王の覇気
ジンは硬直していた。
受付嬢の言っていることの“内容”は理解できる。どんなことをしなくてはならないのかも当然わかっている。しかしだ。
「えっ、今からですか?」
「ええ。それが通過儀礼なんです」
そう言ってにっこり笑った。受付嬢らしい客人用の笑顔だ。
感情を一切さらけ出さないプロフェッショナルな笑顔に、ジンは内心舌を巻く。
王として海千山千のいやらしい貴族たちを相手にした経験は数えきれないほど。そのジンが感心を見せるほど完璧な表情づくりだった。
それでもジンは、僅かに震えた声や最初の笑顔と違うほんのわずかな笑顔の引きつりから、受付嬢が内心では自分たちの事を心配しているのだと察知する。
思わず僅かに口元が緩んだ。目の前の人が本当は優しいのだと悟って。
すぐに頬を固くして、もう一度真実を知るため尋ねる。
「えと、明日にすることはできないんです? 今日この町に来たので疲れてて」
「申し訳ありません。その場合はこの町での冒険者登録はできなくなってしまいます」
「はあ!?」
叫んだのはジェッスだった。
ジンもまた叫びたい気分だったが、ここはグッと堪えて、受付嬢の次の言葉を待つ。
先ほどまでの笑顔を消して、まるで銅像のような何の感情も感じさせない顔になった。その変化の大きさに、ジェッスは思わず二歩も後ずさる。
「冒険者の仕事は魔獣退治、必要物資の調達、要人護衛など多岐にわたります。その中では臨機応変と忍耐が求められることも多い。要するにこの程度の事もこなせないのであれば、この町で冒険者になることはできない。という試験なのです」
受付嬢の声には一切の緩みが無い。真剣そのものであり、そこに妥協や許しの余地は一切ないのだと理解させられるような声だった。
二人は顔を見合わせる。ジンはジェッスの不安そうな顔に思わず苦笑いをした。
冒険者にこだわる必要も無いが、一番稼ぎやすい職業を逃す理由も無いし、何よりもほかに金を稼ぐ手段があるとは思えない。
もはやなるようにしかならず、依頼を受諾する以外の選択肢はないのだ。
「分かりました。受けます」
ジンの言葉に受付嬢はようやくにっこりと笑った。
「分かりました。ではこちらの紙をどうぞ」
差し出された紙の内容を改める。ジェッスも、読めないが、一応覗き込んだ。
「依頼の内容は薬草探し。“サリアケの森”で採取できる“カモカ”という薬草を持ってくるのが依頼内容です」
依頼書の内容を、受付嬢が簡単に語る。紙にはその内容と依頼の意味がより詳しく書いてあった。
依頼者は町の薬師。町で薬や傷を癒す魔法薬を販売しているそうで、定期的に薬草採取を冒険者委員会に依頼しているらしい。
“カモカ”は薬の中でも傷を癒す魔法薬に使用する薬草なのだそうで、最近その“カモカ”の貯蔵量が心もとなくなっているらしい。だからできる限り大量に採ってきてほしいと書いてある。
記載されている委員会指定の依頼レベルは1、まず危険なレベルでは無い。圧倒的に初心者向けだ。
依頼書の右下には大きく地図が書いてあり、この町のどの門から出れば薬草が自生しているエリアに一番近いのかまで丁寧に書いてある。
書き方に依頼者の性格を感じ取り、ジンはクスリと笑った。
「分かりました。では行ってきます」
受付嬢に挨拶してから、一度降ろしていた巨大な荷物を持って外に向かう。ジェッスも荷物を持って追いかける。さすがに重すぎて、いきなり持ったせいでよろめいてしまった。
「待てや」
支部を出ていこうとした二人の前に、三人の男が立ちふさがる。
一人はズボンと上半身はベストだけを身にまとい、筋骨隆々な体を晒している。シックスパックの腹筋は見るからに堅そうだ。一人は健康を心配したくなるくらいやけに細身。禿げていて、頭に鋭い爪のような入れ墨が入っている。腰には数えきれない本数のナイフが刺してあった。最後の一人は一番まともな格好をしている。シンプルなベストとシャツに身を包んでいて、腰にはこれまたシンプルなブレードがある。顔立ちはイケメン風で、町で見かければ目を引かれるくらいには整っている。三人の中で唯一まともそうに見えるが、ジンはシャツの下に薄い鉄板が隠してあるのを見抜いていた。ジンの予想では、鉄板に魔力を織り込み、その薄さと素材では実現不可能な硬さを獲得しているはずだ。
一見すれば、なかなかの手練れに見えるが、ジンからすればお笑いでしかならない。特に最後の男に、ジンは戦場で見た敵国の兵士たちを重ねた。初めての戦場におびえながら逃げ惑う三等兵を。
男がブレードを引き抜いた。そして切っ先をジンに向ける。
「俺たちはこの辺で一番の冒険者チーム、マトリランクの三暴衆! リーダーのコッセ」
「レッショウだ!」
細身の男が、ナイフを引き抜きながら言った。
「ダボク!」
筋肉質な男がサイドチェストと同時に叫ぶ。
「「「われら! 三暴衆!」」」
「二回言わなくていいよ」
ジンは思わず苦笑いを浮かべた。
こっそりと隣のジェッスを見た。そして目を見開く。目の前の三人の名乗りに圧倒されている様子だったから。
(おいおい)
「さて」
ジェッスに一言言ってやろうとしたのだが、目の前のコッセが喉元にブレードを近づけてきた。
部屋の明かりに照らされて、切っ先がギラリと凶悪な光を反射した。だがそれでもジンは不快そうにほんの少し顔を歪めただけ。その反応さえも気に入らず、コッセはよりブレードを近づけた。
「通過儀礼もそうだが、この町じゃ先輩の冒険者に金払うんだよ」
「そうそう。そんなデッケェ荷物持ってるならお金もあるでしょう?」
「じゃあ。だそう」
にやにやといやらしい笑みを浮かべながら、三人はそれぞれの武器、ブレードとナイフと拳、を見せつけた。
周りの冒険者たちはざわつきで一団を見守る。様々な依頼を請け負う冒険者だ、トラブルに巻き込まれることなんて日常茶飯事。それがたとえ委員会支部だったとしても変わらない。しかしそれはある程度冒険の経験者であるメンバーに限る。新人が経験の中で学ぶ冒険者のイロハなど知るはずもないし、何よりマトリランクはこのあたりでは十分強者に分類される。
冒険者にとって、同業者が生まれることは必ずしも歓迎したいことではない。自分たちに回ってくる依頼が減る可能性があるからだ。逆に増えないことも嬉しくない。自分たちに回ってくる依頼が膨れ上がり、結果得意ではない依頼までこなさなくてはならなくなるから。
つまり、新人潰しは嫌われる。
それでも彼らは動けない。なぜならこの場に、マトリ以上のランクの冒険者が居なかったから。しっぺ返しを食らうのが怖いからだ。
この場で唯一動けたのは受付嬢だった。
「あなたたち!」
正義感と仕事が半々くらい。目の前の狼藉を許したくないという思いと、仕事の邪魔をしないでほしいという思いだ。
次の言葉を発する前に受付嬢は止められる。ジンが手のひらを見せたから。三暴衆から隠すように出されたそれが「止まれ」と言っているのだと受付嬢は理解した。
ジンは息を吐きだした。紐が緩んでいくような解放感が体に満ちる。
三暴衆が顔を歪ませる。ジンが自分たちにため息を吐いたと思ったから。
「なんだガキ。さっさと金を出せば」
「小物が」
たった一言、されど一言。静かな声、されど声。
静かな水面に水滴を落としたように、波紋が広がってゆっくりと影響を与えていく。
徐々に徐々に言葉の内容を理解した冒険者たち。その場の第三者は全員が顔を青くする。この脅されている状況で、目の前の少年は思いっきり相手を煽ったのだ。
当然当人は黙っちゃいない。ブレードを、ナイフを握る手に力を籠め、拳をより強く握りなおした。
同時に鋭い空気が充満し始めた。それは殺意と敵意。修羅場を乗り越えてきた者のみが放つことのできるオーラのようなものだ。
一階全体に充満したそれに当てられた者たちは多い。ジョッキを持つ手が震えて床が酒で濡れる。貧乏ゆすりが机に当たってがたがたという音が聞こえるし、何より全員が顔を青くして脂汗を滲ませていた。
「へへへ、しかし楽しいね」
息苦しい空間の中で、場違いに明るい声が聞こえる。剣を突き付けられているはずのジン本人だった。隣でほかの冒険者と同じような顔をしているジェッスを気にする様子も無く、嫌に楽し気な笑顔だけを浮かべていた。
「人間から喧嘩売られるなんて……何年振りだろうな……」
懐かしそうに目を細め、顔を床に向けた。
そこに宿る感情を理解できない三暴衆は、とりあえず武器を構え続ける。
眼球のみを動かしてジンが三暴衆を見つめる。途端放たれるのは三暴衆が放っていたのとまったく同じもの。殺意、殺気、威圧、何という言葉で表現しようと、やっていることは一緒だ。
違うのはその圧力。
三暴衆の圧力が拳で殴った程度だとするならば、ジンは大砲の砲口を無数に突き付けている程度の差があった。
しかもそれを感じ取れているのは、三暴衆だけだった。隣に立つジェッス、少し後ろに立っている受付嬢のどちらも、ジンの放つ圧力をかけらも感じていなかった。
徐々に三暴衆のみの息が荒くなる。圧倒的なプレッシャーに喉を絞められていくようだった。
それに従って空間に充満していた殺気が萎んでいく。余裕を取り戻した冒険者たちは、三暴衆の妙な様子に気づいた。だが三暴衆と違い、ジンの殺気は特定の相手にのみ向けられているため、冒険者たちは気づけない。
コッセは今、命の危険を感じていた。
目の前に立つ銀髪の少年が殺意を向けていることはわかっている。それでも強烈すぎる殺意に体が動かない。
息が短く、そして荒くなる。じっとりとした重い汗がにじみ出て、ゆっくりと頬を伝い、顎から床に落ちる。何粒かが口に入り、絶妙に要らない塩気が舌の上で広がった。
不意に少年が手を動かした。
(ああ、俺たちは死ぬんだ)
心の中で呟く。
それは死を確信したものがただ事実を受け入れる。諦めの言葉であった。
だが想像に反し少年はコッセの肩を叩いた。それは、教会の神父が慈しみの心をもって罪人に触れる。その尊ぶべき姿に似ていた。
「どうもすみませんね。礼儀知らずで。でもま、許してくださいよ」
へらりと笑った少年。
それ以上そこに居てほしくなくて、とりあえず何度も頭を縦に振った。
少年は一度だけ会釈をして入り口へ。
「ジェッス行くぞ」
「おっ、おう」
呼ばれた少年は僅かに戸惑いながらも、銀髪の少年に続いた。
足音が遠ざかり、ようやく息苦しさから解放される。
「リーダー」
レッショウが息を切らしながら言った。
そちらに視線をやって、ようやくレッショウも滝のような汗を流していたことに気づく。反対側に居たダボクも同じ状態だった。
「あれは……化け物ですぜ」
レッショウの言葉に頷くダボク。
コッセも頷きたかったが、もっと適切な言葉を思いついた。
(若く、こざかしく弱い存在に擬態しながら、いざとなれば力で相手を黙らせ、話術で相手へ取り込み、短い言葉で弱者を黙らせる……あの若さでできることじゃない)
「……あれは、この世界の理不尽だ」
レッショウもダボクも、聞いていたその他全員はその言葉を理解できなかった。
ただ、少年のコミュニケーション能力の一端に触れた受付嬢だけは、その言葉を理解できた。
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