太陽の鍵
案外なんの妨害も無く、ザイルが馬車を隠したところへと辿り着いた。もっと苛烈な妨害を受けると思っていただけに、拍子抜け、といった印象だった。
馬車はボロボロすぎて壁が穴だらけの”元建物”としか言いようがない場所に隠してある。こんなスラム街ではまともな厩舎は期待できないし、誰も住んでいなそうかつ馬車を隠して停められそうな場所など、この程度しかなかったのだ。
周囲を警戒しつつ、馬車の中へと入る。中ではザイルが足を伸ばしてくつろいでいた。だが一つ、普通のはずのザイルに目を引く要素が追加されていた。聞きたくなったが、ジェッスにはそれがわずかに恐ろしい。
「ザイル、なんで返り血を浴びている?」
(聞いた!?)
ジェッスが怯えている最中、ジンがごく当たり前のように尋ねた。
ジンの言う通り、ザイルの顔や服の一部には明らかな返り血がポツポツと付いていたのだ。まるで模様のようにされ見えるほど、わずかに。
「やんちゃな奴が遊びに来たんで、遊んでもらった」
「そうか」
(そうか!?)
遊んだとこともなげに言い放つが、簡単に言えばボコって捨てた、だ。ジンも当たり前のように受け入れているが、明らかに相手を瀕死に追い込んだであろう返り血の量に、ジェッスは内心若干引いてしまっていた。
ジンがザイルの正面に腰をおろすと、ミリルもジンの隣に座りまた腕を組んだ。あまりにくっつくので、ジェッスは心の中で呆れた声をあげる。あまりに露骨だとバレてしまいそうなので、心の中でさえ小声にして。
ジンが手で少女に座るように促した。少女は素直に、できる限りミリルに近づいた位置に座る。
「んで? その子供は?」
見た目のイメージではそう年齢が離れていないが、彼らの魂の経歴を考えると、ザイルからすればよほど子供に感じられるのだろう。
そんなどうでもいいことをジェッスは心で呟きながら、ことの成り行きを見守る。
「チンピラに絡まれてたんでな。助けた」
ジンの説明を聞いたザイルは少女、正確にはずっと抱きしめるように持っている袋に目線をやった。ジェッスが視線の動きを理解できるくらい露骨に。
ザイルの視線に晒された少女は、居心地悪そうに身を捩る。当然だろう。ザイルは未だ返り血を拭いていないし、喧嘩した直後だからか目つきは獲物を前にした蛇のように鋭い。あれでは怯えさせて当然だ。
「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな」
「……ジッ、ジェーン」
やけに視線を彷徨わせながら少女が名乗る。
ジェッスは「そうなんだ」程度のことしか思わなかったが、自分と少女以外が不満とも苦笑いとも言い切れない顔をしていて、首を曲げることになる。
微妙な空気感に気づいたのか、ザイルがため息を吐いた。
「嘘をつくならもっと上手にやれ」
荒々しく立ち上がり「顔洗ってくる」と言い残して馬車から出ていった。
背を見送ってから、ジンは困ったような微笑みを少女に向ける。
「今の嘘は良くないな」
「どうして……ですか?」
「言い方からして名前が嘘ってバレバレ」
少女はぴくりと肩を揺らす。
ジンは少女の目の前で人差し指をピンと立てた。
「嘘のつき方が下手ってのはこういう事態を招く」
それだけ言って、手でミリルを指す。ミリルは身を乗り出してジンにもたれかかって少女にできる限り近づいた。
「名前は言い慣れてない風だったしまず偽名、それでジェーンっていうのは、ジェーン・ドゥ、名無しの女性を表す言葉。つまり多少教養のある立場の人物。それで何か大事そうにものを持っていて逃げ回っていたとなると、貴族か何かだと想像はつくわ」
「なんで貴族だって分かんだよ」
「大人が大人数で追いかけまわすなら、それはよほど価値があるのよ。貴族か、歴史ある家系なのは間違いない」
ザイルの疑問にも当たり前のように答えてみせる。
ザイルも知識がないなりに自分の知見に置き換えて考える。一応理屈は通っているように聞こえるし、実際間違ってもいないのだろうと思う。だがだとしたら、警戒すべきだと感じた。
ここはアロンから離れているとはいえ、この街も同じアイル国内には間違いない。それに貴族同士は一定のコネクションを持っているものだ。
仮に自分たちのような怪しい一団を警戒するように連絡を受けていたら。ザイルの腕に自然と力が籠った。
チラリと少女を見る。自分のついた小さな嘘から、かなり素性を察されたことで少女は目に見えて動揺している。
震える少女に、ミリルが優しく触れた。まるで壊れ物に触れるかのような繊細で丁寧な手つきで。
「ねえ、私たちのこと信じられない? 初対面だし、当然信じられないのはわかるよ。でも、助けてあげたじゃん」
「……」
「まだ多分、君は狙われている。けどさ、私たちは狙わないよ」
少女はまだ納得はいっていないようだったが、抱き抱えていた袋をキュッと握り直した。
「……キクリ」
小雨の雨音ほどの小さな声でぽつりとこぼれた声。
ジンとミリルは、優しい老夫婦のような慈愛に満ちた笑みを浮かべた。
「そうか。キクリ。ではその中身について、教えておくれないか? 守るためには、必要な情報なんだ」
キクリはやや納得できていないような顔だったが、やがて袋を床に置き、ゆっくりと中に手を入れた。
現れたのは火をつけるタイプのランタンだ。決して汚れてはいないが、やけに古いものであるのが素人目にも見て取れる。だがそれにもかかわらず、煤っぽさがどこにもなく、富裕層向けにごく最近作られた上等なものであるようにさえ見える。
「これは?」
ジンはランタンを繁々と眺めながら聞く。ミリルも体制を変えながらジロジロ見回している。端っこで立っていたジェッスも思わず近寄って眺めてしまう。惹きつけるような魅力を、ランタンは放っているように思えた。
「太陽の鍵、わが国に伝わる宝具です」
それを聞いた瞬間、ジンとミリルの目つきが変わった。さっきまでは興味が主体だったが、今は驚きに変わった。
宝具、と言われようと、ジェッスには「そうなんだな」程度の言葉しか出てこない。
ジェッスの知識では宝具がどれだけすごいものか理解できていない。アロンからこの街、ゲラオスに来るまでに、ザイルの持っている刀が宝具であると教えてもらいはした。特別な力を持った、魔具の上位存在的な道具であると。
ジンは恐る恐るといった様子で手を伸ばす。
「太陽の鍵と言ったね。これの機能は?」
「よくわかっていません」
「どうしてこれを持っていたんだ?」
「……これは、もともと私の家にあったんですが、盗まれて、取り返したら、逃げることになって」
言葉が終わりに近づくにつれて、どんどん弱々しく、小さなものになっていった。
ミリルはジンから一度離れ、キクリを優しく抱きしめた。その表情はまるで母親のようで、十代である見た目の年齢と三十を過ぎてようやくできるかどうかという優しい表情のギャップが、ジェッスには少し気持ち悪かった。
「……君は、貴族なのかな?」
「…………はい」
ジンの問いに、長い時間悩んでから答えた。
ジンは顎に手を当てて、木目をじっと見つめた。どうやら何かを考えているらしいことはジェッスにも分かったが、何を、までは想像すらもつかなかった。
ミリルが寒空の下のように手を揉み合わせた。その動作が手に魔力を集中させる行為であると、ジェッスにはなんとなくわかった。
目つきをやや変えながらゆっくりとランタンに触れた。傷に触れるよりも丁寧に、赤子に触れるよりも大事そうに。ジェッスにはその動きがやけに大袈裟に見えた。そしてそれが、恐れを含んでいるようにも感じられた。
「年代……は流石にわからないけど、かなり古い魔力……少なくともわた、ドミの時代より更に前ね」
「そうか……だとしたらこれが狙われる理由は多分金銭だけじゃないな」
二人が考え始めたのを横目に、少女をチラリと見る。さっきまで震えていた少女は、太陽の鍵と呼ばれたランタンを見つめ、不安気に瞳を揺らしている。その様子が奴隷時代の自分と重なって、少しかわいそうに思えてしまった。
「どうした? 気にするなよ。こいつらお前を抱え込みたくてやってるんだ」
太陽の鍵に集中している二人は、ジェッスの声に気づかない。
キクリは、ジェッスへ遠慮がちな視線を向けて、ややぎこちなく笑って見せた。その顔を見た時、ジェッスはなぜか肋骨が痛むのを感じた。筋肉痛のようというか、骨が軋むようというか、今まで知っている痛みとは、近いようで遠い痛みだった。
不思議に思って自分の胸を触っていると、後ろから馬車の垂れ幕が揺れる音がした。そちらからは、ザイルが、再び返り血まみれになって入ってきていた。
ジンが露骨に不快そうに眉間に皺を寄せてザイルを睨みつけた。
「お前血は落としてこい。室内が汚れるだろう」
(そこじゃない!!)
少しズレた指摘にジェッスは心の中でツッコミを入れた。キクリと視線がかち合う。どうやら気持ちは同じらしい。
ザイルはめんどくさそうに手を何度か振り、馬車の外を指で刺した。
「なんなんだあいつら。馬車から出たら速攻で囲まれたぞ。二、三人ボコったら更に何人も出てきやがった」
途端、馬車内の雰囲気が大きく変わった。極寒のような肌を突き刺す空気が、ジンとミリルを中心に広がる。
咄嗟にジェッスはキクリの側に寄る。かつて自身の感じた息苦しさを、目の前の弱った少女に与えさせたくない。
しかし動揺していても殺気を抑える程度の配慮はできているようで、キクリが苦しさを感じている様子は無い。
二人はすっと立ち上がりやや乱暴に垂れ幕を開けて馬車の外に出た。そしてボロボロの建物から外に出る。
スラムに似つかわしく無い上等なスーツを纏った男たちが、ぐるりと馬車を取り囲んでいる。全員が銃や刃物やらの武器を持っていて、表情に緩みは一切なく、油断ない瞳を馬車に向けていた。
そんな彼らに、ジンはただ、笑ってみせる。
「どうもみなさま。どんなご用で?」
笑みには油断など一切ない。ただ、剣呑な殺意を潜めるばかり。
ここまで読んでくださってありがとうございます! 感想! ご評価! お待ちしております!




