ありし日①
その日、街の中央街を馬が駆け抜けていた。
「お待ちください王よ! あなたが先に立っては!」
集団の先頭を走る馬には、彼らの王が座っていた。若く、カリスマと勢いに溢れ、小さな王国の人望を集める偉大なる王。
集団で王に次いでいるのは秘書官だ。今日やらなくてはならない書類を片手に、馬から振り落とされないよう必死で暗にしがみついている。秘書官の表情には仕事と王への心配が浮かぶ。王が先陣を切るとは、それだけ側近にとって胃が痛い事態なのだ。
「ははは! 王が先陣を切らないでどうするんだ? 情けない王に民はついてこないさ!」
王は拳を天に掲げて笑った。
秘書官は心からのため息を吐くが、より後ろからついてきている護衛の騎士隊は、むしろ楽しそうに威勢の良い声を上げる。
街を行く町人たちは、いつも通り楽しげな王様に微笑ましい顔を向けた。変わらない光景こそが平和の象徴、心に根付いた言葉を、民はいつも忘れていない。
突然、王が手を上げた。
全員が一斉に馬を止める。何事かと秘書官が身を捩ると、路地から大量の荷物と子供達を乗せた馬車が走ってきていた。
「あっ! 王様だ!」
「王妃様も居るよ! いっつもくっついている!」
「仲良いよね!」
「王様〜!」
子供達が王と王に抱きついて馬に乗っている王妃に手を振った。夫婦はそれににこやかに手を振りかえす。その姿は日曜日の夫婦そのもので、国で最も偉い人間だとは到底思えない姿だった。
「王様たちよ! 持っていきなせえ!」
交差点沿いの八百屋の親父が異性のいい声でリンゴを放り投げた。
二人は受け取り、王は受け取るなりりんごを齧る。
「おお! 今回もできがいいな! さすが我が国の農産業だ!」
「直接言ってやってくれ! 連中よろこんで生産量が上がる!」
「王よ! 直接食べないでください!」
王の食事には徹底的に毒味をしなくてはならない。国民から直接もらったものであっても、1%でも可能性があるのなら疑うのが忠臣の仕事だ。
「やべ、怒られるな。逃げるぞ」
「ええ、あなた」
優しく微笑んだ王妃は馬を蹴る。すると馬は一度高く嘶き、再び走り出した。
「ああっ」
「やめとけよ。あれでこそ王だろ?」
「……あなた側近護衛ですよね?」
「俺は守るのが仕事で、管理が仕事じゃねえからな」
追うために馬を走り出させた。隣を並走する側近に呆れた顔を向けるが、にべもなくニヤリと笑い返されるだけ。
秘書官は胃に嫌な痛みを感じながら、半泣きの顔で叫ぶ。
「ステイル王! ドミ様!!」
喉を締め殺したような必死な声に、ドミは快活な笑顔を向けた。
「で? この辺りか?」
「はい。最近報告のあった、獣の出るエリアです」
馬から降りたドミは、金色の三叉槍を片手に周囲を見回した。
今一行が居るのは、ステイル王国の南の端にある廃村で、住民たちの高齢化と都市機能の強化のため、数ヶ月前にこの村は引き上げてもらったのだ。
引き上げてもらったとはいえ、まだ村には資材などが多く残っている。だから家具家財の持ち出しなどで、未だ多くの住民がこの村を訪れる。
「なんなんだよその獣って。魔獣かなんかなのか?」
馬を騎士団に預けながら、ステイル王側近護衛キエル・ドーリシュが尋ねる。
秘書官は急いで書類を捲った。
「それが、どうも報告に具体な情報がなくて」
「あん?」
「どうやら地域住民では姿を捉えることができないほど素早かったそうなのです。食料品を食い漁っている跡から存在に気づき、対処しようとしたら村の若者が怪我を負わされたと。その際も素早すぎて影を見る程度しかできなかったそうです」
ゴクリ、と誰かが唾を飲み込んだ。
考えられる限り、ここにいるらしい魔獣の危険度は、最近森で騒がれたバークベアの比にならないだろう。
「よし……二人一組となり、ゆっくりと民家を探るんだ」
『はっ!』
護衛隊がそれぞれの武器を手に取り、指示通りペアを組んで民家へと入っていく。
ピリついた空気が広がる中、銀に輝く鎧を纏った青年が、眉目秀麗という言葉に相応しい顔に、爽やかそのものの笑顔を浮かべて、喉の奥で指を弾くような音を鳴らした。
「我々であれば、捕えることくらい簡単にできますよ。ドミ様」
「そうか?」
「ええ。そうでなければ、あなたのそばに居る意味が無い」
「そうだな……いつものことだが、期待している。アスタ」
青年、アスタは極めて上品な動きで、ドミに頭を下げた。
「ええ。このアスタ・キヴォリタが魔獣を倒してごらんに入れます」
そう言って、アスタは勇み足で村へ踏み込んでいった。
大げさなまでに気合の入ったアスタの背に、キエルは思いっきりため息を吐いた。一瞬アスタの足が止まるが、そのまま気にした様子も無くずんずん歩いて行った。
「ドミよぉ、そんなに気合を入れることか? ここは捨てた村だろ、俺たち護衛団まで出てこなくてもよ」
「これは国内の事だから、戦争よりも簡単に俺が出てきやすいんだ。それにこの村ですでにけが人が出てる。早いうち国民の不安を取り除くのは、王の役割だろ?」
「ああもう! ほんっと好き!」
ドミの言葉に、護衛隊も胸を熱くする。のだが、一番熱くなったのは、今もくっついて馬に乗っている王妃アリシア・ステイルその人だ。ずっと抱き着いているドミを、さらに強く抱きしめた。
脳みそが溶けたようなやり取りに呆れて、まるで現実逃避をするかのように、キエルは剣を抜いて峰を眺める。
「出たぞ!!」
空気を裂くような声が聞こえた。
全員の視線が、声のした民家へと向く。
数度、金属音が聞こえたかと思うと、二人の騎士が同時に壁を突き破って吹っ飛ばされた。壁に空いた大穴から、何者かの影が飛び出したことだけが見えた。
「大丈夫か!?」
一番近くの民家に入っていたペアが、倒れている二人組に駆け寄った。
倒れる騎士たちが身に着けたシルバープレートには、獣に裂かれたような三本の傷跡が、腹を切り裂くように走っていた。そして数か所に、痛烈な打撃を受けたであろうへこみが刻まれていた。
鎧の惨状に、駆け寄った二人は戦慄する。護衛隊が着用しているシルバープレートは、国でも指折りの魔法使いが強化の魔法をかけた魔具。いくら魔獣といっても、よほどの実力が無くてはひっかき傷すらもつけることができない。
そんな代物にここまでのダメージを与えるとなると。
二人が想像で震えあがったとき、後ろから唸り声を聞いた。恐怖からくる冷静さなのか、やけに甲高いと感じた。
振り返ろうと体を動かすのと同時に、獣がこちらに迫る風切り音がした。
間に合わない。二人の脳裏に最悪の創造がよぎる。
覚悟して目を閉じると、後ろから金属音が聞こえる。ようやく振り返り終わると、そこには刀を構えたキエルが居る。
「「キエル様!!」」
「いいから! とっとと逃げろ!」
「「はい!」」
平面を転がるように二人は逃げ出した。
二人がその場を離れたのを確認してから、キエルは刀を握りなおす。
さっきはたしかに、激突した感触があった。だが、相手の姿を確認する前に逃げ出してしまった。たしかに、守ることが意識にあって相手を認識する事は優先順位が低かった。なのに一瞬も姿を見ずに去られてしまうなど、今までの経験上ありえない。
「気を付けろ! こいつヒットアンドアウェイを分かってやがる! どこに居ようと襲ってくるぞ! 守られる前に王を守れ!」
われながら気持ち悪い指示だ。とキエルは心中で悪態をついた。
指示通り、民家に入っていた騎士も加わりドミとアリシアを囲う。半分の騎士が盾を構え、もう半分が剣を抜いた。相手の素早さからして、この程度で守れるとは思えないが、無いよりマシと、キエルは魔獣に集中することにした。
さっきから影は見えている。しかし姿をはっきり捕らえられない。
煌々と太陽が照らす今日、暗くて相手を見逃すことはまずありえない。単純に早すぎて追いきれないのだ。屋根から屋根へ、影から影へ移動する姿を捕らえることができないのだ。
キエルの頬を重苦しい汗が伝った時、耳障りで金属質な軋み音がして、アスタが現れた。
「ふむ。苦戦してるね」
「ああ!?」
軽々しい口調だった。一応ピンチだと思っていたところにそんな声を出されては、イラつくのも当然だろう。
「じゃてめえやれんのかよ!」
「まあまあ。これを見てくれよ」
アスタが取り出したのはリンゴだった。赤々として良く熟しているように見える。
よく見ると、真っ赤な皮が抉られているのが分かった。薄い黄色の身の周囲が抉られて、歯形がくっきりと残っていた。
「ただの食いかけじゃねえか」
「よく見てよ」
アスタは歯形を指した。
「この歯型、結構小さいんだ。それに歯の間隔や歯それぞれの大きさからして、どうも動物とは思えない」
「なんだと?」
キエルは屋根を飛び回り続ける影へ視線を向けた。
あちらへ、こちらへと飛び回る姿はまるで鳥、しかし柔軟に着地して即座に飛び立つ様子はネコ科のそれ。かつてキエルは国の端に出たキマイラという魔獣を狩ったことがあるが、子どもならばそのサイズ感もあり得る。
だがアスタの予想であれば、あれは動物で無いのだという。ならば、その答えは?
アスタが一歩前に出た。そして剣を抜く。銀色の刀身に、真っ白い翼を模した鍔を持つ長刀だ。アスタの身長と体格に合わせ、ベストな動きができるサイズに調整されている。
片手を民家の屋根に向けて、手のひらから雷を打ち出した。ある程度加減をした雷が屋根に命中する。すると獣は屋根の一つに止まった。
背中を覆いつくすほど長く伸びたボロボロの長髪、鋭く尖りきった爪、薄汚れた肌、獣の如く四つん這いの姿、そして体をギリギリ隠せている程度の穴だらけの服。
それは少女だった。ただし黄色っぽい歯をのぞかせて喉から警戒の唸り声を上げている狂暴な。
「マジか」
「獣に育てられたのかな? どちらにせよ、腹が減っているのは間違いなさそうだ」
獣は屋根を蹴ってアスタへ襲い掛かった。
アスタは剣で獣の攻撃を受け止める。剣と爪が激突した瞬間、強烈な金属音が響き渡った。
一度足で獣を弾き、剣を振り下ろす。今度は獣が爪で剣を受け止める。再び金属音がした。そして獣は地面を滑るように逃げて、建物の陰に隠れる。
「おいおい、なんだ今の」
「あの子、無意識に魔法を使ってるんだ。しかも固有型だよあれ」
「マジか。さすがにきついぞそれ」
キエルも前に出る。護衛を務める二人が、同時にかからねばならないと考えたのだ。
「二人とも下がれ」
その二人が、後ろから聞こえた声に反射的に下がった。
従者とは支えるというのもそうだが、いざという時の絶対服従も必要なのだ。だからこそ、後ろに下がった後に驚くのだ。王が護衛を振り切って、前に出てきたことに。
「王よ! お下がりください!」
護衛騎士に守られた秘書官が叫んだ。
王に何かあっては、この先が立ち行かなくなる。ステイルごとき小国など、周囲の大国に滅ぼされてしまう。
秘書官の言葉を無視し、ドミは二人よりも前に立った。民家の屋根に上った獣は、飢えた獣の目でドミを睨み、歯を鳴らしながら四足獣の如く背中を盛り上げた。腕に力が入り、足も筋肉が盛り上がる。
「君、一人なのかい?」
獣は反応を見せない。
「参った。言葉も分からないか。でも、獣というには綺麗すぎる」
三又の矛を構えた。金色が太陽に照らされ輝く。
獣もまた、その武器の鋭さに気づいた。あれは怖いものだ。獣の中に一つの認識が生まれる。
溜めた力を開放し、空に放たれるように飛び出した。ドミはそれを受け止めて、さらに力場を展開する。獣はまるでひきつけられるような感覚を味わった。そしてドミは獣を抱きしめ、後ろに倒れ込む。矛を捨て、獣の頭を守るように手を添えて倒れた。
「よしよしよ~し。怖くない、怖くないぞ」
獣は体を押されるような不思議な感覚を味わいながら、自分を殺さんと押さえつける男の肩にかみついた。
周囲から息を飲む音が聞こえ、何人かはすでに剣を抜いている。
獣は銀に輝くそれを知っている。自分を痛めつけ、傷つけるものだと。
「……怖くない。大丈夫だ、あいつらはお前を傷つけない」
肩から血を流しながらも、ドミはひたすら獣を撫でた。
痛いはずだ。獣の歯から伝う感覚が、相手を確実に傷つけたと伝わる。なのに、目の前の男は自分を傷つける様子も無く、頭を撫でてくれている。
「お前たち、剣を捨てろ」
「でっ、ですが王」
「捨てろ」
硬質な音がする。
ドミの言葉に即座に反応して見せたのはキエルとアスタ。
忠臣であるが故の思考放棄は、二人の体を反射的に動かしていた。
「どう考えても意味わからねえな」
「それでも、私たちの忠誠は揺らぎません」
自分たちの行動に、不思議そうに笑う。
騎士たちもまた、呆れた顔をして剣をその場に捨てる。
獣は肩に歯を立てながら、不思議そうにその姿を見ていた。
鎧ばかりの集団の中から、獣と対比するような美しい服に身を包んだアリシアが出てきた。夫の傍に寄り添うように腰を下ろし、獣の頭を優しく撫でた。
「大丈夫。私たちは傷つけない」
ひどく優しい声だ。
獣は言葉は理解できない。ただし、音の良しあし程度は理解できる。その音は、自分を狩り殺そうと襲い掛かる人たちの声とは違い、包み込んでくれるようだった。
獣は、いつの間にか歯を離し、その場にぺたりと座り込んだ。ドミもようやく体を起こして、血だらけの肩に触れる。
「ふふ、警戒を解いてくれてありがとう」
再び頭を撫でた。
その温かさに、獣は涙を流した。いつの間にか、獣は少女へと変わっていたのだ。
アリシアは少女を抱きしめる。穴だらけの布ではしのげない寒さをしのぎ、感じることができなかったであろう人のぬくもりを与えるために。
「そうだな……とりあえず、体を綺麗にしないとね。それから食事をしよう」
「王よ。その前に与えるべきものがあるかと」
アスタが丁寧に腰を折って具申する。
「なんだよそれ」
キエルが刀を拾い上げながら言った。即座に刀身に汚れが無いか確かめる。
「名前だよ。獣や少女呼びなんてかわいそうだろ?」
「なるほど」
ドミはわかりやすく顎に手を当てて、ジッと少女の顔を見た。アリシアに抱きしめられながら、少女は不思議そうに視線を返す。
綺麗な水色の瞳に、ドミは優しく笑いかけた。
「決めた。君の名前は」
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