第5話:廃業のご挨拶
王都、第一教会。
ここは俺にとって、20年もの間、俺自身の精神と時間を奪い続けた、巨大な搾取の現場でしかなかった。
扉の前には、異変を聞きつけた野次馬と、不甲斐ない怪我人たちが群れをなしている。
ずっとここで待っていたのだろう。
呪いに侵された者、傷口が膿んだ者、毒で倒れた者。
普段なら俺が片っ端から処理していた「案件」たちだ。
その中心で、一際大きな声を張り上げている「肉塊」がいた。
全身から紫色の膿を流し、酷い痒みに身悶えしている男。
痴話喧嘩の果てに勇者に殺されたて、勇者だ。
「おい!神父はどこだ!あの女、この俺様が声をかけてやったのに、こんな呪いをかけやがって!早く治せ!勇者を助けるのは教会の『使命』だろうが!」
俺がヴェラを連れて歩み寄ると、勇者は自分の惨状も忘れ、卑しいニヤけ面でヴェラを見上げた。
「……お、おい。見ねえ顔だな。新しいシスターか?へへ、いい女じゃねえか。おい、お前が俺の呪いを解け。勇者様の意思を優先するのは当然だろ?」
「……アルヴィン様。確認ですが、この生物は何ですか?」
ヴェラが、道端に落ちている汚物を見るような目をした。
「……勇者ですよ。一応。……あと、そちらの方は自分のことを『世界の中心』だと定義している、ただの頭の中がお花畑な個体です」
「理解しました。私が魔王城の周辺に配置しておいた『下級魔女のトラップ』。あれ、知能が一定以下の者にしか反応しない術式なのですが。自ら飛び込んで呪われていた個体に似ています……計算外の不甲斐なさですね」
「あぁ!?なんだお前、俺を誰だと……ぐあああッ!痒い!いいから早く治せ!おい、そこの女!俺の言うことが聞けないのか!」
勇者がヴェラの肩を掴もうと、手を伸ばしてくる。
その瞬間、ヴェラが指先で空中に小さな円を描いた。
「あなた程度が私に触れられるとお思いで?」
「ぎ、ぎゃあああああああッ!?」
勇者の身体が一瞬にして、宙に飛んで1回転した。
野次馬がどっと沸く。
俺は何も言わなかった。
ヴェラは既に懐から手帳を取り出し、何かを書き付けている。
仕事が速い。
そこへ、教会の奥から贅肉を揺らした中年の男が、数人の騎士を連れて血相を変えて飛び出してきた。
この教会の責任者。
俺に20年間の無償奉仕を強いてきた大司教、ボナパルトだ。
丸く肥えた顔は、いつも通り脂でてかっている。
腹の底から怒鳴るのが得意な男だ。
「アルヴィン!貴様、こんなところで何をしている!早く中に入って業務に戻れ!国王様もお前の奇跡を待っておられるのだぞ!それから、その不届きな女は誰だ!勇者様に無礼を働いた罪で即座に投獄しろ!」
俺は、ボナパルトの怒号を無視して、担いでいたずた袋を彼の足元に放り投げた。
転がり出た魔王の首を見て、大司教の顔から一瞬で血の気が引く。
「……ま、魔王……?まさか、アルヴィン、貴様が……?」
周囲がざわめく。
騎士たちが息を呑む。
俺は一歩前に出て、集まった民衆や騎士たちにも聞こえるよう、あえて「神父らしい」穏やかな声で言った。
「ええ、処理してきました。これで魔王の脅威は消えました。……ところで大司教様。あなたはさっきから私に『業務に戻れ』と仰っていますが、たまには御指南いただけますでしょうか?」
「……な、何を言っている」
「ここには呪いに苦しむ勇者様がいます。怪我人も山ほどいる。……愚鈍な私に、偉大なる『神の代弁者』であるあなたのご指導をいただいても?」
野次馬たちがざわつき始める。
「そうだ、大司教様の祈りなら」
「いつもアルヴィン神父を指導していた大司教様なら」
無責任な期待の声が広場を埋めていく。
ボナパルトの顔が、脂汗でテカテカと光り始めた。
「……わ、私にはもっと重要な……教会の運営という大役が……」
「おかしいですね。あなたはいつも『アルヴィンに神の加護を分けてやっているのは私だ』と仰っていたじゃないですか。俺が死ぬ気で回してきた20年間の蘇生や解呪の業務は、全部あなたの『ご指導』のおかげだと、王族にも吹聴していたそうですが」
「げ、現場に立つ必要がないからこそ、私は上にいるのだ!」
ボナパルトの顔がみるみる引き攣っていく。
俺はヴェラに目配せをした。
ヴェラが懐から、教会の公式な勇者たちの『旅の記録』の原本を取り出し、空中に魔力で拡大投影する。整然とした数字の列が、青白い光の中に浮かび上がった。
「ヴェラ、報告をお願いできますか?」
「はい。……過去20年間、この教会で行われた蘇生12万件、重度治癒80万件。その全ての呪文は『アルヴィン・クロス』単独によるものです。ボナパルト大司教による奇跡の発動記録は――0件」
ヴェラは一拍置いた。
間の取り方が上手い。
「こんな書類も出てきましたわ。大司教名義の教会の寄付金を流用した最高級ヴィンテージ酒の購入記録、女性たちに夜の接待を受けられるお店での支出記録が、合計5千件ほど確認できました。金額にして……」
ヴェラが数字を読み上げる。
王都の広場が、凍りついたような静寂に包まれた。
騎士たちが、信じられないという目でボナパルトを見下ろす。
民衆の顔が、困惑から怒りへと変わっていく。
「う、嘘だ!それは捏造だ!アルヴィン、貴様っ……!」
「嘘だと思うなら、今ここでその勇者様の呪いを解いてみてください。初級の解呪魔法で結構です。……あなた、使えるんですよね?」
「バ、バカにしおって!私は大司教だぞ!貴様にできることができないはずがないだろっ!」
ボナパルトは、怒りに顔を赤らめていた。
「……っごほん。この勇者様に神の加護を、アーメン!」
勇者を光が包んでいった。
しかし、ぽわっと霧散する。
勇者の身体からは紫の膿が吹き出し続けていた。
「バ、バカな……神の加護が……!?そんな、ありえん……!」
「ああ、申し訳ありません。私の祈りは長い歳月をかけて高位の神聖魔法になってしまったようです。……それに、長く使いすぎました。もう、私以外では祈りは届きません」
俺は、周囲に聞こえるよう、静かに続けた。
「……あなたは、現場にいなかった。それだけです」
民衆から「詐欺師め!」「俺たちの寄付金を返せ!」という怒号が上がり始める。
ボナパルトの騎士たちが、その場で武器を下ろした。主君に付き従う義理が、もはやないと判断したのだろう。
賢明だ。
俺は、絶望に顔を歪めるボナパルトと、腰を強打してのたうち回る勇者を置いて、教会の巨大な扉を閉ざした。
内側から二度と開かないよう、俺とヴェラの共同作業で物理と魔法の両重封印を施す。
20年間、俺が毎日開け閉めしてきた扉が、最後の音を立てた。
そして、掲示板に貼り紙を叩きつけた。
【蘇生は終了しました。死んだら自己責任です】
「アーメン」一言で片付いていた、都合のいい世界は、俺のワンオペで回っていました。
本日をもちまして、全教会の神父業務を終了いたします。
【追伸】
魔王は先ほど俺が処理しておきました。もう世界は平和ですので、安心して暮らしてください。
今後は「不甲斐ない死に方」をしても誰も蘇生してくれませんし、治療もしません。
自業自得の呪いも含め、ご自身の能力と相談しながら、せいぜい健康第一で自己責任で生きてください。
アルヴィン・クロス 拝
「アルヴィン!開けろ!助けてくれ!民衆が……民衆の目が怖いんだ! 頼むから中に……!」
扉を叩くボナパルトの悲鳴は、封印の向こうで段々と小さくなっていく。
俺は振り返らなかった。
「お疲れ様でした、アルヴィン様。……私の計算では、彼はその地位を完全に失いますわ。ついでに王族からの横領調査も入るよう、裏で書類を回しておきました」
「……仕事が速いですね」
「当然です。これくらい、朝食前に済ませられなければ」
俺は思わず、小さく笑った。
笑ったのが、いつ以来か思い出せなかった。
「行きましょう。……邪魔の入らない秘湯を探しに」
「既にリストアップしてあります。泉質、周辺の治安、食事の質、すべて評価済みです。第一候補は東の山奥、地図に載っていない温泉地。魔力感知から遮断された地形で、追跡はほぼ不可能」
「……。やはり、採用して正解でしたね。……契約期間は、未定ですが」
「ええ。私もそう思っています」
空間転移の光に消える直前、俺の指先がわずかに震えた。
……止まらなかった。
何に対してなのかは、自分でも分からない。
祈る必要は、もうどこにもないはずなのに。
それでも指は、祈りの形を作ろうとしていた。
俺はその手を強く握り込み、光の中に消えた。
その日、王都で「祈りが届かなかった」という報告が、初めて記録された。
■ ヴェラの観測ログ
【状況】:蘇生・解呪インフラの全停止を確認。
【分析】:後任の出力不足により、滞留する「不甲斐ない肉塊」の処理は物理的に不可能。
【所感】:アルヴィン様が貼り出した「自己責任」の文字。それは20年間、彼に全コストを押し付けてきた世界への、あまりにも正当な請求書です。
次の目的地:東の秘湯。
これより、障害の排除を開始します。
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