目の前に現れた死線
ようやく辿り着いたディモス家の館の前で、人目を警戒しながら這い回る。どこかに侵入経路となりそうな場所はないものか? と。
館は三階建てだが、窓の数がかなり多く登ろうとしてもまず見つかってしまう。バルコニーは三階にポツポツとあり、そこから侵入できないこともないだろうが、夜にバルコニーが隙だらけのはずがない。
「いかがいたしますか?」
グォンが尋ねるが、その目にはすでに決定した作戦があった。
ジンも概ねはそれに同意する。あとはどう実行するかだ。
「なんだ? どうする気だよ」
唯一理解できていないジェッスは不思議そうに二人の顔を交互に見た。
「今回の最優先を、最初に達成する」
ジンはグォンの目だけを見ていた。グォンもまたジンの目の奥、王の意思とも呼べる部分を見つめる。信頼と期待に満ち溢れたそれに報いることは家臣の本懐。心が湧き立ち、沸騰して溢れ出しそうだ。
思わず膝をつき頭を下げた。王の間でもないし玉座があるわけでも、壁に並んだ家臣たちが居るわけでもない。それでも頭を下げた姿は、なぜかジェッスには荘厳に見えたのだ。
「グォン、先に俺がバルコニーに飛んで、また魔法でお前を上に上げる。そこから侵入するぞ」
「はあ? そんなことしたら、中のやつに殺されるだろ」
「だから、私がやるのさ」
そう言ってグォンは立ち上がる。腰に刺した剣に手を当て、わずかに微笑んでいる。その笑みがジェッスには、妙にかっこよく見えてしまった。自分を痛めつけてきた元同僚たちとは違う、勇敢さや誇り高さに満ちた戦士の微笑みだから。
二人の元を離れ、グォンは館の入り口に向かう整備された道を堂々と歩く。
館の前を整備する二人の兵士が、不思議そうにグォンを見つめ剣を抜く。グォンもまた重そうな鉄鎧に身を包んだ二人を見つめた。
ガリガリとデブのコンビ、顔に見覚えはない。冒険者崩れの傭兵、もしくは元軍属といったところだろうか。装備が鉄鎧なあたりは、最新鋭の装備を取り入れている軍ではなく、安価を優先する冒険者崩れの可能性が高い。冒険者崩れならば、相手の戦術の予想がつかないため慎重に戦う必要があるが、確立された訓練で鍛えられた元軍属であれば御し易い。
「止まれ」
警備の一人、細身の方がグォンに切先を向けた。
当然の行動だが、グォンからしてみれば遅すぎる。
ステップのように地面を蹴って軽く跳躍する。運動能力の全盛期を過ぎているであろう男の急加速に、警備の二人は動けなかった。
二人の顔を掴み、館の扉へ叩きつける。爆発音と思うような派手な音がして、木製の扉が粉々になった。
押し入ったグォンが見たのは、入り口付近に集結した数え切れぬほどの警備たち。入り口の警備と服装が同じあたり業務中なのだろうが、皆余暇を過ごしていたようで、片手に飲み物を持っている者も居た。
「誰だジジイ」
「俺を知らないとは。やはりこの街以外の人間か……そしてそんな人々を数多く雇うということは、予想していたなこの状況を」
怒りが首をもたげた。点火され、沸々と湧き上がってくるようだ。しかしすぐに鎮火される。
別に怒りが消えたわけではない。ただひたすら、王への忠誠あればこそ。王は自分以上に怒り狂っておられるのだ。その王が自分の民でもない人間の救出を最優先にしている。であれば自分が怒りに身を任せるわけにはいかない。
剣を抜く。それと同時に金属が擦れたような音が、部屋の至る所で聞こえた。
鳥肌が立った。風邪でもひいたかのように全身が熱い。なのに不快感が無いのだ。ポンプの速度を上げる心臓にもっと上げろと命令したくなる。数十年ぶりに味わうこの興奮を、決して冷めさせぬように。
「さて、この街の市民は、どこかな?」
表情は冷えたまま、胸の内を燃えたぎらせて走り出した。
三階のバルコニーに潜むジンとジェッスにも、向こうの騒がしさは聞こえてきていた。窓を覗くと、中の警備たちがあっちこっち走り回り、次々に入り口の方へと走っていく。
できる限り気配を消して窓に張り付いて中を覗き込む。窓はバルコニーへの扉も兼ねているおかげでかなり大きくて、かなり広い範囲を見ることができる。
周囲に敵らしき影がいないことを確認してから、持ってきた小さなハンマーで窓の鍵の付近を殴り、穴を開けて手を突っ込んだ。まるで空き巣のようだと、ジェッスは心の端でジンを笑った。
廊下自体はシンプルな作りで、電気のおかげで中は昼ほどに明るく、床には赤色の絨毯が敷かれて歩きやすくなっていた。
廊下の奥をそれぞれ見回し、ジンは懐からナイフを取り出した。
「さて、ジェッス。ここで二手に別れよう」
「……ああ」
突如ジェッスの心に不安が訪れる。
今までは強いと知っているジンとグォンと共にいたから、敵陣ど真ん中にいようとも不安はなかった。だがここで別れるとなると流石に恐怖も不安も心に生まれてしまう。
ジンと目が合う。やや呆れた様に笑っている。どうやら不安に感じているのは見抜かれているらしい。
「まあ危ないだろうからな。これを持っていけ」
ポケットから笛を取り出した。ジェッスにも見覚えのある形の笛、魔具”退獣笛”だ。
「危険が迫ったらこれを吹け。助けにいく」
「お前は?」
「……俺が負けると思うのか?」
ジンは口角を上げて、わかりやすく笑ってみせた。
自分とほぼ変わらない年齢の男が、ここまで頼りになるとは思っていなかった。
ジンはジェッスと真反対の方へと歩いていく。ジェッスも腰に刺している剣を抜いて、できる限り足音を立てない様に歩き出す。邪魔になるからしまった方がいいのだが、片手に退獣笛を握りしめたままだった。
ゆっくりと廊下の角から顔を半分だけ覗かせる。誰も見えず、そこには広く長い廊下が広がっているだけ。
静かな廊下を歩く。窓の向こうには暗く誰も居ない見事に整えられた芝生の広場があるだけ。
歩きながら、二人の様子を思い出す。ジンとグォンは、この貴族街に誘拐されたという人々が居ると確信しているようだった。そこのところ、ジェッスはまだ半信半疑だった。現場に居なかったので、誘拐されていたという事実はあったとしても、それがなぜ貴族街に居るのかというのが分からなかった。ジェッスが奴隷商ならばすでに売り捌いている。
まあ、正直どちらでもいいのだ。ジェッスの心にあるのは別に正義では無い。シンプルに表すのならば、ムカつきだ。偉そうな連中を、自分を虐げてきたクズと同じ連中をぶっ殺してやりたい。ついでに今までの自分と同じ、人間扱いされなくなる”同族”を助け出せるのであればそれに越したことはない。
ジェッスの中にあるのは、その程度の認識なのだ。
廊下の壁には等間隔に扉があった。ジェッスの知識にある似た空間は、国軍の建物くらいだ。元々居た国軍の建物で扉の多い廊下は、だいたい物置か会議室、兵士の待機室だ。奴隷として誘拐された人々が居る可能性がある。ただ、同時に兵士と遭遇する可能性もある。
「……まあ、仕方ねえか」
どちらにせよ危険な状況なのだ。適当に扉を開けてみるのも一つの手だろう。
一度生唾を飲んでからドアノブに手をかける。そしてドキドキしながら扉を押し開けた。
「ん? 誰だ?」
そこに居たのは、フードを目深に被った男。顔どころか髪の毛の端すらも見えず、完全に顔を隠していた。
顔は見えていないが、確実に今、目があったとジェッスは感じた。そして同時にジェッスの手前で爆発が起こる。爆風に飛ばされて、廊下の壁に背中を叩きつけられた。
背骨に響く痛みを咳き込んで堪えながら立ち上がる。
「侵入者……あっちが騒がしいと思ったら、陽動だったのか」
爆発の原因はすぐに分かった。男が魔法を使ったのだ。
「……お前は泥棒か?」
ジェッスはまず、目の前のフード男を細かく観察した。上半身全体を覆う外套、裾のあたりは動きを邪魔しないように切り込みが入っているなどの工夫が施されている。その隙間から覗く輝きは明らかに金属のソレで、どこからどう見ても、警備や貴族と思える出立ちではない。
「いやあ? いや……まあ、泥棒だし、客でもあるな」
「は?」
「利害関係の一致だけでここにいる。倉庫は一応許可をもらった上で物色していた。猫ババしようとしてたがな」
男は懐からナイフを取り出した。逃げのために後ろへ重心を預けていた体が強張るのが分かった。
「お前、アロンの市民か? まあどちらにせよ目的は市民の解放だろう。何人か現れると踏んでいた」
ナイフの色がわずかに変わったように見えた。光の当たり方が変わったせいかもしれないが、わずかに橙色に輝いて見えるのだ。
「さて、話、聞かせてくれるか?」
ナイフの切先を向けられる。
ジェッスは一度、生唾を飲み込んだ。この問いかけに見える脅迫を飲めば、自分は一体どうなるだろうか。殺されるだけで済めば優しい。偉ぶった連中の醜悪さはその五体でよく知っている。
剣を握る手に力を込める。ジンは別行動、グォンは陽動のために玄関口で戦闘中。つまり魔法の練度で圧倒的に自分を上回る相手を前に、たった一人で逃げるか勝つかしなくてはならないということだ。
ジェッスにとってそれは、歓迎するべき事態だった。
ジンとグォンは強い。経験浅いジェッスですらも理解できる事実。そしてこの戦争で奪い合う世界で我を通すのならば、強さが必要だ。
彼らの強さに追いつくための方法。ゆっくりと魔法を学ぶ? いや遅すぎる。
『死線を潜り抜けた経験が足らない』
今目の前の男こそが、自分にとって超えるべき死線足りえる。実力に開きがあるのは分かっている。だからこそ命をかけて超えていく。
(ここで、勝つ)
己のために、今ここで命をかけるのだ。
狭く暗い部屋に、不相応な人数が押し込められていた。それぞれの手首が縄で縛られて、足は自由ではあるが部屋に鍵がかかっているし、扉の向こうには見張りがいるだろうから出ようとすることすらできない。
この部屋には魔法を使える者も居る。だからこそ歯噛みしてしまうのだ。
捕えられた人間を縛る縄は、全て怪しい輝きを放っている。これは魔封じの印と呼ばれている。科学もある程度発達してきたこの時代に開発された”魔具”の一種で、相手の魔力を妨害する魔力を練り込んだ道具だ。主に軍工場で量産され、主な使い道は魔法犯罪者の捕縛だ。今回の場合は、奴隷の拘束のために使われている。
反撃を恐れる奴隷商としては当然の備えである道具でありこれだけで大きく能力を奪うことができる。外して暴れたとしても周りを巻き込んでしまうし、外に出られてもどれだけの戦力が待ち受けるか分からない。正直、現状では完全に詰みだ。
壁際で子供が泣き始め、側に居たらしい母親が宥め始める。その姿を咎める者は誰も居ない。チラリと見れば大の男だって泣きそうになっているのだ。誰が文句なぞ言えようか。
重苦しい空気の流れる空間で、ただ一人だけ希望を見失わぬ者が居た。その目に宿る輝きは、まだ確実に未来を捉えている。
そしてそれは、きっと起こりうる。
(大丈夫、あの人なら)
その顔を思い出し、愛おしい記憶を抱きしめながらミリル・カルフは状況に不相応な微笑みを浮かべた。
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