達人 参戦
目の前の少女は美しい。
(綺麗だ)
場違いにもジェッスは心で呟いた。それほどに美しいのだから、ある意味仕方ないとも言えるだろう。
当然、腕も体も痛み続けているのだが、一瞬それを忘れるほどの衝撃だったのだ。目の前の光景は。
少女の印象は町で見たときとは全く異なる。ジンに向けていた、僅かに高揚した表情とは違い、ひどく冷たい、殺気のようなものさえも漂わせている。
「それ、しっかり持っててね」
何やら不思議で不気味な光を放つ縄に手首を縛られたまま、ミリルはジェッスが握っている剣に手を伸ばす。そして掬に残った剣に縄を擦り付けて、手首の拘束を解いた。
命じられるまま柄を握りしめていたジェッス。手首を確かめるように擦るミリルが、その間抜けな表情に薄い微笑みを浮かべた。
「みんな! もう逃げられる! 早く!」
ミリルが叫ぶと、向こうからドカドカという地響きにも似た音が近づいてきた。
腕を拘束されたままの民間人が、ずらりと並んで走っていく。時々「ありがとう」とか「助かった」とか口にしているが、止まる様子は見せず脇目も振らず走って行った。
全員が走り去ると、ミリルは深いため息を吐いて倒れている音を睨みつける。
「テメェなんなんだ!!」
さっきミリルに蹴り飛ばされたフード男が立ち上がった。
男は当然怒りながら魔法の爆発を起こす。反射的に体を強張らせるジェッス。しかしミリルは、それを子供のイタズラを可愛がるような、優しげな微笑みで見つめていた。
「やめなよ。私は魔法が解禁されたし、もう戦えるよ?」
「はあ!? 語ってんじゃねえぞ!!」
爆発させながら走り、近づいてくる。
「汎用型魔法応用形、炎の矢」
一切動揺することなく、ミリルは手を銃の形にして、指先から炎の矢を放つ。
目で追い切れないほどの速さの矢が、一瞬にして男の横を駆け抜け壁に突き刺さった。不思議なことに炎は燃え広がらず、矢の形を保ったまま燃え盛っていた。
その魔法を目にした全員が動きを止める。魔法戦闘において、ミリルが圧倒的な格上であるということを理解させられたからだ。そしてミリルが苛烈な戦闘を行わないのは、優先すべき目的があるというのもそうだが、なにより簡単に敵を退けることができるからこその余裕ということだ。
「どう? やめる気になった?」
今度の笑顔はとても優しげだった。それも近所の子供に向けるような優しさを貼り付けたもの。圧倒的強者の自負と自覚。実力差をよく理解できているからこそ出てくる嫌味のかけらさえも無い笑顔。
蹴られてムカつくからといって、その笑顔の意味がわからないほど男は戦闘経験が浅いわけではない。むしろ冷静に考えるだけの余裕が生まれ、クールダウンの機会を与えられた、と感謝の感情さえも湧いてくる。
実力差は明白。兵士を自ら殺してしまったせいで援軍も期待できない。だとしてもだ、溢れ出てしまう好奇心がある。目の前の強者と戦ってみたい、自分の知らない強者の領域を体験してみたい、そんな戦士の本能が、男を野生丸出しの前傾姿勢に変える。
「そう」
戦意を感じ取り、皇帝でも否定でもない言葉をかける。構えすらもせず、ただ体内の魔力に意識を向けた。
男が爆発を推進力にして走り迫る。派手だがそれだけ速い。
ミリルからしてみれば遅い。
爆発の勢いに乗せて振り下ろされた腕を、はためく旗のように回避して軸足を蹴り付けた。移動に爆発の勢いを使っていただけに躱せず、バランスを崩して転倒する。すかさず掌を向けた。
「汎用型魔法応用形、雷の斬撃」
爆発で体を弾き辛くもそれを躱す。人体に命中しなかった雷は床を抉り、カーペットの下にあった石造りの床に深い亀裂を残すほどの攻撃力を晒していた。
「汎用型魔法応用形、水の散弾」
一度指を弾いたかと思うと、ミリルの周囲に顔の大きさほどの水の塊が複数出現した。再び指を弾くと、塊の一つが細かくばらけて雨のように男へ襲いかかった。爆発で受ける。そう判断したが、直前で本能的に回避を選択する。地面に這うようにして攻撃を回避して、通り過ぎた雨が当たった先を見ると、惨たらしいほどに穴だらけの壁が完成していた。貴族の館なのだ、壁が薄いわけがない。
(鉄並かよ)
「さあ、どこまでかな?」
静かに、されども隠し切れない好奇心を滲ませて、ミリルは指を鳴らした。
男は爆発に魔力のほとんどを割いた。最低限は身体強化に回し、右腕の爆発に威力を、左腕に推進力を任せる。かすり傷が無数にできるが、回避と防御はなんとかできている。長方形の廊下を縦横無尽にカサカサ逃げ回るなんとも無様な戦いぶりだが、なんとかできているのだ。それだけでも褒めてもらいたいと、男は心で呟く。
ミリルの周りの水が消えていく。塊がなくなれば、リロードの時間が必要になるはず。そうなればようやく男にも反撃のターンが回ってくる。
そこまで考えて、ふと思い至る。
これほど実力の差があって、あれだけの数の残弾があって、どうして一度も命中していないんだ? と。
最初に発生した水の塊は一眼では数え切れないほどあった。それが細かい水の弾となって放たれている。かすり傷こそ無数にできたが、はっきりとした命中は未だ無い。
水の塊が、残り三つになった。
(あと少しだ)(何を狙っている?)安堵と疑問が同時に頭で浮かんだ。
突然脇腹に痛みが走った。眼球だけを動かしてそちらを見ると、ジェッスが柄を必死に握って、自分の脇腹に剣を突き刺していた。
なんとかジェッスを蹴り飛ばして距離を取る。脇腹には未だ刃折れの剣が刺さったままで、抜くよりは出血が少なく済んでいる。蹴られたジェッスは、出血した口元を拭い、ミリルの隣に立った。
目の前の光景で、ようやくミリルが何をしていたのかを理解する。後ろに居るジェッスに、回避機動を教えていたのだ。水が命中しなかったのも、ギリギリで躱し続けられていたのも一定パターンで水を発射し続けていたから。速すぎるあまりに気付けていなかっただけで、そもそも当てるつもりが無かった。要するに自分は、戦闘の教材扱いされたのだ。
当然腹立たしいと思う。のだが、怒りを必死に抑え込んだ。こんな大怪我では、ちょっとした動きの出血すらも致命傷になりかねない。
「君はもうほぼ致命傷だし、流石に帰った方がいいんじゃない?」
誰がどうみても聖母のように感じる声色と微笑み。だが、行動の真実が明らかになった今となっては、悪魔か死神の微笑みのようにしか感じない。
「無条件で……逃がすつもりなのか?」
「いいえ」
一度そこで言葉を区切る。
「名乗りなさい。所属と己の名を」
底冷えするような声が廊下に響く。それを聞いた二人の背筋をゾワゾワとしたものが駆け抜け、男は同時にどうしようもない悔しさを感じていた。
名乗るという行為は、今回の作戦を組織名を出さず内密に終わらせたかったという組織へ、そして裏組織との関係を明言することで被害を被る貴族側、両方への背信行為だ。生き残るためならば、なんの抵抗もないが。
「組織の名はテネスキュリテ、俺はメビュム・デミアだ。そっちは名乗ってくれないのか?」
いたずらっ子のような口調だった。さっきまで爆発させていた男が言ったとしても、かけらも可愛く見えないが。
ミリルは顎に手を当て、少しの間考える。そして口の端を釣り上げて笑いかけた。さっきまでは美しいという表現が似合っていたが、今の笑顔は、悪魔的とさえ言える妖しさを放っている。
「アリシア・ステイル。それが私の名」
「……伝説の王国の王妃ってか? ざけんな偽名じゃねえか」
派手な舌打ちと共にミリルを睨みつけるメビュム。
ジェッスはアリシアという名前を知らない。故にメビュムが何に苛立ちを抱いているのか理解できなかった。だが、ミリルが偽名を名乗ったことと、圧倒的な魔法の実力から、ジンの圧倒的な実力に関連する人間であるのではないかと、無い知識をそれなりに使って察した。
メビュムはしばらくミリルを睨みつけていたが、答えてもらえないと雰囲気で察し、殺意を隠しもしない笑みを浮かべた。
「じゃあまた、リベンジさせてもらうよ」
「ええ。その時には、このジェッス・ドミラスが倒す」
さぞ当たり前のようにジェッスを手で刺した。
お前など相手にはならない、こいつがお似合いだ。と言外に告げられた気分。
激しい怒りに苛まれながらも、口の内側を噛んで爆発を起こす。爆風がより強く起こるようにチューニングした爆発を。
黒煙が一気に廊下に広がり、反射的に口を塞ぐジェッス。煙はすぐに晴れて、そこにメビュムは居なかった。
「いいのかよ。逃して」
わざと逃したというのは、経験浅いジェッスにも理解できる。その質問に対して、ミリルはつま先で床を叩いた。爆発により剥き出しになった床で、響く音がジェッスに発言を許さないと告げる。
「経験が違うの。ああいう手合いは、いずれ、またどこかで交わる相手。だからいい。それに逃した方が得策なこともあるの」
「……そうですかい」
何を言っていいのかもわからず、なんとなく知っている敬語も言えない敬語で応じた。
ジェッスの態度を見たミリルは表情を切り替えて、一転冷たい顔でジェッスを見下ろす。雰囲気が自分を管理していた軍の上司に似ていて、思わず後退りしてしまう。
「それで? 一緒にいたジンはどこ?」
煽る時でさえもニヤついていたミリルの冷たい顔というのは、全ての感情が抜け落ちてしまったようで、途方もなく恐ろしく感じられた。
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