新たな町、ゲラオス
アロンを出て三日。ジン一行はようやく次の目的地である街、ゲラオスにたどり着いた。
のだが。
「なんだこの街は」
ザイルが呟くのも仕方ない。
まずアロンは近くにサリアケの森という魔獣頻出地域があったために、街の周囲を壁で囲っていた。その壁が街への侵入者を制限する役割を同時に担っていた。他の街に同じものがあるとは思っていないが、似たような設備があるとは、貴族としてのネットワークで聞いていた。
ゲラオスの街には、街道との区切りというものが存在しない。街道直結というのはいいとしても、街へ入ったのかどうか即座に判断できないというのは問題がある。外敵の侵入に対しても反応できないし、どんな人間が街に入ってきたのかもわからないというのが問題だ。
その時点でジンは眉間に皺を寄せていたが、馬車が街の奥に近づき、建物が周囲に増えるにつれて、ゲラオスの都市機能が失われていることがすぐにわかった。
建物はいずれもボロボロ。なんとか柱のおかげで建物の体を成しているように見えるだけで、壁は穴だらけで柱に壁だったものがへばりついている状態の建物もある。しかも放置されて長いらしく、壁のかけた部分が雨風によって擦り切れ、断面がなだらかになっている。
極め付けは人だ。
地面には酒瓶と共に老人に見える風貌の中年が多く寝転び、若者たちはそんな中年を複数人で蹴り飛ばして笑っている。反対側を見ると、素肌にタトゥーが見え隠れしている筋肉のある女が、細身の男の股間を蹴り潰した。
「どーやら楽しいとこなんじゃないの?」
ザイルがニヤリと笑って言った。笑顔の下品さに、ジンは呆れながら息を吐いた。
この様子では街に何かしらを期待することはできないが、とりあえずそれらしい場所に馬車を停めて、店らしき場所を探して補給を図らなくてはならない。
「さて、店はどこかな」
馬車から降りるための階段があるというのに、大袈裟に飛び降りて、額に手を当てて周囲を見回す。隣に同じく降り立ったミリルは、すぐにジンの腕を抱き寄せた。
「へ、いい女連れてんじゃねえの」
じゃり、と踏みしめる音がしたかと思うと、そこにはスキンヘッドの二人組が居た。
「もらってくぜ? 女と金、あと馬もか」
「……やると思うか?」
睨みつけながら殺意を送る。プレッシャーが周囲に広がった。
何度か経験した空間で、ジェッスは自分の喉を摩る。あの息苦しいオーラが放たれているというのに、なぜか今は普通に息ができている。
成長した? そんなほのかな期待感が胸の中で暖かに広がっていく。
「言っとくが、成長したんじゃなくてジンが殺意の対象を絞ってるだけだぞ」
心境を完全に読み切ったらしいザイルが、同情的な視線を向けながら肩を叩いた。わずかにムッとする気持ちが表情に現れ、それを笑われてしまった。
冒険者委員会の時ほどではないにしろ、強烈な殺気が放たれているはずなのに、スキンヘッドたちは一歩、また一歩と前に進んでくる。その様子を見て、二人を相当な強者と考えてジェッスは体内を巡る魔力に意識を集中させる。
火を手に灯そうとしたが、ザイルに腕で止められてしまった。
「やめとけよ」
「なんで。ジンの殺気に反応しないなんて、あいつら」
「反応しないんじゃねえよ。気づいてねんだ」
「へ?」
「あいつらとんだしろーとさんだぜ」
心底呆れたようにため息と共に呟いた。
ザイルはすっかり気分が萎えてしまったのか、馬車に入り床下にある倉庫の荷物を整理しに戻った。
置いてけぼりにされたジェッスは困惑しつつ、成り行きを見守ることに。
ジンの殺気を気にすることなく、スキンヘッド二人は近づき、片方がおもむろにナイフを取り出した。だがナイフを視認するやいなや、ミリルの槍のような蹴りが繰り出され、指が砕けたであろうベキベキという耳障りな音を響かせながら、ナイフを空へと蹴り飛ばした。悲鳴を上げる間もなく、第二撃によりスキンヘッド二人のこめかみが衝突して意識をナイフと同じように意識を飛ばす。
圧倒的の一言では済まされない蹂躙ぶりに、警戒心を最大限に働かせていたジェッスは、どうにか「は」とだけ漏らすので精一杯だった。
「なにが起こった?」
「蹴って気絶させた」
わからないの? とでも言いたげなミリル。目の前で起こった事象を説明して欲しかったのではない。流石にそれぐらいのことはジェッスでもわかる。
「この街の程度が知れるな」
ジンが心底呆れた。とでも言わんばかりの声色で言った。
底冷えするような口調に、ジェッスは若干憂鬱になりながらも、ジンの方へ視線をやった。視線の意図に気づいたのか気づいていないのか、歯の隙間から擦るように息を吐いて、ジンは再び言葉を紡ぐ。
「拳で相手を殴れば金を貰えて、飯が食えていたんだろうな。だから今回も簡単だと思って、俺たち相手に仕掛けた。簡単に金を手に入れられていたから実力が伸びることもない。全く、悲しくなるよ」
言葉が続くにつれて、声の気だるさは増していった。
心の中で一体どんな考えが渦巻いているのかは測れないが、ジンにとって、目の前で気絶しているスキンヘッドたちが好ましい存在でないことだけは確かだ。
程なく荷物を整理し終えたのだが、このままでは馬車ごと奪われかねないということで、柱だけがなんとか残っている枠の中に馬車を停めてできるだけ見えないようにした。
「まあでも、一応馬車番要るだろ」
と言って、ザイルは一人残ることになった。
実力的にも正しいのだが、ジェッスとしては少し嫌だった。
「ねえジン。あれなにかな」
「いやあ期待しないほうがいいと思うけど」
腕に抱きつきながら歩く女と、それを当たり前みたいに受け入れている男の隣を歩くのは、なんとも言えない気まずさがあるから。常識と言える常識は知らなくても、その程度の感覚は軍の社会生活で身につけている。
街を歩いて観察する。アロンと比べて酷い有様、というのは最初の段階でわかっていたことだが、改めてみると酷さの本質がわかってくる。
一言で表すと治安が最悪なのだ。暴力がそこかしこで起こっているし、それを止めようとする人間も居ない。どころか対岸の火事を酒の肴にゲラゲラ笑って楽しんでいる始末。女が暴力を振るわれていようと、子供が悲鳴をあげていようと、楽しんでしまう街。それがこのゲラオスなのだがと、たどり着いて一時間もしないうちに理解させられた。
だがこんな場所にも一定の秩序は存在しているようで、ホームレスらしき風貌の男が場所を変えて寝転ぼうとすると、後から来た同じような格好の男が退くように命じた。一触即発かと思いきや、後から来た男に素直に場所を譲るではないか。これにはジェッスも驚きを隠せなかった。何せ暴力とケンカで成り立っている街だと思っていたからだ。なんの罰があるのかはわからないが、不思議なルールとシステムがあるからこそ、ゲラオスはギリギリ街として成り立っている。それを象徴するような光景だった。
三人が道を曲がると人で賑わう通りがあった。
通りの横には土の上に無造作に置かれた野菜や魚があり、それらを取引している様子。だが値札らしきものがなく、売り手と買い手の話し合いで値段を決めているようだった。
ジェッスの意識を引いたのは、この空間に異様に人が集まっていることだった。この街に入ってからも、どこを見ても人が居たが、通りに入ってからさらに人が増えたように感じる。
「典型的なスラム街だな」
目の前から来た老人をするりと避けながらジンが呟いた。
スラム街とは、簡単に言うと貧困層の人々が密集した治安の悪い地域、あまり好まれない地域だ。
人はその場所に一定の秩序があれば、街と認識する。その場所で生まれていたり、金が無く居着いてしまったりしたら、なおさら。だが、ジンのような政治を行う側の者から見て、このような状態は歓迎できない。国の負の面の象徴になりかねないからだ。眉間に皺が寄るのも仕方ないことだろう。
ジンの眉間を見て、ジェッスはとりあえず、この街がジンにとって好ましくないことだけを察し、二人のわずか前を歩く。服の背をジンが摘んでいるようで、引っ張られている感覚がある。子供扱いされているようで、ジェッスは人知れず苛立った。
通りをすり抜けようとする中で、ジェッスは人と人の向こう側からこちらを睨みつけている存在を目撃した。最初は、偶然目が合っているのかと思ったが、二、三度してようやく、六つの瞳がこちらを睨みつけていると気づいた。
「気づいたか」
ジンが肩を叩いた。そちらを向いて頷こうとして、気づく。
ジンは自分の肩を叩いていて、もう反対側の腕はミリルが抱きしめて離さない。なら、今背中で服を摘んでいる感覚の正体は?
まるで幽霊を見るように、恐る恐る振り返った。そこに居たのは可憐という言葉の似合う少女だ。薄ピンクの艶めいた髪を揺らし、膝を折って背中に隠れるようにして震えている。片手で背中の服を摘んでいたが、両腕で何かが入っているであろう袋を抱きしめていた。
「待て!」
声をかけようとしたが、向こう側から声がして、睨んでいた男たちがこちらへ走ってきた。通りに溢れている人たちにぶつかることも気にせず、時として薙ぎ倒しながら乱暴に走ってきた。
ジンやミリルが警戒しながら戦う体勢を取ろうとした。ジェッスも遅れながら戦おうとするが、後ろの少女が走って逃げ出したことで中断させられる。
警戒する三人の横を、男たちはすり抜けて少女を追いかけていく。すり抜けた時に気づいたが、男たちの格好はパリリとしたスーツで、この街の誰よりも綺麗な格好をしているように見えた。
「今の三人! なんか綺麗な服だった!」
「ああ。どうやら」
「面倒ごとのようね。でも女の子を追いかけ回す三人を止めないわけにも」
ジンはミリルの言葉に頷いて走り出した。
正直ジェッスは面倒ごとに関わりたくなかったが、二人が走り出してしまったので、とりあえず追いかけた。そんなジェッスの姿を、ジンは横目で睨んでいた。
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