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第3話:最終受付

 玉座の間に、不快な焼結臭が漂う。

 黄金色に輝く聖剣を携え、鳴り物入りで突入してきた勇者は、挨拶代わりの「ファイヤーボール」で文字通り黒焦げの肉塊と化していた。

 背後に控えていた女たち、魔法使いと僧侶らしき二人が、喉を鳴らして硬直している。

 部屋の隅では、ずた袋に収まった魔王の首が、静かに床の上に置かれていた。


「……はい、アーメン」


 俺が指を鳴らすと、光の粒子が消し炭に吸い込まれ、一瞬で勇者の肉体が復元される。

 20年間、何万回と繰り返してきた呪文だ。

 眩い光も、肉体が再構成される湿った音も、もはや俺の心を動かさない。

 跳ね起きた勇者は、自分の体を狂ったように触り、それから俺を睨みつけた。


「……がはっ、げほっ! な……何を、しやがったクソ神父! 今、俺を殺したのか!?」


「蘇生です。お疲れ様でした。受付時間は終了しましたので、お引き取りを」


「お引き取りだぁ!? ふざけるな、俺は魔王を倒しに――」


 そこで勇者は、俺の足元に転がっている「それ」に気づいた。

 首を失い、どす黒い血を流して沈黙している巨大な骸。

 勇者は引きつった笑顔を浮かべ、震える指でそれを指差した。


「……おい。なんだ、その体。まさか、それが……魔王、なのか?」


「ええ。魔王だったものですね」


「……は? お前が、倒した……? 嘘だろ。ありえない。神父ごときが魔王を倒すなんて……そんなの、明らかな越権行為だぞ!」


 勇者が一歩踏み出し、俺の胸ぐらを掴もうとした。

 その顔は、正義感ではなく、自分の『手柄』と『物語』を盗まれたことへの、醜い怒りに歪んでいる。


「魔王を倒すのは俺の役割だ! 俺が伝説になるための、最高に『映える』瞬間のために、何ヶ月修行したと思ってるんだ! 神父はサポートモブだろ!ルールも知らないのか!」


 ……ああ、やっぱり。

 この20年、こいつらの「不手際」を尻拭いし、マヌケな死を無かったことにしてきた俺に対し、最初に出る言葉が「自分の手柄」の話か。

 この男は今、魔王の亡骸の前に立っている。

 世界を震わせた存在の骸が、足元に転がっている。

 それでも目に映っているのは「自分の伝説」だけだ。

(……本当に、辞めて正解だった)

 俺の中で、何かが完全に閉じた。


「……そういえば。お節介ですが、その聖剣」


 俺は、勇者が縋るように握っている黄金の剣を指差した。


「それ、レプリカですよ」


「……え?」


「魔王が、自分に辿り着くまでの勇者の力を削ぐために、わざと拾わせた粗悪な代物です。本物の聖剣より攻撃力がかなり落ちてる。……いえ、勇者様なら当然、手にした瞬間に気づいておられましたよね? 」


 勇者は、自分のアイデンティティそのものだった剣を見つめた。

 黄金の輝きは変わらない。

 だが今や、その光がひどく空虚に見える。

 プライド、特権意識、そして『自分が主役である』という幻想。

 それらが、俺の事務的な宣告によって、音を立てて崩壊していく。


「あ、あ……あぁ……」


「ファイヤーボール」


「ぎ、あぁぁぁぁぁぁッ!?」


 2回目。

 言い終わる前に放つ。

 勇者は今度は頭部を焼かれ、内臓が沸騰する間もなく絶命した。


「……はい、アーメン」


 勇者は起き上がろうとして、失敗した。

 身体は治っているはずなのに、動かし方を忘れたように。

 黄金の聖剣も音もなく折れた。

 床に這いつくばり、涙と鼻水にまみれて、ただ「ごめんなさい、ごめんなさい」と虚空に向かって呟く壊れた人形になっていた。

 私は、その背中を無感情に見下ろした。

 かつて、この光景を見て何かを感じる自分がいたかもしれない。

 憐れみか、怒りか、あるいは悲しみか。

 だが今の俺には、何もなかった。

「……今までは、あなたが優秀だから死ななかったわけではない。俺が勝手に助けていただけですよ。勘違いしないでください」

 俺は、戦意を喪失した「不甲斐ない肉塊」を静かに跨ぎ、玉座の間を後にした。

 背後で女たちが泣き叫んでいる。

 勇者がまだ何かを呟いている。

 だが、それはもはや、遠くで鳴るパイプオルガンの音色よりも価値のないノイズだった。


 廊下を歩きながら、俺はずた袋の重さを確かめた。

 魔王の首。

 これを国に持ち帰れば、形式的な「魔王討伐の証明」になる。

 別に持ち帰る義理はないが、これがあれば「蘇生業務の再開」を迫る口実の一つが消える。

 魔王がいなくなったなら、もう神父は要らない。

 城の廊下は、思いのほか静かだった。

 魔王が倒されたことを、城内の魔族たちはまだ知らないのだろう。

 遠くで誰かの足音が聞こえる。

 巡回の兵士か、あるいは使い走りの下級魔族か。

 俺はそれらとすれ違うことなく、壁沿いに歩いた。

 戦う気もなければ、逃げる気もない。

 ただ、余計な処理を増やしたくないだけだ。

 廊下の窓から、魔王城の外が見えた。

 荒涼とした大地。

 枯れた木々。

 灰色の空。

 この景色を、あの勇者たちは「ラスボスの城っぽくて映える」と言いながら、日記や手紙に書き記していた。

 冒険譚の舞台装置として消費していた。

 だが、実際にここで生活している者たちにとっては、ただの「職場」だ。

 魔王も、ヴェラも、名も知らぬ下級魔族たちも、毎日ここで働いていた。

 世界を滅ぼすためではなく、ただ仕事として。

 (……俺とそう変わらないな)

 そう思ってから、俺はその感傷をすぐに頭の隅に押しやった。

 城内を歩くうち、俺はあの執務室のことを思い出した。

 書類の山。

 整然と配置されたトラップの配置図。

 そして、あの眼鏡の女。

 ヴェラ。

 魔王軍の幹部として誰よりも「現場」を回していた人間。

 蔑んだのは事実だが、少なくとも彼女は「仕事」が見えていた。

 この城の中で、まともに仕事をしていたのは、おそらく彼女だけだ。

(魔王軍が解体されれば、あの人も職を失うわけか。……あの規模の業務を一人で回していた人間が、路頭に迷うのは非効率だ。)

 俺は少し考えた。

 温泉地での隠居生活に、「有能な同僚」は必要ない。

 だが、これから始まる「廃業後の後処理」教会の封鎖、蘇生禁止の通達、国や神からの督促の撃退には、計算の速い人間が一人いると効率が上がる。

 感情ではなく、合理性の話だ。


「……寄り道しましょうか。業務外対応ですが」


 俺は、ヴェラの執務室の座標を思い出しながら、静かに空間転移を唱えた。

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