第2話:業務改善
視界が暗転から明転へ切り替わる。
だが、そこは想定していた禍々しい玉座の間ではなかった。
「……おや。少し座標がズレましたか。やはり城内が複雑で計算の邪魔をしているな」
着地したのは、無機質な石壁に囲まれた、書類の山で埋め尽くされた部屋だった。
積み上げられた羊皮紙。
そして、その山に埋もれるようにして猛烈な勢いでペンを走らせている一人の女がいた。
漆黒の角、知性を湛えた眼鏡。
魔王軍の幹部、事務方や兵站を仕切っているヴェラだ。
「……えっ?」
場違いな神父の登場に、ヴェラがペンを止める。
俺は彼女の驚愕を余所に、机の上に広げられた『モンスター配置図』と『勇者迎撃ルート』の書類を覗き込んだ。
「……ほう。このトラップの配置、素晴らしい。この道に高レベルのスケルトンを配置し、逃げ場を失ったところに毒ガス。非常に合理的で、無駄がない。おかげで、俺の元には毎日あなたの作った『肉塊』が山積みになって届くわけですが」
「き、貴様……何者だ。なぜ執務室に……」
「ただの通りすがりの神父ですよ。元凶(魔王)を消しに寄らせてもらいました。あなたも、この仕事量に嫌気がさしているようですし」
俺が淡々と述べると、ヴェラは一瞬ポカンとした後、その眼鏡の奥の瞳を鋭く細めた。
「……は? 今、なんと言いました? あなたが魔王様を消しに行く? 冗談はやめてください、笑えもしない。そんなの無理に決まってるでしょう。身の程を知りなさいな」
ヴェラは手元のペンを弄びながら、冷え切った視線を俺に投げつけた。
「そもそも、あなたは勇者ですらない。聖剣の一本も持たず、ただ奇跡に縋って死体を弄るだけの、薄汚れた神父じゃない。そんな『仕組み』風情が、魔王様に挑むなどと……。滑稽すぎて、計算が狂いますわ」
俺は一度、ふーっと長く息を吐いた。
怒りすら湧かない。
これまでの20年間、何度こうした「立場」や「格」の話を聞かされてきただろうか。
「勇者なんていう『不安定な人たち』に任せるから、いつまで経ってもこの仕事が片付かないんですよ。……現場の熟練度を、舐めないでほしいですね」
俺はそれだけ言い残し、呆然とするヴェラを置き去りにして、今度こそ正確な座標玉座の間へと、空間転移を唱えた。
漆黒の玉座の間。
そこには、確かな「重さ」があった。
天井は遥か高く、左右に並ぶ石柱は人間の城のそれとは比べ物にならないほど太い。
壁面に刻まれた魔族の紋章は、悠久の時をかけて磨き上げられたものだ。
玉座へと続く長い階段には、整然と配置された松明が低く燃えている。荘厳と呼ぶほかない空間だった。
そして玉座に座る魔王は、その空間に相応しい存在感を放っていた。
漆黒の鎧に身を包み、禍々しい双角を光らせ、巨大な大扉をただ一点に見据えている。
頬杖をつくその姿に、油断はない。
長年の戦いで鍛えられた者だけが持つ、静かで確かな威圧感。
あの大扉を蹴破って現れる勇者との最終決戦を、何年も、何十年も待ち続けてきた王者の風格がそこにはあった。
魔王は強い。
しかし俺からすれば「仕事終わり間際に面倒な要求を発生させる、最大の不具合」でしかなかった。
「……ふむ。やっぱり、近くの岩の教会からでも遠すぎますね、ここ」
俺は、魔王のすぐ斜め後ろに降り立ち、手元のメモ帳にペンを走らせながら独り言を漏らした。
「……っ!?」
魔王の身体が、まるで椅子に針でも仕込まれていたかのように跳ね上がった。
椅子から転げ落ちんばかりの勢いで振り返る。
その動作は迅速で、さすがに卓越した武人の反応だった。
だが、振り返った先にいたのが「薄汚れた神父」である以上、威圧感の持っていきどころがない。
ひどい隈を浮かべた私の目を見て、魔王は低く喉を震わせた。
「貴様……いつから、そこに……!?」
「今しがたです。1番近くの岩の教会には毎日のようにくるのに、ここまでくるとなるとやはり面倒ですね。生活しにくくないですか?」
俺は魔王の驚愕を無視し、天井を見上げた。
「掃除も行き届いていない。魔力の淀みがひどいな。これでは治癒術の成功率が数パーセント下がってしまう。……もっとも、もう俺には関係のないことですが」
「……正門の守護者たちはどうした。結界はどうした」
魔王の声には、混乱の中にも威厳があった。
これが「ちゃんとした魔王」か、と俺は場違いなことを思った。
「ああ、あの大扉のことですか? あんな面倒な場所、通るわけないでしょう。座標を特定して直接ここへ空間転移すれば済む話です。結界? そんなものあったんですね。気が付かず申し訳ないです」
「……空間転移で、私の魔力障壁をつき抜けただと?」
魔王の目が、初めて別の色を帯びた。
驚愕ではなく、純粋な「値踏み」だ。
使い慣れた武人が相手の力量を測るときの目。
俺はその目を何度か勇者たちの中に見たことがある。
もっとも、彼らの場合はすぐ「俺の方が強い」という結論に飛びついたが。
「貴様が神父だというのは、本当か」
「本当ですよ。もう辞めましたが」
「勇者は……勇者はどこにいる!」
「扉の向こうですよ。俺が内側から《カギ》をかけておきました。今ごろは必死に扉を叩いているんじゃないですか?不甲斐ない肉塊たちが」
魔王の眉が、かすかに動いた。
「……神父が勇者を閉め出し、単独で乗り込んできた。そういうことか」
「ええ。それで、本題なのですが、魔王様」
「本題……だと?」
「本日、俺は仕事を辞めてきました。休暇を消化し、静かな温泉地で隠居するつもりです。……ですが、このままでは俺の『休み』が邪魔される」
「何を、言っている……」
「あなたが生きている限り、あの不甲斐ない肉塊どもは死に続け、神は俺に『現場に戻れ』と督促を送ってくる可能性がある。……それが、俺の休日にとって最大の邪魔なんです」
俺は初めて、魔王を正面から見た。
憎しみはない。
恐れもない。
ただ、目の前に積まれた大量の「蘇生待ち」を片付けるときのような、乾いた義務感だけを瞳に宿して。
「というわけで、業務改善です。仕事の元凶であるあなたを、今ここで消去します。もう嫌気がさしたので」
魔王は、しばらく黙っていた。
そして静かに立ち上がった。
鎧が低く鳴る。
玉座の間の空気が変わる。
重い、本物の魔力が膨張していく。
これは見せかけではない。
長年、世界を相手に戦い続けてきた者の、本気の圧だ。
「……神父よ。貴様の度胸は認めよう」
魔王の声が、石壁に反響した。
「だが、これが私の全力だ。受けてみせろ」
「……ふざけるなッ!!」
咆哮とともに、玉座の間を消し飛ばさんばかりの暗黒魔法が解き放たれた。
空間そのものが軋む。
壁の紋章が悲鳴を上げるように光を失う。
触れたものすべてを腐敗させ、存在を削り取る、魔王の本気の一撃だった。
だが、俺は眉一つ動かさない。
「その呪文、甘いですよ」
パチン、と指を鳴らす。
たったそれだけで、魔王の魔力は霧散した。
20年、何十万回と繰り返した《浄化》の術式だ。
魔王の呪いだろうが、暗黒魔法だろうが、俺にとっては「少ししつこい油汚れ」程度の認識でしかない。
「……な、に……!?」
魔王の目から、初めて「値踏み」が消えた。
「消したわけではありません。浄化しただけです。……さあ、サクサク行きましょう。俺は早く、風呂に入りたいんで」
「待て」
魔王の声は、もう咆哮ではなかった。
静かで、しかし確かな重みがあった。
「貴様は……本当に、神父なのか。20年間、ただ蘇生と治癒だけで……その域に至ったというのか」
「ええ。あと分刻みの世界各地への転移魔法です」
「……そうか。それが、20年という歳月か」
「お気の毒ですが、受付時間は終了しました」
「ファイヤーボール」
勇者たちが何ヶ月もかけて辿り着き、死闘の末にようやく削り切るはずの魔王の命を、俺は「片付け作業」のように刈り取った。
崩れ落ちる亡骸を見下ろしながら、俺はずた袋を取り出した。
その首を無造作に放り込み、口を縛る。
その時、玉座への大きな重い扉が開いて、勇者パーティーが飛び込んできた。
あの黄金色に輝く聖剣を携えて。
「はい、次の方」
「……ん!?お、お前は……!?」
「……。ファイヤーボール」
出会い頭に俺は唱えた。
◾️本日21時クソ勇者への『殺す・蘇生』ループ解禁
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