街を焼く
ジンがグォンに会いに行ってから、ジェッスはひたすら魔力集中の訓練を続けていた。
手のひらに体内にあるという魔力とやらを集中させ、魔法発動のための基礎を固めようとしているのだ。
ジンが部屋を出てからすでに一時間ほど経過してるがグォンは、ずっと目を閉じて体内にあるとかいう目に見えないものを体内で集中させる、答えがどんなものかすらも分からない作業を続けていた。この状態の意味不明さたるや、地図も無いのに目的の町にたどり着こうとしているようなもの。ずっと集中し続けていられるのは、ジェッスが類まれなる集中力の持ち主であることと、今までの人生になかった真っ当な努力を体感しているからに他ならない。
だがさすがに疲れてきた。
目を閉じ続けるのにも飽きてきたので、パッと目を開けてからノソりと立ち上がった。部屋には、ジンが灯した明かりがずっと点いていたので明るい。なのだが、当然夜のせいでカーテンは暗い。
だからこそ、異常事態が良く分かった。
すでに夜と言っていい時間。だからカーテンの隙間は暗く見えるはずなのだ。だというのに、なぜか隙間からはオレンジの光が漏れていた。
恐る恐るカーテンに手をかける。そこまでできれば、あとは覚悟は要らない。流れに任せてカーテンを窓から剥がすように動かす。
そこには、赤々とした柱が空と地面を繋げていた。耳を裂くような悲鳴も、バチバチという火が建物を破壊する音も響いている。そのはずなのだが、ジェッスの耳には届いていなかった。
人間が普段得ている周囲の情報の八割は視覚に頼っている。次いで聴覚一割、嗅覚、触覚、味覚と続く。人間は五感それぞれで複合的に情報を受け取り、脳でそれらを処理している。だから視覚外の事態にも、ほかの器官から得た情報を使って対応することができるのだ。
そういった意味で、ジェッスは極めて無防備な状態にあると言える。
極めて集中しているとき、人は声をかけられようとそれに気づかないことがある。ジェッスに起こっている事態はまさにそれ。視界に情報の十割を持っていかれたのだ。いや、正確には、脳内にも。
ジュッ、音がした。冷たい。そのあとは痛い。熱いなんて思わない、だって痛くて仕方ないから。でもじわじわと理解できる熱があった。怖くて仕方なくて、地面をゴロゴロ転がりまわる。どたどたって音とゲラゲラって楽し気な声が聞こえてきた。いつの間にか熱は消えていて、ずきずき痛む体と、見下してくる奴らへの怒り。熱いのは嫌なはずなのに心がどうしようもなく熱かった。だからって、体はちっとも動かなかった。
震える腕を必死で押さえつける。全身を抱きしめるように腕に力を込めた。
呼吸が浅く短くなる。典型的な過呼吸だ。すぐにでもその場を離れて、助けを求めなくてはならない。
怖くて仕方ないはずなのに、体が動かなくて、火柱から目を離せなかった。そして酸素が足りなくなり、膝から力が抜けて倒れ込んだ。
火が燃え広がる中で、人々が逃げ回っている。だが、あちら側から逃げてきたはずなのに、逃げた向こう側にすでに火が回っているような大火事だった。どちらに逃げようとも、火が追いかけてくると錯覚してしまうほど火の手が早い。
「早く逃げろ!」
「ぎゃあ燃え移った!」
「バカ転がれ! 叩くんじゃだめだ!」
「誰かっ!? 私の子供を見ていませんか!?」
熱と痛みと混乱の中で、誰も冷静になれない。警備隊の人間が避難誘導しようにも、市民たちの動きに飲み込まれて声がかき消されて目立つことができない。魔法で消火を行おうにも混乱する市民に当たってしまうかもしれず、使えない。
悲鳴、怒号、哀願。全てがむごいと言い表すしかない。地獄にも似た光景。
冷静を保てるのは、更なる地獄を覗いた者だけ。
「水流波!」
突如発生した、瓶をひっくり返したような大量の水。それが一度空中へと放たれ、空を折り返して民家や人々へと降り注ぐ。まさしく恵みの雨。息苦しい熱の中で、久しぶりに訪れた冷たさを人々は思う存分受け入れる。
水の発生源へと視線をやった。オレンジに輝く空の中で、地面へと降り立つ影が二つ。
「グォンさん!」
言葉と共に、逃げ惑う市民たちが全員足を止めた。
この街で最も頼りがいのある男と、それに追従する謎の少年の登場。市民は混乱の中に現れた新たな要素に、わずかな期待感を隠し切れなかった。
その期待を一身に受けたグォンは、周囲を見回し、もうもうと煙が立ち込める中で、あえて全力で肺に空気を吸い込んだ。
「市民は! このアロン第三ブロックから第四ブロックへと逃げろ! 市民組合警備隊! あらゆる民家! 店の水道から水をもって鎮火に勤めろ! 水系の魔法が使えるものは! 全力放水だ!」
『はい!』
グォンの指示に従い、市民たちが動き出す。ジンはその姿に舌を巻いていた。
五百年前からグォン、いやバウンは頼りがいのある人間だった。怪我を理由に軍部から引退しドミの教育係となったが、それまでは最前線で戦う立派な兵士だった。仲間の前に立ち、後輩たちへの言葉も欠かさない、突出した能力こそないものの、周りからずっと頼られるたたき上げ。それがバウン・ガダモイルだった。
自慢したくなる。これが俺の仲間、バウンなのだと。だが今はそうではない。口から出るギリギリで言葉を飲み込んだ。
グォンの指示通りに統率の取れた動きが始まった。警備隊の一部が魔法による放水を開始した。幸いにも、延焼したばかりの建物はすぐに消し止められる。放水は徐々に火元となる場所へと勧められた。
ジンは放水を行わず、周りの避難誘導と、逃げ遅れた人の救出に勤めていた。ただし力場操作は使用しない。身体強化魔法でフィジカルを上昇させ、瓦礫や木材をどかす仕事に従事する。
身体強化は汎用型では基礎中の基礎。バウンから初めて習った魔法でもあった。
「大丈夫ですか!?」
「あ……ありがとう」
焼けて倒れた柱の隙間から、赤子を抱きしめた母親を引っ張り出す。ジンには回復の魔法が使えないため、走ってきた警備隊に二人を預けた。
「危ない!」
親子を受け取った警備隊の一人が叫んだ。燃えている柱が倒れてきたのだ。ジンはとっさに力場を拳に纏う。
「偉大なる」
拳を放とうとした瞬間に、グォンとのやり取りを思い出す。
(まずい)
思うが早いか、すぐに力場操作を解除して地面を転がって躱す。
王だったとは到底思えないような無様丸出しの姿だが仕方ない。
「大丈夫か君!」
「ええ。それよりもすぐに救出を」
「!! 分かった」
ジンの言葉に従って、警備隊も救助を再開する。
もちろんジンも救出に戻ったが、冷静に周りを見回したとき、何かしらの違和感に気づいた。それがいったい何なのか、ジンにすらも測りかねる。だが違和感、違和感があるのだ。
(なんだ? この状況、この気持ち悪さは)
胸の奥でざわめくもの。少しでもその正体に近づくべく、ジンは周囲を観察し始めた。
すぐに気づく。逃げる市民と往復する警備隊の中に、中途半端な動きをするものが居ることに。どこまでも逃げるわけでもなく、かといって積極的に放水や救助を行うわけでもなく、混乱したふりをしながらそれとなく周囲を見ている人間たちが居る。
ジンはその姿に目を配りつつ、火災救助への協力を続けていた。
「逃げろ!」
誰かが叫んだ。また火のついた柱が倒れてきたのだ。
その下に、座り込んだまま涙を流している少女が居た。周りの音など一切耳に入っていないようで、火の中でひたすら泣き声を上げている。
「バカ!」
ジンは走り出して、女の子をすぐに抱き上げる。その時ようやく火柱に気づいたようで、驚きで目がこれでもかと大きく見開かれる。
何とか火柱を回避し、兵士たちに支えられながら自分の子を手招きする母親に手渡す。しゃがみ込み、煤けた手で自分の子を力いっぱい抱きしめていた。少女もそれに応じ、涙でぐちゃぐちゃの顔を母親の肩に押し付ける。
「いいから! さっさと逃げろ!」
ほほえましく思う暇もない。母親の腕を掴んで無理矢理立ち上がらせ、兵士と共に四人で一度安全地帯へ。
兵士が避難所へと親子を連れていくのを見送って、ジンは一度休憩のために両ひざに手を当てた。
改めてこの惨状を見ると、どうしたって嘆息が漏れる。
ドミとして生きていた頃に、何度も悲劇には遭遇したことがある。何度遭遇したって慣れるものではないし、今世では初めて遭遇する惨劇だ。ジンとて、さすがに精神が疲労してしまう。
心を切り替えて、もう一度火災現場に戻ろうとしたとき、一部の兵士たちが火災現場から離れた方向の路地に入っていくのが見えた。皆一様に険しい顔をして。
この状況下でふざけている余裕は無い。だが、その兵士たちのただならぬ様子が気になり、ジンは気配を消して、路地に入る。道の真ん中で円になった兵士たちから見えないように、こっそりとゴミ箱の後ろに隠れる。ゴミがたっぷり詰まっていて異臭がしているようだが、焼け焦げるにおいが充満する街中ではあまり気にならない。
「それで? 貴族連中はなんだって?」
「……救助は出さないと」
ジンはその言葉に、思わず眉間にしわを寄せた。
「出さない? 出せないじゃなくてか?」
「そうだ。あいつら! こっちが困るのを見て楽しんでやがるんだ! 組合があるのだから! 組合が解決しろと!」
怒り心頭と言った様子で、兵士の一人が壁を殴りつけた。鈍く低い音は、火が弾ける音に混じって消えていった。
ジンはこの町のシステムに関して詳しくない。だが、貴族がこの火災救助に対する協力を断ったこと、一般市民と貴族の仲が良くないこと程度は理解できた。そもそも人間を森の魔獣から守るための壁が二層になっている時点で、なんとなくその気配は感じ取れていた。それが表面化した程度の事態なのだ。
ジンはこの町に来てから、いや、そもそも村が襲撃されたときから何か歪みのようなものを感じていた。
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