第18話:残滓の果て
王都の空気は、相変わらず重かった。
俺が転移した先は、かつての大聖堂の前だった。
ジュリアンはそこにいた。
一人で、石畳の上に立っていた。
「……来ましたね、アルヴィン神父。あなたの答えはわかってます……」
「来ると言いました」
「……始めましょう。祈るだけのシステムになってもらいます」
ジュリアンが杖を構えた。
その杖の先に、見たことのない色の光が集まり始めた。
純白でも黄金でもない。
色のない、ただ圧力だけがある光だ。
放たれた光線が、大聖堂の石畳を抉りながら俺へと迫る。
地面が抉れた跡が、一直線に伸びてくる。
俺は動かなかった。
「アーメン」
いつもの動作だ。
ジュリアンの放った光が、俺の前で霧散した。
霧散した後の空気に、うっすらと灰色の澱みが残る。
残滓だ。
「……なぜ、打ち消せる」
「毎日処理してきた種類のものです。形が変わっても魔力は魔力」
俺は右手を上げた。
「では、こちらも」
20年間、俺が使ってきた魔法は祈りと回復と浄化だけだった。
攻撃魔法はファイヤーボールくらいしか使わなかった。
必要がなかったからだ。
「滅聖火」
レベル上限に達した俺の魔力が込められたそれは、もはや「火」という概念を超えていた。
大聖堂の正面壁が、音もなく消えた。
燃えたのではない。
存在を否定されたように、ただ消えた。
残ったのは、焼けた空気の匂いだけだ。
「……っ!」
ジュリアンが後退する。
すぐに魔力を集め、今度は2発同時に放つ。
1本目が右側の地面を抉り、2本目が正面から迫る。
「アーメン」
2本まとめて霧散させた。
今度は残滓が少し多い。
石畳の上に、灰色の澱みが薄く積もった。
(……増えている)
ジュリアンが神の魔力を使うたびに、打ち消しきれない残滓が少しずつ積み重なる。
ジュリアンはそれに気づいていない。
使えば使うほど、自分で自分の足元を汚している。
「滅聖火」
今度は出力を上げた。
大聖堂の前の広場が、半分消えた。
ジュリアンが連射で返す。
3発、4発。
俺はそれを全て祈りで打ち消す。
残滓はその度に増える。
石畳が、灰色に染まり始めた。
ジュリアンの足元に、薄い霧が立ち込め始めた。
魔力の残滓が気化したものだ。
あと数発で、限界に達する。
ジュリアンもそれを感じ取ったのだろう。
杖を両手で握り直した。
全力を込めるつもりだ。
放たれた光は、これまでで一番強かった。
神の魔力を絞り切った一撃だ。
地面が大きく抉れ、周囲の建物の窓が一斉に割れた。
「アーメン」
霧散した。
だが今回は、残滓が一気に溢れた。
ジュリアンの周囲に積み重なっていた魔力の澱みが、臨界点を超えた。
ドッ、と。
重い音がした。
ジュリアンが膝をついた。
杖が石畳に落ちた。
その瞬間だった。
ジュリアンの全身が、内側から焼かれるように震えた。
神の魔力が強制的に引き抜かれていく。
借りていたものが、一気に回収される。
ジュリアンの口から、声にならない呻きが漏れた。
指先が石畳を掻く。
爪が折れる。
それでも、身体が止まらない。
「……っ、ぁ、ああ……ッ!」
絶叫に近い声が、廃墟となった大聖堂前に響いた。
神の魔力が抜けた後に残ったのは、ただの肉体だけだ。
何十年も魔導院で積み上げてきた、凡庸な魔力しか持たない、ただの人間だ。
その落差が、身体を内側から引き裂くように苦しめている。
ジュリアンは石畳に両手をついたまま、荒い息を繰り返した。
何度も、何度も。
やがて、呼吸が少しだけ落ち着いた頃。
ジュリアンの目が、虚空の一点を見つめた。
「……見えた」
掠れた、ほとんど独り言のような声だった。
「……神の魔力が切れた瞬間に。見えたんです。神が、何をしているのか」
俺は少し離れた場所から、倒れているジュリアンを一瞥した。
「……で、何が見えたんですか」
歩み寄りはしなかった。
しゃがみもしなかった。
ただ、次の処理として聞いた。
「祈りは……神の魔力を借りる行為でした。私たちが祈れば祈るほど、神の魔力が私たちを通して流れる。神はその流れを、自分の力として使っていた」
「……つまり、俺たちが祈ることで、神が強くなっていた」
「そうです」
ジュリアンは石畳に手をついたまま、続けた。
声が震えていた。
苦痛からか、あるいは別の何かからか、判断がつかなかった。
「だから……あなたが祈りをやめたことは、神にとって本当の脅威だった。20年間、誰よりも大量に魔力を流し続けてきたあなたが、突然止まった。神の力の流れに、巨大な穴が開いた」
俺は自分の手を見た。
20年間、何十万回と祈りを捧げてきた手だ。
その一言一言が、神への供給だったということか。
……迷惑な話だ。
「……もう一つ」
ジュリアンが、震える腕で上体を起こした。
「神への道は、まだ開いています。あなたを依代にして、神官たちの祈りを束ねれば、神へ逆方向に押し返すことができる。あなたは20年間、神の魔力を誰よりも精密に扱ってきた。その精度があれば、届く」
「どれだけ必要ですか」
「今王都にいる神官だけでも、届くかもしれません」
俺は少し考えた。
それから、倒れたままのジュリアンを見下ろした。
「神官たちを集められますか。今すぐ」
「……集められます」
「では立ってください。あなたにしか呼べない人間がいるでしょう」
ジュリアンは杖を拾い、震える足で立ち上がった。
膝が笑っていたが、倒れなかった。
「……あなたは、怖くないんですか。依代になるということは、その反動が全部あなたに……」
「怖いかどうかより、邪魔かどうかで考える癖がありまして」
「……これは、邪魔なんですか?」
「温泉に入れないから、邪魔ですね」
ジュリアンは何も言わなかった。
ただ、短く笑った。
苦痛の後に残った、力のない笑顔だった。
だが、王都で初めて見る、ジュリアンの笑顔だった。
二人は、大聖堂へと歩き出した。
塔の消えた大聖堂が、朝の光の中で静かに佇んでいた。
■ ヴェラの観察ログ
王都より報告します。アルヴィン様は本日、初めて「滅聖火」を使用されました。攻撃魔法を使う必要がなかった20年間の後、その初撃で大聖堂の壁を消しました。ジュリアンが神の魔力を失う瞬間、石畳に爪を立てて絶叫していました。あれは敗北の苦痛だけではなかった。自分が何十年も積み上げてきたものが、借り物の上に乗っていたと知った者の声でした。アルヴィン様は最後まで歩み寄りませんでした。それがアルヴィン様らしい、唯一の慈悲だったと、私は記録します。
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