さん大好きだよ? お兄ちゃんも大好きだけど……だからね……仲直りして欲しいな…………またみんなでご飯食べたいの」

 

「ソニア…………それは、難しいかもしれんな……」


 背後で妹の悲しげな声が聞こえた。

 聞こえないフリをして、ソルはわざと大きく扉を閉める。


「村のために動くことが、結果的に家のためにもなるのだと……何度言ったらわかるのか…………」


 取り残された父親の嘆きが、届くことは決してなかった。



 ☆



 久方ぶりの家族の団欒は、史上最悪レベルの晩餐であった。

 ソニアが早々に母親の隣を陣取ったせいで、ソルの席は自動的に父の隣。気まずくなるなと言うのが無理な話である。


「あのね、あなた達……もう少し美味しそうに食べなさいな。それとも、わたくしの夕飯が不味いとでも言いたいのですか」


「「滅相もございません」」


「ならば親子らしい会話のひとつでもしてみなさい」


「「…………」」


 母の前ではいくら険悪の塊である親子関係も、停戦条約を結ばざるをえない。

 ソルも父も、咀嚼しながら必死に話題を捻り出す。正面からかかる「さっさとなんか話しやがれ」という無言の圧が味覚を鈍らせている気さえした。

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