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魔法とは

 空の水色に薄くオレンジが混ざる、夕方というには早く、それでも一日が終わり始めているのを感じさせてくれる時間帯。

 働いている人間ならば、辛い労働の時間に終わりが近づいてくると、学舎に通う人間ならば、もうすぐ退屈な学校での時間が終わると感じさせてくれる、そんなありがたい温かみの時間。唯一ありがたく感じないとすれば、もうすぐ家族が帰ってくるから夕食を考えなくてはならない主婦だろうか。

 まあ、誰もが忙しなく動き回るこの時間。そんな中で若い二人は宿屋に閉じこもっていた。


 部屋にはそれぞれの壁にベッドが一つずつ。真ん中にテーブルが一つ、椅子が一つ置かれたシンプルな作り。泊まるためだけの遊びのない部屋。椅子が一つしかないあたり、不親切と言えなくもないが、冒険者初心の二人が泊まるには過不足ない。

 部屋の配置は普通だが、座る姿が異様だった。ジンはベッドに腰掛けている。これは良い。ソファが無いのだから、ベッドに座るしかない。問題はジェッスだ。床にべたりと座り、わずかに汚れた床を指で撫でている。


「なんで座らない?」と何度か尋ねたのだが、それにジェッスは「こっちの方が慣れてる」とだけ答え続け、座り方を変えようとはしなかった。要するにジンは諦めたのだ。

 無駄な静寂にも飽きてきた。することも無い。グォンと約束した夜まで時間もある。だから、約束通りのことをすることにした。


「ジェッス。暇だろ? 魔法教えてやるよ」


 さっきまではポケェとしていたジェッスが、雷にでも撃たれたみたいに早く、ジンの方へと顔を向けた。その食いつきたるや、肉を前にしたライオンのようだった。

 好奇心旺盛な生徒に、ジンは思わず口角を上げてしまった。


「まず、魔法についてどれくらい知っている?」

「全然わかんね」

「魔力については?」

「力」

「オーケー一ミリも知らんな」


 思わず頭を抱えた。この程度の知識はステイル王国であれば義務教育中の義務教育。誰もが知っているはずの知識だった。


 五百年経ったこの世界は、一部劣化してしまった部分もあるらしい。

 栄枯盛衰は世界の必定。自分が死したあと、いずれステイルも衰退してしまう時代が来るとは思っていた。もしかしたら国が分たれてしまうかもしれないとも思っていた。それでもここまでだとは考えてもみなかった。

 奴隷文化の復活、国家消滅規模の戦争、知らなかっただけで、この時代にはきな臭いことが多い。


「んじゃまず基本から始めよう」


 ジンは一度指を弾いた。パチンという音と共に、ジンの指先に火が灯る。爪ほどの大きさしかない火だが、ジェッスは突然現れた火から視線を外せない。


「魔法は、人間の体内を血と同じように巡る魔力に、形を与えることで現実に現象を起こすことのできる技術だ」


 ジンは昔習った理論をそのままに話した。

 これが不味かった。ジェッスの頭が燃えているはずはないのに、煙が上がっているように見えた。


 ここでジンは自分の失敗に気づく。ジェッスはそもそも元奴隷。彼が語る限り、幼い頃から奴隷として支配される立場にあったらしい。であるならば、言い方を変えねば、理解させるなど夢のまた夢だ。


「悪い。言い方を変えるよ。まず、俺たちの体内には魔力がある。これは血と同じように全身を巡っているんだ」


「ここまでは?」と問う代わりにジッと目を合わせた。ジェッスは曖昧にうなづいた。

 曖昧であろうとも、うなづいてみせたのなら多少理解し始めているのだろうと、勝手に結論づける。


「魔力には様々な使い道がある。魔法はその一つに過ぎない」

「魔法……ああ、お前が使ってた触れられないやつか」


 ジェッスの脳裏にあったのは、バークベアとジンの攻防だ。バークベアの攻撃は一切ジンに当たることなく、ジンのたった一度の蹴りがバークベアの体を切り裂いた。異常極まる光景。


「それだけが魔法じゃないさ。さっき指先に火をつけたみたいに、魔法にはいろんな種類がある」

「種類?」

「そう。大別して二つ。汎用型と固有型の二種だ」


 両手の人差し指を立てた。

 ジェッスの視線が人差し指の先端を反復横跳びしてから、ジンの顔に戻ってきた。

 視線は雄弁。ある意味口よりも多くを語る。今も語りかけている。「わからないからはやく教えろ」と。

 解答の代わりに、ジンはもう一度片手の指先に火を灯した。


「まず汎用型。汎用型の多くは、こうして火を灯したり、水を発生させたり、とにかく自然現象に基づく簡単なものが多い。属性系と呼ばれることもある」


 指を振って火を消した。その代わりに、水色の花火が何度か指先で瞬く。落ち着いたと思ったら、水がどこからか発生して、ゆっくりと指を伝って床に落ちた。

 まるで手品のようだが、どれだけ指先から腕を観察しても、種らしきものはどこにも無かった。


「森で俺たちの戦闘を見たろ? バウンは雷を放射していた。属性系は魔力をあらゆる属性に変換するのが特徴でな、魔法を使える戦士なら大半が使っている」


 言われてみれば、森での戦闘ではグォンが電気を発射していた。とジェッスはその時を思い出す。


「んで、固有型。これは定義が難しいんだが、簡単に言うと「その戦士が使用する、簡単には習得できない魔法」だな」


 視線が雄弁ならば、表情もまた雄弁。ジェッスの理解できないという気持ちが、ありありと伝わってくる。


「だから言っただろ? 難しいんだよ、固有型と汎用型の分け方は。汎用型はテキスト化されて……あ、俺の知っている知識だがな、そのテキストなどで学べば、比較的短期間で習得できる大衆向けの魔法。固有型は、使用者が独自に使う習得しにくいかつ、独特な個性を持つ魔法だと考えれば良い」


 ステイル王国では、義務教育の過程に「魔学基礎」という教科があった。魔具などの、魔法に関係するあらゆる概念を学習する科目だったが、そこで固有型と汎用型の定義の仕方がこのように記載されていたと覚えている。

 子供達や一般兵が簡単に概念を覚えるにはこの程度の説明が適当だったが、もっと深く学問に入り込むと、この程度の説明は「素人質問で恐縮ですが」などという処刑文句で徹底的に捻り潰される。

 まあ目の前にいるのは子供並みの知識しか持たないジェッスだ。これで良いだろうと、内心で一切バカにした要素を含まない、純粋な気持ちを抱いた。


「ほん? クマが触れられなかったのはそれか」

「そうだ」


 ジンはベッド側に置いてあるリュックに手を伸ばし、中から一本のナイフを取り出した。戦闘用として使うには心許ない、情けない切れ味のナイフだ。

 村の知り合いの家から拝借したそれの切先をジェッスに向ける。当然、ジェッスはびくりと体を震わせた。


「触れてみろ」


 ナイフを向けられているのに、やけに染み込んでくる、優しい声音だった。

 別に無条件で信頼しているわけではない。そもそも付き合った期間が短いし、出会いとしては最悪。特に情があったわけではないが、仲間たちを蹂躙し、森では見捨てられたせいでイノシシに追いかけ回された。

 もしかしたら、今ここで「村の恨み」などと串刺しにされるかもしれない。それでもなぜか、信頼してナイフに手を伸ばしていた。


 刃に触れる。皮膚が裂けて、血がゆっくり指を伝う。はずだった。

 ナイフにジェッスの指が触れることはなかった。なぜか数ミリほど先で指が止まり、空中に存在する硬い壁に触れているような、不思議な感覚を味わっていた。


「これが俺の固有型魔法、力場操作(グラン)だ」

「……見えない壁を作る、魔法?」


 魔法に触れた経験こそ少ないが、頭にある知識で推論を語る。

 ジンはそれに、静かに首を横に振ってみせた。


「違う。俺は力場、つまり力のエリアを作り出す魔法を使う」

「力のエリア?」

「そう。人が物を押すとき、物体には”押す”という力がかかる。俺はそれを自在に作り出すことができる。念力みたいなもんだけど、それよりも自在なんだ」

「へえ」


 理解はできていない。体験したことがとりあえずわかった。それだけだ。


 ジンもジェッスの脳内はわかっていて、まあそれで良いやと判断した。


「魔法の基礎はこんなもの。色々あるが、まずはここをわかっていれば良い」


 立ち上がりながら言った。

 見上げるジェッス。話題が変わったことで、どうしてもワクワクを隠しきれていない。


「これから、お前にはまず魔力を理解してもらう」

「魔力を理解……それができれば、俺も魔法を使えるようになるのか?」

「ああ割とすぐにな。でもこれが案外簡単じゃない。魔力の流れを感じるにはそこそこかかる」


 部屋の隅、入り口の側に立つ。ジンの視線の先には一つのスイッチ。

「この街は多分、ほとんどを魔力に依存しているようだ。魔法を使えない人でも、魔具によって便利に暮らしている。これも魔具の一種だろうな」

 スイッチを押した。すると部屋の電気が点いて一気に明るくなる。眩しくて、二人とも一瞬顔を歪ませた。


「さっき、腕輪をもらったとき体感しただろうが、魔具は使用者の体内の魔力を利用する。だから魔法を習得するには、魔具を使ってみるのが早い」


 それからジンは、自分と同じようにスイッチの前に立つように促した。

 促されるままスイッチの前へと移動し、素直に押してみる。すると、腕輪を付けたときのような、体の中から何かを持っていかれるような不思議な感覚がした。


「うぉっ」

「今、体から持ってかれたのが魔力だ。よくわかったろ?」


 イタズラっぽく笑いながら語りかけるジン。騙し打ちをくらったようで、ジェッスはその笑みが憎らしく思えた。


「まず、魔法を使用する前に、魔力の流れや感覚を掴むことが大事なんだ。だから手のひらに魔力を集中させることをイメージしてみろ」

「イメージ」

「そうイメージ。魔法はイメージとコントロールの技術。まずは魔力の集中をイメージだ。目を閉じろ」


 また素直に目を閉じる。


「集中しろ。体内には魔力が巡っている。それを、体の中で、ゆっくりゆっくり手に集める。血管を抑えて血が溜まるように、集中させる」


 ジンの言葉が耳から入り、脳に染みわたる。言葉は理解できる。それに従って、脳にじんわりと形が出来上がっていくようだった。ジェッスにも鬱血の経験はある。あの感覚を魔力に置き換えるというのは、まだ理解しかねる概念だが、どうにか手がかりだけはそこにある。

 説明通りにイメージし続ける。集める、集まってほしい、そこにある、そこにあるはず、なんとなく? うすらぼんやり? 多分、おそらく?

 目を閉じているから、周囲の状況は分からない。音が無いからジンが身動きしていないのはわかった。


 時間が経てば経つほどに自信が無くなっていく。心の弱い部分がジェッスに耳打ちするのだ「これを信じていいのか?」と。

 そんな中で、うすらぼんやりとした弱々しい何かが、手のひらで呻くのを感じた。

 ほんの少しだが気持ち悪い。例えるなら小さな幼虫が優しく撫でているかのようだ。体内から発生している感覚だとわかっているから、鳥肌が立つくらいぞわぞわする。


「オーケー。目を開けてくれ」


 ジンの指示によって目を開けた。ずっと目を閉じていたせいで、視界にぼやぼやしたものが映った。


「なんとなく感じただろ? 手のひらに変な感覚」


 楽し気なジンとまた目が合った。

 他者の感覚を完璧に把握しているわけでもないだろうに、断言しているあたりさすがに熟達者だ。

 ジェッスは自分の手のひらを見つめた。当然そこには小さな幼虫は居ないし、皮膚の下で何かがうごめいている様子もない。


「これを繰り返すことで、徐々に魔力の流れや使い方を把握することができるようになるんだ」

「へえ。面白いな」


 純粋に飛び出た感想だった。

 ジェッスの人生を簡単に語るならば、労働と支配による人生。幼少期から奴隷として過ごしてきたジェッスにとって、楽しみと表現できたのは眠る時間か、とても飯とは思えないモノを口に掻き込む時間だけ。軍部ではもう少しましなものが食べられたが、それでも奴隷とそれ以外の軍人の差は存在していた。


 こうして、学んで練習するという行為は、今までの人生には無かった楽しさなのだ。

 ジェッスは自分の心理に正確には気づいていない。なぜならそれを理解する感性すらも、人生で得ることができなかったから。だが、ジンはその心理を、ほぼ正確に理解していた。

 ジンが前世で見てきた元奴隷の人々は数知れない。彼らが最も喜んだのは、仕事を与えることと学びを与えることだった。

 人間、国民にとってある意味最も当たり前のことをしてやるだけでむせび泣く彼らを見ることが、ジン、いやドミにとって反対に最も大きな苦しみとなってしまっていた。


 今もそうだ。

 窓を見た。すっかり空は赤みがかり、空の端っこが黒くなり始めていた。


「ジェッス。しばらくそれをしていてくれ。俺はバウンと会ってくる」

「わかった」


 森での出来事を少しだけ思い出して、すぐに魔力の集中へと意識を戻した。集中し始めてすぐに扉が閉じる音が聞こえてそちらへ視線をやる。すでにジンの姿は無かった。


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