第19話:座標の開示
3日が経過していた。
ジュリアンが神官たちを集めるのに、2日かかった。
王都はまだ煤の残滓が残っていて、散り散りになっていた神官たちを1人ずつ探し出す作業は、思ったより手間がかかったらしい。
その間、俺は宿に戻り、温泉に入り、茶を飲んだ。
やるべきことをやる前に、やれることをやっておく。
ヴェラは王都の現状調査をまとめていた。
神官が何人残っているか、魔力の残滓はどこまで浄化されているか、住民の流出はどの程度か。
誰に頼まれたわけでもないが、彼女はそういう人間だ。
必要になる前に、必要なものを用意している。
3日目の朝。
ジュリアンから連絡が来た。
「集まりました」と、それだけだった。
大聖堂の中は、静かだった。
塔が消え、正面壁が消え、広場が半分消えた外とは対照的に、内側だけがかろうじて原形を保っていた。
石畳の上に、神官たちが集まっていた。
ジュリアンが3日かけて集めた者たちだ。
20人にも満たない。
かつて100人を集めた大司教の儀式とは比べ物にならない規模だ。
だが、この人数でいい。
あの時と違って、今日集まった者たちの目には、濁りがない。
神に依存するための祈りではなく、自分の意志でここに立っている者の目だ。
俺は祭壇の前に立った。
「……説明します」
神官たちが俺を見た。
「俺を依代にして、祈りを束ねてください。行き先は神です。いつも通り祈るだけでいい。ただし、いつもより強く、一点に向けて」
「……それだけですか」
1人が聞いた。
まだ若い神官だ。
声が少し震えていた。
「それだけです。難しいことは俺がやります」
「……あなたが、あの神父様ですか。王都を一人で支えていた」
「元神父です。今は隠居中です」
神官たちが顔を見合わせた。
それから、静かに頷いた。
誰も余計なことを言わなかった。
俺は目を閉じた。
20年間、何十万回と繰り返してきた動作の逆をやる。
いつもは神の魔力を借りて、世界に向けて流していた。
今日は、世界から集めて、神に向けて押し返す。
やったことのない方向だ。
だが、川の流れを逆にするだけの話だ。
流れを読む精度は、20年分ある。
「アーメン」
神官たちの声が重なった。
20人分の、意志を持った流れが、俺の中に流れ込んでくる。
神の魔力ではない。
人間の、純粋な祈りだ。
それぞれの色がある。
それぞれの重さがある。
俺はそれを受け止めながら、一本の流れに整えていく。
20年間、何十万回と繰り返してきた整流の作業だ。
ただ今日は、方向が違う。
最初は静かだった。
だが、少しずつ、大聖堂の空気が変わり始めた。
天井の石が、微かに震える。
足元の石畳が、光を帯び始める。
神官の一人が、息を呑む声が聞こえた。
俺の意識の中に、何かが浮かび上がってくる。
地図ではない。
座標でもない。
ただ、「そこにある」という確信だ。
20年間、空間転移を使い続けてきた俺には、分かる。
行き先の「重さ」が、感触として伝わってくる。
重い。
ひどく重い。
世界の全ての祈りを受け止め続けてきた場所の重さだ。
どれだけの時間、どれだけの人間が祈りを捧げ続けてきたのか。
その全てが、一点に積み重なっている。
俺が20年間感じてきた疲労など、比べ物にならないほどの重さだ。
(……あった)
俺は目を開けた。
「終わりです。……座標、取れました」
神官たちの祈りが止まった。
大聖堂が、静寂に戻った。
神官の一人が、膝から崩れ落ちた。
20人分の祈りを束ねる作業は、俺が思っていたより彼らの消耗が大きかったらしい。
「……大丈夫ですか」
ジュリアンが駆け寄る。
「……はい。ただ、少し」
「休んでください。今日の仕事はここまでです」
俺はジュリアンに告げた。
「……取れたんですか。本当に」
「ええ。空間転移で行けます」
「……神の座標を、空間転移で」
「行き先の重さが分かれば、転移できます。20年間の癖です」
ジュリアンは何も言わなかった。
ただ、目を閉じて、小さく息を吐いた。
それ以上、何も聞かなかった。
聞いても意味がないと判断したのか、あるいは聞くべき言葉が見つからなかったのか。
どちらでもいい。
「……ジュリアン。あなたはここに残ってください」
「……俺は、行かなくていいんですか」
「神への道を開けてくれました。それで十分です」
ジュリアンは、少しの間俺を見ていた。
それから、静かに頷いた。
大聖堂を出ると、外でヴェラが待っていた。
三日間の調査書類を脇に抱え、眼鏡の位置を直している。
俺が王都に来るタイミングに合わせて転移してきたのだろう。
「……座標が取れたようですね」
「見ていたんですか」
「大聖堂が光り始めた瞬間に、分かりました。……それと、3日間の王都の状況をまとめてあります。神との話し合いの前に、現状を把握しておいた方がいいかと思いまして」
俺はその書類を受け取った。
ざっと目を通す。
住民の流出、魔力残滓の分布、神官の残存数、食料の備蓄状況。
整然と並んだ数字の列。
誰に頼まれたわけでもないのに、必要なものが全部揃っていた。
「……ヴェラ。一緒に来てください」
ヴェラが、わずかに目を細めた。
「……理由を聞いてもいいですか」
「神との話し合いになります。新しいシステムへの移行を、現実に落とし込める人間が必要です。俺にはできない。……あなたにしかできない仕事です」
ヴェラは少しの間黙っていた。
何百年も誰かのために計算し続けてきた女が、初めて「自分が必要とされている理由」を正確に告げられた時の、静かな沈黙だった。
「承知しました。……ただし、帰ってきたら茶を一杯いただきます」
「好きなだけ飲んでください」
次に、俺は魔王への連絡を飛ばした。
空間転移で直接声だけを届ける。
20年間の精度があれば、それくらいは造作もない。
「……魔王。座標が取れました。神のところへ行きます」
しばらく間があった。
魔王軍の野営地だろう。
遠くで、複数の足音と、何かを動かす音が聞こえた。
準備を進めているのだろう。
「……そうか。俺はここで待つ」
「準備は進んでいますか」
「ああ。……ヴェラがいなくて手間取ったが、大体は整った。魔族たちをどう再編するか、一人ずつ話し合っている。時間がかかる作業だが、仕方ない」
魔王の声に、かつての威圧感はなかった。
何百年も「暴れろ」と命じられ続けた男が、初めて自分の意志で部下と向き合っている。
疲れているが、どこか落ち着いた声だった。
「システムが変わった後、魔族たちが生きていける場所を作っておく。それが俺にできる唯一の準備だ」
「……そうですか。では、後のことは頼みます」
「ああ。……うまくやれ、神父」
通信が切れた。
俺は少し考えた。
「うまくやれ」か。
20年間、誰にも言われたことのない言葉だった。
感謝でも激励でもない。
同じ側に立つ人間が、同じ目標に向かって動く者に言う言葉だ。
……悪くない。
最後に、俺は宿に転移した。
地下の部屋。
カイルが椅子に座っていた。
目を開けていた。
三日前より、顔色が戻っている。
俺の顔を見て、何かを察したように背筋を伸ばした。
「……アルヴィン様。どこかへ行くんですか」
「ええ。神のところへ」
カイルが立ち上がろうとした。
俺は手を上げて、それを止めた。
「あなたはここにいてください」
「……でも、俺も——」
「あなたの仕事は王都です。俺が戻るまで、王都を頼みます」
カイルは、少しの間黙っていた。
立ち上がりかけた足が、静かに床に戻る。
「……わかりました」
「それと」
俺は少し考えてから、続けた。
「……戻ってきたら、あなたに話があります」
「話、ですか」
「システムが変わったら、あなたの仕事の内容も変わります。……あなたがどうしたいか、その時に聞かせてください」
カイルは何も言わなかった。
ただ、目に光が戻るのが分かった。
「行き先を持った光」と俺が確認した、あの光だ。
消えかけていたはずのそれが、今はまた静かに燃えていた。
俺は地下の部屋を出た。
振り返らなかった。
振り返る必要はなかった。
ただ、その光が戻っていたことだけが、静かに腹の底に残った。
大聖堂の前。
ヴェラが隣に立っていた。
書類は既に片付けてある。
いつも通り、眼鏡の位置を直している。
「……準備はいいですか」
「はい」
「では行きます。……帰ったら、温泉に入ります」
「帰ってきてからの話ですね」
「帰ってきます。面倒ごとを終わらせに行くだけですから」
ヴェラは何も言わなかった。
ただ、かすかに笑った気がした。
俺は空間転移を唱えた。
行き先は、世界の全ての祈りが集まる場所。
ひどく重い、その座標へ。
二人の影が、朝の光の中で消えた。
■ ヴェラの観察ログ
同行します。アルヴィン様が「あなたにしかできない仕事です」と言った瞬間、私の計算では複数の選択肢がありました。断ることも、条件をつけることも。ですが私が選んだのは即答でした。何百年も誰かのために動いてきた私が、初めて「自分が行きたいから行く」と思った瞬間だったかもしれません。記録します。
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