第3話 虹の聖者
イリス族における「虹の聖者」の試練は、族の歴史の中で最も神聖とされる儀式
だった。
成人を迎える前夜、候補者は族の聖地――草原の中心に立つ七色石の広場へと導か
れる。そこで夜明けまでの間、七つの精霊すべてとの完全なる共鳴を果たさなければ
ならない。共鳴が不完全であれば儀式は失敗とみなされ、翌年まで待たなければなら
ない。族の長い歴史の中で、一夜にして七つの共鳴を果たした者は、両の手で数えら
れるほどしかいなかった。
夜が、降りてきた。
◆ ◆ ◆
アークは七色石の中央に立った。
周囲をイリス族の全員が取り囲み、篝火が七つの色に染められた炎を上げていた。
ガイアスが厳かに告げる。
「アーク・イリス。汝は今宵、虹の聖者の試練に臨む。七つの精霊と完全に共鳴し、
その証を示せ」
アークは目を閉じた。
最初は、地の精霊だった。
土の匂いが立ちこめ、足の裏から大地の鼓動が伝わってくる。以前から幾度も対話
してきた精霊だった。しかし今夜は何かが違った。精霊の存在感が、これまでとは比
べ物にならないほど濃い。まるで、アークが呼ぶよりも先に、精霊の方が待ちわびて
いたかのように。
共鳴が、起きた。
地の色――赤い光がアークの足元から広がった。篝火の赤い炎が一際高く燃え上が
り、観衆の間からざわめきが漏れた。
次は水。そして火、風、音、光と続いた。
共鳴のたびに、アークの周囲に新たな色が加わっていった。それぞれの精霊との対
話はほんの僅かな時間で完了した。まるで古い友人と再会するように、自然に、淀み
なく。
残るは最後の一つ。智慧の精霊だった。
これが最も難しいと、長老たちは言っていた。智慧の精霊は最も気難しく、人間の
浅慮を嫌う。共鳴するためには、ただ感応するだけでなく、問いに答えなければなら
ないのだと。
アークは待った。
静寂の中で、声ならぬ声が届いた。
――お前は何のために力を求める。
アークは考えなかった。考える必要がなかった。
――壊れたものを、直すために。
一拍の間があった。
それから、紫の光がアークの全身を包んだ。
◆ ◆ ◆
七色の光が一つに重なった瞬間、広場は白く染まった。
虹の光だった。七つの色が溶け合い、純粋な白へと昇華した光が、夜空へと真っ直
ぐに伸びていく。その柱は雲を貫き、星々の彼方まで届くかと思われた。
誰も動かなかった。
誰も、声を出せなかった。
長老ハルマだけが、皺だらけの顔に一筋の涙を伝わせながら、震える唇で古い言葉
を紡いだ。
「……虹の、聖者だ」
その言葉が合図になったように、広場に歓声が溢れた。
しかしアークには、その歓声が遠くに聞こえた。
共鳴が完成した瞬間、彼は感じていた。地の底の、さらに深い場所で。何か巨大な
ものが、微かに、ほんの微かに、動いた気配を。
それが何であるのか、アークにはまだわからなかった。
しかしそれは確かに、アークを感じ取っていた。
◆ ◆ ◆
翌朝、エルヴィがアークの元を訪れた。
「見事でした」と彼女は言った。その声には、隠しきれない感慨があった。「一夜で
の完全共鳴は、族の歴史でも五人目です」
「エルヴィ」
アークは彼女を見た。
「昨夜、何かが目を覚ました気がした。地の底で」
エルヴィの表情が、一瞬だけ固まった。
「……そうですか」
「あれは、何ですか」
彼女はしばらく黙っていた。草原の風が二人の間を通り抜け、遠くで鳥が鳴いた。
やがてエルヴィは、静かに言った。
「学園に入れば、わかります。すべてではないけれど……少しずつ」
それだけを言い残して、彼女は立ち去った。
アークは彼女の背中を見送りながら、胸の引っかかりが少しだけ大きくなるのを感
じた。
地の底で目を覚ましたものが何であれ、それはアークを待っていた。そしてエルヴィ
もまた、何かを知っていて、待っていた。
この世界は、自分が思うよりもずっと深い場所で、何かが動き始めているのかもし
れない。
少年はそれを、まだ言葉にできなかった。
しかし翌春、聖七光学園の門をくぐるその日まで、アークはその感覚を胸の奥に大
切にしまっておいた。




