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貴族の街へ

 それから、すぐに夜が訪れた。


 休憩と睡眠に時間を割いたのと、グォンに関しては警備隊の仲間へ根回しするのも時間が掛かった要因だ。かけた時間の分だけ完璧に根回しできたと、自信をもって言える。

 三人は簡単にまとめた装備をもって、アロンの第二城壁の前に立っていた。火事から一日が経って、ようやく空が真っ暗になり、侵入には絶好の時間となった。これから七十メートルはあろうかという壁を登り、貴族の住む場所へと押し入るのだ。


「では頼んだ」


 腰に刺した剣を揺らしながら周りの警備隊を見回す。


「はいグォンさん! 必ず市民を助け出してください!」


 グォンは、厳選した信頼できる警備隊たちに周囲の警戒とその後の管理を任せ、市民救出計画に参戦することにした。


 ジンは改めて目の前の壁を見上げる。

 敵の侵入を阻むための壁だ、当然高い。なんとかロープを頂上に引っ掛けるのでは登れない。なのでジンとグォンは汎用型魔法である身体強化を発動し、登山にも使用されるアンカーを突き刺して登り、ある程度登ってからロープをくくりつけたジェッスを引き上げるという登り方にした。これなら身体能力の高い二人はスルスル登ることができるし、運動ができたとしても流石にこの壁を登ることができないジェッスをすぐに引き上げることができる。


「では始めましょうか」

「そうだな。では私が先行しよう」


 ジェッスのみならばともかく、今は人前だ。お互いに立場に相応しい言葉遣いをしなくてはならない。そう、仕方ないことなのだ。それでも、グォンの顔が違和感と罪悪感にほんのわずか歪んだのを、ジンは見逃さなかった。


「いや、俺が先に行きましょう」


 前に立つグォンを押し除けて前に出る。警備隊がやや苛立ったように見えたが無視だ。


「できるのか?」


 煽るようなセリフには、心配と申し訳なさが隠れている。

 ジンの前にあるのは高い壁だけ。誰にもわからない場所で一人、子供のような笑顔を浮かべた。


「このところ運動不足でね」


 身体強化の魔法を発動させた。全身の筋肉に血が改めて流れたような感覚がして、固まっていたものがほぐれていく心地よい充足感に満ちる。

 猫のように身を縮め、一度強く跳躍した。壁に接触する瞬間にアンカーを深く強く打ち込み、そのアンカーを蹴ってもう一度跳躍、また接触の瞬間にアンカーを打ち込む。これをさらに三度繰り返し壁の頂上に辿り着く。


 登ってくること自体を想定しなかったようで、迎撃用の装備や砲台などはあるものの、警備や見張りらしき影はどこにもいなかった。

 その場でアンカーをこれまでで一番深く突き刺し、ロープを巻きつけて垂らす。下を覗き込んで、手元に魔法で火を点けて消し合図を出す。暗いせいでよく見えなかったが、下はどうやらざわついているようだった。


 ジェッスはそのロープを登り、グォンはジンが突き刺したアンカーを足場代わりに跳ねて登った。


「どこか運動不足なんです?」

「ん? 鈍ってるだろ?」


 人からみれば十分以上の運動機能だが、ジンからすれば求める基準には到底届かない。

 なぜだか苦笑いするグォンを無視し、ロープを登ってくるジェッスを見下ろす。まだ壁の三分の一にすら到達していない。魔法の使えないジェッスの身体能力からすれば当然だ。


「……手貸してやるか」


 隠密性もジェッスの成長の機会も大事だが、市民たちが奴隷として売り出されるまでの時間との勝負。ここでグダついても仕方ない。


「ジン様、まさか力場グランを?」

「ここまで来たらもういいさ。どんな奴らが目をつけてこようと、うちのめすだけだ」

「……そうおっしゃられるのであれば」


 諦めを口にしたグォンに、無駄に気持ちを込めたドヤ顔を返す。

 健気に登り続けるジェッスに人差し指を向ける。


偉大なる上昇(グラン・リフトアップ)


 人差し指が上を向くと同時に、ジェッスの周囲に力場が発生した。上方向に力を向けている力場だ。登っている途中のジェッスはその力場に弾かれて、ロープを握ったまま物理法則を無視して空へ飛び出した。


「うおわあああ!?」


 無様な叫び声を上げて城壁の頂上に落下する。落ちた時に痛めたのか、顔を顰めて背中を摩っていた。


「はいお疲れ」

「また魔法かよ……! ずっけぇ」

「ははは、悔しかったら身につけてみろ」


 まだ基礎の基も修めていないような人間に、身につけた魔法をずるいだなんだと言われたくはない。


(いや、ずるかもな)


 心の中で呟いた。


 力場(グラン)を完成させたのはドミ・ステイルだ。ジン・ラバウルではない。自分の十七年の人生で得たものではないのだ。等身大で今の人生を必死に生きている人たちからすれば、ずるいと言っても仕方のないこと。力であれ、知識であれ、尊いのはそれを得るためにしてきた努力。それを省いて力を得た自分は最低だ。いつでもそう思えてしまう。


「ジン様、大丈夫ですか?」


 グォンが心配そうに覗き込んできた。


「いや、なんでもない大丈夫だ」


 手を振って誤魔化し、登ってきたのとは反対側、貴族街がある方を覗き込む。店らしき影は一つも見えず、建物も指折り数えられる程度。しかし建物の一つ一つが異様にデカく、民家、というよりは館と呼ぶべきだろう。ドミの時代では上流貴族や王族の建物だったが、今は貴族であれば大きな館に暮らすことができるのだ。財という面で、豊かにはなっている証拠、とは言えるだろう。ジンからすれば複雑なものだが。


「飛び降りるか?」


 こと戦闘において、ジンはまどろっこしいのが大嫌いだった。貴族のたぬきどもと無駄に複雑な心理戦ばかりさせられているのだから、戦闘でくらい分かりやすく殴り合うのが良いのだ。だからこういう時に大雑把さが出てしまう。

 ジンとグォンからすれば、飛び降りる程度は容易い。身体強化で体の機能を向上させ、壁を滑るように降りれば怪我などしない。

 壁から下を覗き込んだジェッスは分かりやすく顔が青くなった。下が遠すぎて、巡回警備兵らしきものが豆粒に見えるのだ。これほどの高さから飛び降れば、骨折ですら良い方なのだ本来は。


「いえ、そこに兵士用の階段がありますので、そこから降りましょう」


 流石にジェッスを不憫に思い助け船を出す。グォンが指差した先には扉と、簡単に作られた小屋らしきものがあった。


「中には物資運搬用の滑車があるので、楽に降りられますよ」

「そうか。ならそうしよう」


 ジンとしても、体力を温存できるのならそれに越したことはない。

 気配で大体わかっているものの、慎重に扉を開けてから、運搬用の台に乗り滑車を動かした。




 地上に降りて静かな芝生を駆ける。市民は一日一日の生活に必死だというのに、貴族街の芝生は丁寧に整えられたのが一眼でわかるほどだった。どれほどの金を注ぎ込んだのだろうか、考えるだけでも腹が立ってくる。


「真正面の館を通り過ぎて、さらに奥の方にある一番大きな館。それがこの街の筆頭貴族、ディモス家の館です」


 それ以上に不安だった。実力が不足しているジェッスのことがではない。自分の王のことが、心配で不安だったのだ。


(王よ。気づいておられますか? あなたはこの世界と自分を、切り離して考えておられる)

 心のうちを完璧に知ることはできない。それでも、互いをよく知るからこそ察せることもある。

 グォンは気づいているのだ。ジンがドミ・ステイルとジン・ラバウルを切り離して考えていることを。

 グォンにはそんな心理はなかった。王に対し忠誠を捧げることことこそが人生。昔も今も依然変わりなく。其れが人生。

 捧げる者と導く者。その差が生んだ心理の違いなのだろうか。グォンに計ることはできない。

 だがだとしても、今はただ、王の怒りに身をまかすのだ。




 グォンしか気づいていない真実。王は怒り狂っている。己でも気づいていないほどに。この街に、あるいはこの時代に、またあるいはこの世界に。その怒りの矛先がどこに向かうのか、グォンにも見極められない危険な刃を、生徒の決断のまま成り行きのまま見守ろうと、元王族直属教育係バウン・ガダモイルは密かに誓った。


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