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あなたは

「すまん。待ったか?」


 タン、と軽快な音を立てて、ジンが降り立った。

 音に弾かれ、夕焼けのせいでやけにくっきりとしわの目立つ男が振り返る。


「そうでもないですよ」


 笑みを浮かべながらその場に腰を下ろす。従うようにジンも座り込んだ。

 暗くなってしまった空の元、二人は僅かに残る空の赤みを見上げた。


「なあ、なんで屋上なんかに呼び出したんだ?」


 グォンが書いたメモには「冒険者委員会支部の真後ろにある建物の屋根」と書いてあった。従って登っては、というより跳んで、来たが、なぜここである必要があったのか。ジンには理解できなかった。

 グォンはわかりやすく苦々しい顔を浮かべた。普段、というより五百年前から、真剣な顔こそあれど、不快感を前面に押し出した顔を晒した機会は数少ない。

 記憶の片隅に残るグォン、バウンの表情を探してみるが、やはりすぐには思い当たらなかった。


「何があった?」


 低くうめくような声だったと、ジン自身が思った。同時に自分を恥じる。仲間、どころか恩師であるグォンを相手に、警戒心を僅かでも抱いてしまった事実に。

 グォンは一度薄くなり始めている頭を乱暴にひっかき、たばこでも吸ったのではないかと疑うほど深く、長く息を吐いた。

 思わず生唾を飲み込んでしまう。これから先来るであろう言葉が、僅かに怖い。


「その前に、今世での名を尋ねても?」


 思わず全身の力が抜けた。この緊張感で今更聞いてくるグォンに僅かな怒りすら湧いてきた。


「名乗ってなかったな。ジンだ。ジン・ラバウルって名前を貰った」

「では、ジン様」

「うげ」


 “ジン様”と言われた瞬間になぜか胃の奥の方がむかむかした。

 舌を出して、息苦しい吐き真似をする。


 様付けなんて慣れているはずだ。王だったんだから敬称がついて当然の立場。そもそも王子、生まれながらにして敬われていた。それで八十年生きて死んだのだ。それがドミ・ステイル。

 だが、ジン・ラバウルは敬称と無縁の人生を歩んでいた。いくら八十年の前世があろうと、十七年の人生の感覚を塗り替えられわけじゃない。完成の基軸となっているのは、ジン・ラバウルの人生なのだ。


「どうされました?」

「いやあ。様付けがどうも気持ち悪くて」


 グォンが、生気の抜けたような顔になった。王としての経験がその心を見抜く。そしてその気持ちには同意する。「まさかあのドミ・ステイルがそんなことを言うなんて」ドミ・ステイル本人もそう思っている。


「さすがに、十七年は大きいようですね」


 ジンが王としての経験で人の心を見抜くように、グォンはかつて教え子としてジンを見た経験がその心理を理解させてくれた。もっとも、グォンはジンの心しか見抜けないが。


「そうだな。いくら前世があっても、ジン・ラバウルの人生は大きいものだ」


 目を閉じ思うのは十七年間、家族に大切にしてもらえた幼少期、自分とドミの人生を比べて考えた少年期、そして差し掛かった今である青年期。

 前世と等速で歩いてきたはずの今までは、濃密さという視点において前世とは比べ物にならないほど薄味。村で毎日ぼんやりと過ごし、一日一日がいつの間にか終わっていた。仕事に追われている前世も、ある意味いつの間にか一日が終わっていたのだが。


「お前もそうだろ?」

「ええ。グォン・ダルメットとして53年生きました。結婚もしましたし、子も生まれましたよ」

「本当か!? この町に居るのか!?」

「いえ、別の町に」

「そうかあ……そうか」


 ジンの言葉には、過ぎ去った時代への哀愁と、親愛なる友への深い祝福の気持ちがあった。

 グォン、いやバウンは前世では結婚していなかった。だから、ジンの胸に満ちた感情のどれほど重いことか。グォンが苦笑いしてしまうほど、想像に難くないのだ。


「……なあバウン。俺は、どう生きるべきなんだろうな。」

「……と、言いますと?」


 一瞬、グォンは怯えた。次になんと言うべきなのか、それとも根本的に会話を拒否するべきなのか、はたまた徹底的に会話に乗ってやるべきなのか。

 ジンはそもそも王だ。王とは国の方針を定め、民衆の先導役となる者。人に弱音を漏らすことはあったとしても「どうするべきなんだろうか?」などと人にあり方をゆだねることはありえない。

 そんなことはジン自身、分かっているはずなのに尋ねる。それこそが異常事態なのだ。


(十七年の間に、王の身に何があったんだ?)


 十七年という月日は、人を大きく変えるに十分すぎる。だとしても、森で再会ときの態度が、ジンがドミを忘れていないことを確信させる。その二つの要素が、自分の王にどれだけの変化を与えたのだろうか。いくら昔の付き合いがあったとはいえ、そのすべてを測るには、離れていた時間が長すぎた。


 ジンは屋根のギリギリまで歩き、町を見下ろす。


 ジンはどういう仕組みか知らないが、道には等間隔に設置されていた支柱の先端から、煌々とした光が放たれていた。ジンがジッと見ている先を理解したグォンが「街灯です」と補足してくれた。

 あれのおかげで、人々は昼と同じように町を歩き、酒を飲み交わしている人間も居れば、楽し気に買い物を楽しむ者も、家族で家へと帰っていく者たちも居る。


 平和だ。


 夜闇に恐れる人はいない。自分たちの平穏を侵されると不安に思いながら、おっかなびっくり生きている人間は居ない。平和そのもので、穏やかに人々が生きている。

 こんなにも、完璧な光景があって良いのだろうか。ジンの心に訪れるのは、どこまでも深く大きな平和への感動だ。汚れない、王としての喜びだった。


「俺たちは、戦乱の時代に平和を作り上げるべく戦った。この世界は、結果として平和っぽくなっている」


 それはグォンも、五十年ほどの人生が認めるところだ。けれども、ジンの声には、認めたくないという感情が滲み出ていた。

 この平和を拒絶する理由を、グォンはよくわかっていた。


「だけど、この時代には奴隷が存在する。知ってるか?」

「もちろん。この時代は、それを許容しています」

「俺たち……俺は、大陸を支配して真っ先にそれを廃絶したはずだ。なのに、どうしてこの世界にはあるんだ。どうして、そんなものがあるのに、平和だって言えてしまうんだ」


 ある意味、ジンの考えは矛盾だ。

 平和とはある一側面から見て穏やかであれば、言い切ることができる概念。表側が穏やかでさえあれば、裏側でどれだけの悲劇があろうとも、表側が多数派である限り世の中は平和である。


 この、奴隷が存在する社会が、多くの民衆にとっての平和である限り、ジンの唱える非平和論は異端だ。倫理観の違いを押し付けることは許されない。

 そして何よりも、五百年前に渇望した平和を、自ら叩き壊すことはしたくない。

 ジンの迷いはそれだけではないのが、厄介なところだった。


「俺ははっきり言って、この時代が許せない。奴隷が居るのに、戦争の火種がくすぶっているのに、上っ面の平和を張り付けて、いつ地獄に叩き落としてくるか分からないこの時代が。けど同時に思う、俺が口を出していいのかと」


 拳を握りしめた。観察せずともわかるほど、体も声も震えている。


「十七年生きていようとも、俺の中心にはドミ・ステイルの人生が居座っている。五百年前の価値観で、一度人生を終えた人間が、この時代に何を言えばいい。今の価値観に対し、ドミが何言ったとしても理不尽なだけだ」


 自分は一度人生を終えている。得た知識と経験は同年代の比にならない。だからこそ、自分はこの世界において例外で、何をしたとしてもズルに当たる。

 心のどこかでそうやって認識してしまうのだ。だから首を絞められたように苦しくなってしまう。今の時代に憤っていようと、ズルい自分が声を上げる資格はあるのだろうか。などと回答のしようが無い質問が、溢れてくるのだ。


 これまでは村の中で、ドミとジンが自問自答し続けているだけだった。ただ、今目の前には、グォンが居る。彼は質問の答えを持ち合わせていた。


「王よ。今のあなたは、何者ですか?」

「……ジン・ラバウルだ」

「では、私は?」

「グォン・ダルメット」


 グォンは満足そうに頷く。質問の意図がジンには掴めていなかった。

 ジンの隣に立ったグォンは、同じように町を見下ろした。その瞳に映っているのは、わずかばかりの感動。


「私たちは、今この瞬間を生きているのです。彼らと同じように今を感じ、今を苦しみながら生きている。そして、今の時代に意見するは、今を生きる者の特権です。いくら前世の記憶があろうとも、それになんの罪がありましょうか?」

「俺は」

「ドミであろうと、人と人の経験は必ずしも同じではない。例えどれほど同じ体験をさせようと、まったく感受性が一致する人間が存在するでしょうか?」


 グォンの言葉はまさに正論だ。

 記憶とは人に力を与える。記憶があるからこそ、人は同じ轍を踏まずに生きていくことができる、歴史から学ぶという行為ができるのだ。

 グォンが語る理屈は、自分たちは周囲よりも少しだけ力を持ってしまっているだけ。それでも今を生きているのだから、同じように生きている人たちに対し、何を罪悪感など抱く必要があるのだろうか? という理屈だ。


 ジンには無い視点からもたらされる理屈は、ある意味ビックバン並みのショックを与える。

 納得できたわけではない。しかし理解はできた。

 ジンは少しだけ笑って、月へ視線を上げる。


「ありがとうな。バウン」

「私と、あの方もそういうはずです」


 呆れを含んだ言葉だった。

 短い文章の中に、ジンには聞き逃せない言葉が入っている。

 弾かれたように顔をグォンへと向けた。自分の含みを感じ取ってくれたジンに、グォンは僅かな笑みを浮かべる。


「あの方?」

「そうです。この町に居る前世の記憶を持った人間は、あなただけではありません。もう一人、いらっしゃいます」


 雷が落ちたようだった。

 自分ひとり、村で生きていたのがうそのように、かつての自分を知る者たちと出会う。嬉しいとはもちろん思うが、運命様を呪う気持ちはどうしてもあった。


「それは」


 人物の名を告げようとする。

 言葉が止まったのは意地悪をしようとしたのではない。ジンが自分を見ていないことに気づいたからだ。


「バウン。この街は今日祭りでもやってるのか?」

「いえ、特にそんな予定は」

「じゃああれは」


 ジンとグオンの視線の先には。

 その先には、夜に似つかわしくないオレンジがゴウゴウ音を立てて燃え上がっていた。あまりに高く、やかましく燃えがっている。火の柱が、大地と空を繋げてしまったような、地獄にも似た光景がある。

 道を歩く人々は悲鳴を上げながら逃げ惑う。人波の隙間を、なにやら重装備に身を包んだ屈強な男たちが駆けていく。

 穏やかで平和だった時間は、炎が夜闇の中でがなり立てた事で終わりを告げた。


「いかがいたしますか?」


 グォン、いやバウン・ガダモイルが片膝をついて言った。

 ジンには、消火活動に協力する理由が無い。もちろん、目の前で人命が失わることに、何も感じないわけではない。なんなら全力で力を行使すれば、すぐに火を消し止められるだろう。だが力を無駄に使いすぎると面倒なトラブルを産む。三暴衆とやらに殺気を放ったのだって、割とギリギリだったのだ。

 それに放水以外に消火に対する知識を有しているわけではない。無駄に現場をかき回すだけかもしれない。


 どうすべきか、一瞬だけジンは考えた。

 ジッとその方向を見る。あの方向には、今日世話になった薬屋があった。


「バウン」

「はい」

「俺が王として最初に学んだことは、縁を大切にせよ。だ」


 小さくてくだらない町の飲み屋で、欲望と裏切り渦巻く社交界で、堅苦しい国際的な関わりで、ありとあらゆる人間と関わった。その中には、もう二度と会いたくないと思ってしまう相手や、もう一度会いたいと思う人間、別に悪い奴じゃないが話しているだけで疲れる相手、明らかに裏切りそうなやつなど、パターンも感覚も様々だった。

 それでも、全ては縁。今さらりと思い出したすべてのパターンに、後々役立ってくれた人たちが居る。だから、縁は力と思い、今まで生きてきた。

 だからこそ、一度できた縁を、ジンは捨てたくない。


「バウン。行くぞ」

「……かしこまりました」


 反論を許さない、重く鋭い命令。それにはいささかの不満もない。

 バウン・ガダモイルは当然命令に従う。ドミ・ステイルの背に続くは、ステイル王国軍人の誉だ。

 武器や姿こそ変わってしまったものの、依然として変わらぬ誇り高き背中。

 それでも、ジン・ラバウルの背中に、グォン・ダルメットは一抹の不安を感じていたのだ。


「そうだジン様、一つお願いが」

「なんだ?」

力場操作(グラン)は使わないでほしいのです」

「…………は?」


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