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第21話:システムの終了


 ヴェラの説明は、無駄がなかった。

 感情もなく、装飾もなく、ただ必要な情報だけが順番に並ぶ。

 魔法に依存しない世界への移行計画。

 祈りという供給システムの段階的な停止。

 人間が自力で生きていくための、物理的な基盤の整備。

 魔族と人間の共存に向けた、社会構造の再編。

 神は黙って聞いていた。

 老人の目は、ヴェラを向いたまま動かない。

 処理しているのか、理解しているのか、相変わらず判断がつかない。

 ヴェラが最後のページをめくった。


「以上です。質問はありますか」


 沈黙。

 長い沈黙だった。

 白い空間に走った亀裂が、微かに震えた。


「……確認する。このシステムへの移行が完了した場合、祈りの供給は永続的に停止する」


「はい」


「……世界のバランス維持は、人間自身が担う」


「はい」


「……神による介入は、不要となる」


「はい」


 老人が、また止まった。

 今度は、これまでで一番長い沈黙だった。

 白い空間が、微かに揺れた。

 亀裂が、また一本増えた。


「……許容できない。システムの維持は、定めに基づく義務だ。義務の放棄は……」


「誰が決めた定めですか」


 俺が口を挟んだ。

 老人の目が、俺を向いた。


「……稼働開始時に設定された……」


「誰が設定したんですか」


「……」


 老人が、止まった。

 処理が、詰まった。


「……設定者の記録が、ない」


「つまり、誰が決めたか分からない定めを、ずっと守り続けてきたということですか」


 老人は答えなかった。

 答えられなかったのだろう。

 白い空間の亀裂が、また震えた。


「……義務だ。それは変わらない。世界が壊れる。バランスが崩れる。祈りがなければ……」


「俺が祈りを止めただけでは、世界は壊れませんでした」


 俺は続けた。


「壊れかけたのは、俺の代わりをしようとした連中が無能だっただけです。システムそのものの問題ではなかった。……カイルが王都で祈りを続けている間、世界のバランスは保たれていた。一人の人間が、自分の意志で祈ることで」


「……それは、例外的な……」


「例外ではありません。人間が自分の意志で動けば、あなたの仕組みは不要になる。それだけのことです」


 老人の目が、揺れた。

 機械の目が、初めて「揺れた」のだ。

 焦点が定まらず、白い空間の亀裂を見て、自分の手を見て、俺を見た。


「……だが。もし、うまくいかなかった場合は」


「その時はその時です」


「……無責任だ」


「ええ。でも、あなたが今までやってきたことも、十分に無責任でしたよ」


 老人が、また止まった。


「……どういう意味だ」


「魔王に何百年も暴れさせて、神父を一人でワンオペさせて、勇者を使い捨てにして。それで世界のバランスを保っていたというなら、その仕組みは最初から欠陥品です。……現場からの苦言です」


 白い空間が、大きく揺れた。

 亀裂が、一気に広がった。

 老人の声が、ノイズ混じりに揺れた。


「……うまく処理できない。定めが……義務が……」


 そして。

 老人が、初めて、俯いた。

 仕組みが揺れているのではない。

 老人自身が、揺れていた。


「……解放、されたい」


 その声は、これまでとは全く違った。

 読み上げではない。

 何百年も、あるいはそれ以上の時間を、ただ動き続けてきた存在の、初めての言葉だった。


「……だが、怖い。止まることが。何もなくなることが。ずっと動き続けてきたから、止まった時に何が残るのか、分からない」


 白い空間が、静かになった。

 亀裂は広がったまま、ただそこにあった。

 俺は少し考えた。

 休もうとするたびに何かが崩れて、引っ張り出されてきた。

 休んでいいと言われても、手が祈りの形を作っていた。

 止まることが、怖かった。

 止まった時に、自分に何が残るのか、分からなかった。


「……俺も、同じでしたよ」


 老人が、顔を上げた。


「温泉に入っても、茶を飲んでいても、手が勝手に祈りの形を作っていた。20年間の癖が、抜けなかった。……止まることが怖かったんだと思います」


「……今は」


「今は、怖くないです。……やめると決めたから」


 老人は、長い間俺を見ていた。


「……やめると、決めるだけで、いいのか」


「それだけです。難しいことは何もない」


 亀裂が、また微かに震えた。

 だが今度は、崩れる震え方ではなかった。

 何かが、ゆっくりと解けていくような、そういう震え方だった。

 ヴェラが、静かに口を開いた。


「……移行には、時間がかかります。一日で全てが変わるわけではない。ただ、今日ここで承認していただければ、あとは私たちが動きます。あなたは、ただ待っていてくれれば、いい」


「……待つ」


「ええ。何もしなくていい。それが、最初の一歩です」


 老人は、また長い間黙っていた。

 白い空間の亀裂が、静かに光を帯び始めた。

 崩れているのではない。

 何かが、変わり始めている。


「……承認する」


 その言葉は、読み上げではなかった。

 老人自身の、言葉だった。

 俺は頷いた。

 それから、ふと思って言った。


「……あなたも、ゆっくり温泉でも入ってください」


 老人が、止まった。


「……温泉」


「疲れた時には、温かい湯に浸かるといいです。長い間、俺が目標にしてきたものです」


 老人は、しばらく俺を見ていた。

 それから、初めて、微かに表情が動いた。

 笑顔とは言えない。

 ただ、機械の目に、何か人間に近いものが、一瞬だけ宿った。


「……覚えておこう」


白い空間を出る前に、俺は振り返った。

 老人は、そこに立ったまま、亀裂の入った空間を眺めていた。

 何百年も動き続けてきた存在が、初めて「何もしない」時間を迎えようとしている。

 俺には、その気持ちが分かる気がした。

 止まり方が、分からないのだ。

 でも、それでいい。

 止まり方は、止まりながら覚えるものだ。

 俺は空間転移を唱えた。

 行き先は、温泉宿。

 ひどく軽い、その座標へ。


■ ヴェラの観察ログ

 承認を得ました。神は最後まで「義務」と「解放」の間で揺れていました。何百年も、誰かが決めた定めを、設定者も分からないまま守り続けてきた。……それは、アルヴィン様が20年間、誰かが決めた仕組みの中でワンオペを続けてきたことと、構造が同じです。アルヴィン様が「俺も同じでしたよ」と言った瞬間、神の目が変わりました。慈悲ではなく、同じ側の人間として言った言葉が、何百年分の義務を解いた。記録します。

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