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第1話 虹の子、誕生

――――――――――――――――――

 第一章 嵐の夜の赤子

――――――――――――――――――


 嵐は、予告なく来た。


 風の国の南端に広がる草原地帯は、その夜、天地が逆転したかと思うほどの暴風に包まれた。

稲妻が地平線を白く裂き、雷鳴が大地を揺るがすたびに、草原に点在するイリス族の天幕が激しくはためいた。族長ガイアスは幕の入口に立ち、荒れ狂う夜空を見上げながら、この嵐が尋常ではないことを直感していた。


 風を読む民として千年以上の歴史を持つイリス族にとって、嵐とは語りかけるものだ。風の揺らぎに耳を澄ませれば、その意図が伝わってくる。

しかしこの夜の嵐には、ガイアスの長い経験をもってしても読み解けない何かが混じっていた。

怒りでも悲しみでもない。強いて言うならば――そう、これは、産声に近い。


 何かが、生まれようとしている。


「族長!」


 配下の若者が血相を変えて駆け込んできた。全身が雨に濡れ、顔は興奮と困惑の入り混じった色をしていた。


「草原の東、境界石の近くで――赤子が見つかりました」


 ガイアスは瞬きをした。


「赤子だと」


「はい。しかし族長、その子が……その子の体から、光が出ています」



◆ ◆ ◆



 境界石は、イリス族の領域の果てを示す古い石柱だった。苔むした表面に虹を象った紋様が刻まれたその石の傍らに、布にくるまれた小さな命があった。


 ガイアスが近づいた瞬間、息を呑んだ。


 赤子の体から、確かに光が漏れていた。それは松明の炎のような力強さではなく、夜明け前の空に滲む曙光のような、柔らかく、しかし確かな輝きだった。

しかもその光は単色ではなかった。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――

七つの色が赤子の小さな体の周囲を、息をするように緩やかに巡っていた。


 虹だ、とガイアスは思った。


 虹を信仰する民として生きてきた彼の生涯において、これほど直截な形で虹の顕現を目の当たりにしたことはなかった。古老たちが語り継いできた伝説の一節が、頭の中で自然と響いた。


 ――虹は、始まりの光。天と地が、最も近づく瞬間に生まれる橋。


 嵐が、一瞬だけ凪いだ。


 まるでこの出会いを祝福するかのように、雲の切れ間から細い月光が差し込み、赤子の顔を照らした。ガイアスはゆっくりと膝をつき、その小さな命を抱き上げた。

赤子は目を覚ましたが、泣かなかった。ただ、暗い夜空を見上げ、七色の光を静かに放ち続けていた。


 ガイアスの傍らで、最年長の古老が震える声で言った。


「族長……あの夜、老いた虹龍が鳴いたと言い伝えがある。

エインガナが……大地の虹龍が、次の主を待ちわびておられる夜に」


 誰も言葉を返せなかった。


 嵐が、再び吹き始めた。しかしその風はもう、先ほどとは違っていた。荒々しさの中に、どこか安堵に似た柔らかさが混じっていた。まるで長い旅を終えた者が、ようやく目的地に辿り着いたときに漏らす、深い息のように。


―――虹龍の加護の子———


 ガイアスはつぶやいた。気がつけば、その名が口をついて出ていた。どこから来たのか、自分でもわからなかった。しかしその名は、この子に相応しいと確信できた。


 弧を描くもの。橋をかけるもの。


 天と地を、繋ぐもの。


「お前は虹龍の加護の子だ」


 赤子は、微かに笑ったように見えた。



◆ ◆ ◆



 その夜の出来事は、族内でしばらく秘匿された。しかし秘密とは、いつまでも秘密のままではいられない。


 噂は風に乗って広がる。とりわけイリス族の中では、風は言葉よりも速く真実を運ぶ。ガイアスが拾った赤子が虹の光を放っていたという話は、やがて族内の全員が知るところとなった。


 そして一人の女性がガイアスの元を訪れた。


 エルヴィ・イオ。風の国の名門イオ家の出身でありながら、イリス族の保護者として長年この地に暮らしてきた女性だ。穏やかな目の奥に揺るがない意志を宿した彼女は、ガイアスが差し出した赤子を見た瞬間、しばらく動かなかった。


 やがて彼女は静かに口を開いた。


「この子には、名付け親が必要ですね」


「あなたに頼みたい」とガイアスは言った。「あなたが適任だ、エルヴィ」


 エルヴィはアークを受け取り、その小さな顔をじっと見つめた。七色の光はすでに収まっていたが、その面差しには何か、言葉では表せない種類の静けさがあった。

嵐の目のような、あるいは大地の核のような、深く揺るがない静けさが。


「アーク」


 エルヴィは名を呼んだ。赤子はゆっくりと目を向けた。


「あなたが何者であるか、私はまだ知らない。けれど」


 彼女は微かに眉を寄せ、どこか遠くを見るような目をした。


「――この出会いは、偶然ではない気がします」


 窓の外で風が鳴いた。


 その音は、肯定しているようにも、警告しているようにも聞こえた。



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