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第8話:代替要員


 隠居生活は、時として残酷なまでに静かだ。

 宿の縁側に座り、ぬるくなった茶を啜る。

 何もしなくていい。

 誰も死んでいない。

 ふと、庭の隅にある古木の根元で、小さな塊が落ちているのが見えた。


「……落ちましたか」


 ヴェラが、手元の書類から目を上げずに言った。

 巣から雛が落ちたのだ。

 片方の羽が不自然な方向に折れ、地面で身悶えしている。

 気づけば立っていた。

 雛を掌に載せ、その頼りない鼓動を感じる。

 骨が折れている。

 このまま放置すれば、明日には死ぬだろう。


「長引くのが1番タチが悪い」


「…… アーメン」


 俺の口から、吐息のように言葉が零れた。

 瞬間。

 雛の体が淡い光に包まれた。

 パキ、と小さな乾いた音がして、折れていた羽が「あるべき形」へと吸い込まれるように戻る。

 雛は驚いたように瞬きをすると、俺の掌を蹴って、そのまま真っ直ぐ空へと飛び去っていった。

 傷跡どころか、抜けた羽の一本まで整えられた、完璧な飛翔。


「仕方ありません。それが、あなたの『20年』の結果なのですから」


「いや、ただ静かにしただけです。」


 俺は苦笑して縁側に座り直した。

 骨を継ぎ、血を止め、淀みを弾く。

 俺にとって、「アーメン」という言葉は祈りではなくなっていた。

 当たり前の結果を引き出すための「合図」に過ぎない。


「ところでアルヴィン様。王都では今日、精鋭100人を集めた儀式が行われるそうですよ。あなたの代わりを務めるために、国中から神官を掻き集めたとか」


 茶を啜ろうとした手が、わずかに止まった。


「……100人。そんなに集まったんですか。」


「ええ。大司教が、一晩で用意したそうですわ」


「そうですか……。……いたんだな。100人も……。できるかはさておき。」


 俺は、遠い空を見上げた。


 俺がいなくなった瞬間に100人が集まったという事実が、20年間の「ワンオペ」の正体を静かに証明していた。

 ヴェラは何も言わなかった。

 言える言葉が、なかったのだろう。


 王都大聖堂。

「アルヴィン1人の祈りに、我ら100人の祈りが劣るはずなどない! いけ!」

 大司教の号令とともに、100人の精鋭たちが一斉に声を張り上げた。


「「「「「アーメン!!!」」」」」


 100人の声が重なった。

 大聖堂を埋め尽くすような、暴力的なまでの光が溢れる。

 ……だが、その光は濁っていた。

 アルヴィンの放っていた透き通るような輝きとは、似て非なるものだった。

 100人の異なる呼吸、100人の異なる意志。

 誰一人として、「同じ祈り」をしていなかった。

 それらは混ざり合うどころか、互いに激突し、不気味な不協和音となって空間を軋ませた。


「……っ! ぐ、あああああッ!」


 祭壇に横たわる王子の肉体が、祭壇の上ではねる。

 癒やしを求めるはずの祈りが、互いに干渉し合い、逃げ場を失った魔力が体内で暴走していた。

 王子の体はみるみる色が変わっていく。

 パリン、とステンドグラスが割れる。

 1人が出す「祈り」を、100人の「汚れた雑音」で代用できるはずもなかった。

 大司教は理解していなかった。

 最後に、一際高い音がした。

 大聖堂の中央に吊るされた巨大な鐘。

 それが、二度と鳴らぬ鈍い音を立てて、真っ二つに割れた。

 その瞬間王子は不協和音を身にまとい立ち上がった。

 いや、浮いていた。


 王子の口がかすかに動く。

 口と違う場所から声が出ていた。

 遅れて大聖堂の床が腐って異臭を放ちはじめた。


 温泉宿。

 俺は、ヴェラが淹れてくれた二杯目の茶に口をつけようとして、止まった。


「……ヴェラ。茶の葉を変えましたか」


「いえ。同じですが」


 茶碗の中の液体は、先ほどまで透き通っていたはずなのに、今はどこか薄暗く濁っている。


 一口含めば、泥のような、腐った生肉のような、吐き気を催す不快な味が舌を焼いた。


「……。湯が、腐っていますね」


「……アルヴィン様。耳鳴りが止まりませんわ。王都の100人、やはり失敗したようです」


「……音が乱れてる」


 俺は茶碗を置き、静かに立ち上がった。


「ヴェラ。俺はもう、神父ではありません。誰かを助ける義理も、世界を救う使命感も、あそこへ置いてきた」


 俺は、濁った茶碗を見つめた。


「目障りですね」


 俺が求めていたのは、静かな隠居生活だ。

 不快なノイズに邪魔されることのない、透明な時間だ。

 それを、あいつらは最悪な形で汚した。


「……掃除してきます。このままでは、茶も不味くて飲めない」


「同行します」


 ヴェラが即座に立ち上がり、書類を閉じた。


「……いいんですか。あなたまで動く必要は」


「あなたが戻ってくる前に、王都の被害状況と損失試算をまとめておく必要があります。現地を見た方が正確ですので」


 俺は少し考えた。


「……合理的ですね」


「ええ。それと」


 ヴェラは、俺の濁った茶碗を静かに片付けながら言った。


「帰ってきたら、新しい茶を淹れます。今度はちゃんと飲めるように」


 俺たちは、静かな宿を後にした。

 俺の動機は、世界の平和でも、人々への慈悲でもない。

 

 「……この味、嫌いだ」



■ ヴェラの観察ログ


• 【状況】:王都大聖堂における「100名の不協和音」による、対象(王子)の変質を確認。

• 【分析】:質を量で補おうとした結果、魔力が汚染され、対象の肉体を内側から蝕み始めました。

• 【特記事項】:アルヴィン様が「お茶が不味い」という極めて個人的な理由で出動を決定。


不快なノイズの源流を、今から「掃除」しに参ります。


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