貴族への反撃
少し古ぼけた木でできた廊下を、軋ませながら歩き、ようやく部屋に辿り着いた。
「この宿知ってたか?」
「泊まったことはありませんが。新人冒険者が泊まることで有名ですから」
当然か、と心の中で零す。グォンはこの街の住人なのだ、ボロ宿に泊まるわけが無い。
泊まっている立場のジンがドアノブに手をかける。と同時に、部屋に残したジェッスのことを思い出す。
魔法の基礎を教え、その練習をしているように指示を出していた。今は早朝、まあ寝ているだろうと考え、ゆっくりとドアノブを回した。
木材が立てるよりもやや甲高い軋み音を奏でながら扉が開く。
部屋の両端に置かれたベッドの片方に腰掛けたジェッスと目が合う。上半身が膝にくっつきそうなほど落とされていて、やけに落ち込んでいる人にも、変な体勢で眠っているようにも見えた。
音に反応してジェッスが二人を見る。目があったジェッスはひどく疲れているように見える。
「なんだ。起きていたのか」
あえてそれに気づかないふりをして声をかける。
ジェッスの反応を待ったが、頷く様子も無い。何かあったのかと、自然と勘繰ってしまう。
「昨日の晩……大火事があった……」
「……ああ」
「大丈夫なのか?」
ジンはこの言葉がひどく意外に、そして暖かく感じられた。
別にジェッスという人間の全てを理解しているとは思っていない。そもそも人格を図り取れるほど、長い期間共に旅をしている訳では無い。それでも多少は知っている。
特に最近知った彼の過去。奴隷出身という事実。
ドミ・ステイルとして生きていた頃、奴隷出身の人間を数多く見てきた。そんな人々が奴隷から解放され、自由に犯罪を犯す様も。そのような人間が特に多かったのは子供の頃から奴隷にされてきた人間だ。
彼らの多くは、他者を傷つけること、奪い取ることに抵抗を持っていなかった。それは自分がしてきたから相手にしても良いという認識ではなく、そういったことを相手にしてはならないという常識の欠落が原因であった。だからドミ・ステイルは一人一人に徹底して常識と倫理を教えた。より一層犯罪に積極的になる者や、今までの行いを悔いる者と反応は様々で、苦労しながら個人と向き合い続けた。
ジェッスはその常識の欠落の多かった子供の頃から奴隷だったパターンの人間だ。なのに、相手を気遣い、心配する心を持っている。
ジンからすれば、救いの光のようにさえ思える尊さだ。
ちら、と横を見ると、なぜか妙に生暖かい瞳をしているグォンと目が合う。
「なんだよ」
「いえいいえ」
木の葉のような動きで手のひらをはためかせ、ジンの脇をすり抜けて部屋に入り、ジンが使用するはずだったベッドに腰掛ける。
部屋に唯一置かれている椅子は、ジンのための玉座ということだろうが、ジンは柔らかいベッドに座りたかったのだ。
家臣の配慮に内心苦笑いしつつ椅子に腰掛ける。顔の高さが近くなったことで、ジェッスの顔色が視界に入った。下を向いていたせいでできた影だけではなく、顔色が極端に悪かったのだ。
目の下にはくっきり黒いものができていて、どうやら一晩寝ていないようだった。
グォンがわざとらしく咳払いをした。さっさと話を進めたいらしい。ジンは目を伏せてそれに応じる。
「ジェッス、昨日の夜、大火事があった。そのことについてだ」
ぴくりと肩を跳ねさせた。その行動が目に留まるが、ジンは一旦見ないふりをした。
「あの火事は人災だ」
「はあ?」
眉間に深い皺を寄せてジェッスが顔を上げた。ひどく不快そうな顔に、苛立ちと怒りが滲み出ている。
「あの事件の中で、俺たちは犯人の一人を捕まえて、話を聞いた」
「……」
「そいつは下っ端で、計画の全容までは知らなかったが、火をつけ、その隙に人々を誘拐する。という流れだったらしい」
目を閉じると、アズマが涙ながらに語った姿を思い出す。街に火をつけ、人を散々傷つけたくせに、自分が傷つけば子供のように泣き喚く。なんとも身勝手で、傷つける側の気持ちしか知らぬ愚か者の姿だった。
「誘拐?」
火事と繋げるにはやや遠いワードが飛び出し、ジェッスは当然疑問符を口にした。
分かりやすくジンとグォンの表情を確認する。二人の表情は言うまでもなく暗い。
「どうやらこれは、大規模な奴隷誘拐計画だ」
明らかにジェッスの表情が変わった。
二人はその変化の具合に目を見開く。ジェッスの表情は驚愕に変わったのではない、二人以上の怒りと、憎しみや悲しみとも割り切ることのできない複雑な負の感情が見え隠れてしていた。
「どうする気だよ、俺にそれ話したってことは、何かするつもりなのか?」
ジェッスは苛立ちや敵意を隠さず言い放った。
グォンと目を合わせる。ジンからしてみれば相談の意味を込めた視線だ。
今のジェッスは、誰がどう見ても戦意に満ち溢れている。兵士で言えば意欲旺盛な新兵に相当する状態だ。だがそんな兵士は、同時に危険性も孕んでいる。お国のため、手柄のため、金のため、動機はどうあれ、粋がる新兵は自分の実力以上に前に出てしまう。結果敵の剣林弾雨にさらされ、惨たらしい遺体となって帰ってくるのだ。
(似てる……似過ぎている)
ジェッスはそんな新兵に近すぎる。送り出す側がほとんどだったジンからすれば、冗談じゃない。死に急ぐ人間を見るのは、いつだって耐えきれない。
ジンの視線に気づいたグォンが、目を閉じて一度頷いた。問題無し。グォンはそう告げている。
一瞬正気を疑ったが、グォンの判断を信頼することにした。
「おそらくまだ、誘拐された人たちはこの街に居る」
「……なぜだ?」
「この街はずっと警備隊で入場管理がされている。そして奴らはおそらく貴族と結託している。貴族に大きな動きがある前に、俺たちが貴族街に攻め入り、誘拐された人々を助け出す」
「つまり」
「ああ今夜、貴族街へのカチコミだ」
言いながらジンは苦笑いをした。王が言うとは到底思えない、庶民的でかつチンピラ的なセリフだから。
少し怯えながらジェッスの様子を伺う。その瞳には、暗くジメジメとした感情が宿っていた。
「具体的には」
獣が地を這っているような恐ろしさを纏った声だ。二人からすれば子猫の威嚇にも等しい実力差があるが、明確に貴族への敵意を帯びたものであるのは間違いない。
具体案の説明をするには街の知識が要る。顎をしゃくり、グォンに説明を促した。
「この街は筆頭貴族に黙って貴族が行動を起こすことはできない。貴族同士の監視があるしな。だから、少なくとも、この一件にディモス家が関わっている。俺たちは今晩その家に行き、制圧して、最低でも筆頭貴族の権限を使って他貴族を締め上げる」
相手がほぼクロだとわかっているからこそできるめちゃくちゃな作戦だ。行動を起こしてから証拠を押さえようとしているのだから。戦力差だって意味がわからない。二人の実力からすれば問題は無いのかもしれないが、一般人が耳にすれば「命を捨てたいのか」と問いかけるだろう。
「……わかった」
それに対し、何も疑問を口にしないことが、二人にとっては何よりも不気味だった。
話が終わり、ジェッスには休憩と夜まで魔法の訓練を簡単にしておくように命令した。
ジンとグォンはやるべきことのため外に出る。火事の夜が終わり、どれだけ暗い朝になるだろうと思っていたが、面白いほどにいつも通りだった。いや、包帯をしている者や足を引きずっている者も居るし、大きな荷物を持ってあっちこっち歩き回っている者も居る。それでも暗い雰囲気を纏っているものは、ほぼ居なかった。どれだけ辛いことがあったとしても、復興に向かって笑い合い、助け合うその姿。王であった者として、涙を流してしまいそうなほど理想的な光景だ。
今は朝。夜まではだいぶ時間がある。警備隊への根回しや、市民への警戒の促しを行うには十分すぎる程度の時間が余っている。
本当はジンだって眠りたい。こんなに疲れる夜は久しぶりだったから、体がずっしりとした重りを纏っているかのような気だるさに包まれている。だからかはわからないが、一歩ごとにテンションが下がる。
「ジン様、ロープを購入してきます。それと警備隊に警戒と巡回強化、現状確認に」
メモ帳にやるべきことを書き進めながら、グォンがジンに確認を取ろうとした。
ジンは意識的に眉間に皺を寄せた。
十代の体でこれだけ疲れている。正直もう動きたくないとさえ思うほどに。けれど目の前のグォンは、やるべきことを次々と考え出し、さらに動き出そうとしている。
「……お前今いくつだ?」
王から向けられた不審な瞳に、若干の困惑を見せながら答える。
「53ですが」
「嘘だろなんだそのアクティブさ」
一度人生を終わりまで体験しているからこそ老いのしんどさもよく理解している。座り仕事の王様業務ですらも辛い時があったのだ、グォンの動きはジンからしてみれば信じられないレベルのものだ。
グォンは喉の奥で噛み殺すような笑い声をあげて、笑い声とは裏腹に心底可笑しそうに笑った。
「まあ、街で活動してきた人間の違いですかね?」
その言葉はジンにとってかなり痛いものだ。今世にやる気を見出せず、平和な時代だと思い込み森でぬくぬく過ごしてきたのだから。
「……言い返すこともできないな。俺は簡単な武器を調達する。じゃあ後で」
「……我が君」
小さな声だった。雑踏の中で、誰も聞くことができないような小さな声。だがそれがジンには、ひどく大きく響いて聞こえた。
「あなたは……彼を姫君と重ねては居ませんか?」
「姫って……あいつは王位を嫌がった。娘でいい」
「家臣からすれば姫君ですよ」
顎に手を当て、改めて考える。重ねた。その言葉で、改めて考えているのだ。(本当にそうなのか?)と。
結論は早かった。
「どちらかと言えば、側近」
「キエル・ドーリシュ、ですか」
「懐かしい名前だ」
二度目の人生が始まって、自分の歴史をまとめた本を読むまで、思い出すことすら無かった名前。
(あれ?)
改めて考えると、名前を思い出すだけで温かい気持ちになる。愛おしくて、どれだけ落ち込んでいたとしても心が湧き立ってくるような熱を持った愛情。
家族と暮らしていた頃には一度も無かった、今世になって初めて味わう感情だった。
「……まあ重ねているって程じゃない。でもまあ、そうなのかもな」
「そうですか……」
グォンの声が、ジンには少しだけ寂しそうに聞こえた。
向けられている感情がどうにもむず痒くなって、ジンは足を早めた。
「じゃあ後で!」
ほぼ走りと変わらない勢いで、ジンはその場から離れていった。
王が走り去っていた姿を見つめながら、グォンは一人苦笑いを浮かべていた。
完璧に感情を隠したように感じられるジンに、わずかに見えた感情の綻びのようなものを突っついてみれば、照れ臭くなって逃げ出してしまった。
「そういうところは変わらないか」
幼い頃も、王として覇を唱えた頃もよく知っている。世の水も甘いも知り尽くし、成長した今でも、子供の頃のような姿を見せてくれることが、グォンには笑えてしまうくらい嬉しかった。
直後走る胸の痛み。木が軋む音を連想させるような痛みに体をくねらせ、人目につかない路地へと隠れる。徐々に呼吸が速く浅くなって、視界がチカチカと明滅した。呼吸も途切れ途切れになっていく。それでもゆっくりと空気を吸い込み、落ち着かせるように確実に呼吸を繋ぐ。
建物と建物に挟み込まれた狭い影で、グォンはしばらくの間胸を叩いたり、咳き込んでみたり、胸を叩いてみたりして痛みをやり過ごした。
体から痛みが和らいでいく。気持ちを落ち着かせるため、さっきよりも大きく長く息を吸い込む。すると胸の中心あたりでつっかえたような感覚がして咳き込んだ。全身に衝撃が走る強い咳だ。
「げーっほ!」
喉の奥からべちょべちょとしたものが飛び出し地面に落ちる。わずかに粘性を帯びたそれは赤かった。
「……もう少しだけ、なんとかなるだろう」
赤いものを踏み潰して、グォンは路地から出る。
太陽を睨みつけた。目の奥に刻んで、ずっと覚えていられるように。
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