牛島杏樹
すみれとの離婚の後で、俺は森下夫妻に「牛島杏樹さんとの面会をお願いします。」と依頼した。
拘置所に居る牛島杏樹に会って伝えたいことがあるからだった。
「何故、会いたいのですか?」
「もう二度と、すみれに……否……済みません。
すみれさんに危害を加えさせないためです。
離婚したから大丈夫だと思いますけど、両親に近づかれても困るので。」
「どう話されるおつもりですか?」
「そのままを話します。
それ以外は出来ません。」
「まぁ、そうでしょうな。
承知しました。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
「お任せを!」
牛島杏樹の弁護士を通して面会をすることになった。
当日は弁護士同席のもとで面会をした。
生まれて初めて拘置所の門の中に入った。
どんな気持ちで居るのか全く分からない。
夫婦だったすみれの気持ちも分からなかった俺に、知り合いとも言えない赤の他人にしか思えない牛島杏樹の気持ちなど分かるはずが無い。
面会室に入ると、ドアが開いて牛島杏樹が入って来た。
「……………………どうして………。」
「木村です。」
「なんで?」
「どうしても話しておきたいことがあって来ました。」
「………あの………。」
「俺は貴女のことを覚えていません。」
「えっ?」
「俺にとっては記憶に残っていない同級生です。」
「そんな………そんなことないわ。」
「俺は覚えていません。」
「そんな………。」
「名前を伺った時も、高校の卒業アルバムを見た時も………
居たのかな? 覚えていないなぁ……としか思えませんでした。」
「私は! 私は木村君のこと忘れたことが無いわ。」
「本当ですか? 結婚してたんですよね。恋愛結婚ですよね。」
「ええ、そうよ。
でも、私は忘れてないわ。
木村君が目の前を通ったの。」
「えっ? 何時ですか?」
「5年位前よ。クリスマスの日、目の前を通ったわ。
奥さんの肩を抱いてクリスマス寸具が流れる街を歩いてた。
羨ましかったわ。
私は子どもの手を引いて……歩いてた。」
「お子さんが? いらっしゃる?」
「何も知らないのね。私のこと……本当に知らないの?」
「知りません。」
「酷いわ。」
「何故、恨めしいと思われるか分かりません。
恨むのは止めて頂きたい。
貴女と俺は、この先も接点がありません。
貴女と結ばれるようなことは絶対に無いです。」
「そんなこと……分からないわ。」
「分からない?
大切な妻を傷つけられた夫が傷つけた女を許すと思うのですか?
許さない。絶対に!
妻に、これから先、接触して頂きたくない。
俺の大切な人達に危害を加えたら、許さない。
俺はこの先の人生全ての時間、貴女を許しません。
絶対に許すことはありません。
二度と危害を加えないで頂きたい。
今日、面会に来たのは、それを言う為です。」
「………う……うううっ………。」
「被害者は貴女じゃない!
妻だっ!
二度と妻の前に姿を現すな!」
「木村さん! 少し控えて頂きますよう。」
「終わりました。帰ります。
今日のこと、しっかり残しておいてください。」
「はい。承知しました。」
拘置所を出ても俺は興奮が冷めやらなかった。
これで守れるのだろうかという不安の方が大きかった。
「今日の面会で反省をして貰えたら、裁判でも情状酌量を訴えることが出来ると思
います。
ありがとうございました。」
「裁判の為に面会したのではありません。
すみれに二度と近づかないで欲しいからです。」
「それは承知しております。」
俺は頭を下げた。
「今日はありがとうございました。」
「いいえ、奥様……ではないのですよね。」
「ええ、離婚しましたから……。」
「それは、牛島さんの件で?」
「それが俺にとっては大きいです。
離婚したら、もう狙われない……。」
「そうですか………人生は……思うようにいかないですね。
では、失礼致します。」
もう一度、頭を下げた。
頭の上で声がした。森下康彦の声だ。
「お手数をお掛けしました。」
「いいえ、こちらこそ、ありがとうございました。」
「では、帰ります。」
「はい、私も…………あ! 今度飲みましょうね。」
「奢りですかな?」
「そりゃあ、森下さんの驕りですよね。」
「俺がぁ? こちとら、しがない探偵なのにぃ?」
「何がしがない探偵ですか?
警察署長さんじゃありませんか?」
「それはね、あんた。俺が退職する二年前になっただけよ。
たった二年間よ。」
「いやいや、現場上がりの名署長さんじゃないですか。」
「えっ? 迷署長? 迷ってばかりってことだな。」
「そっちじゃないと思いますけどね。
まぁ、奢って頂けるのを楽しみに待ってます。」
「………さぁ、木村君。帰るよ。
早く帰ろう。こんなとこ、一般人が居る所じゃないからね。」
「あ……はい。」
「待ってますよぉ―――っ。」
俺の肩に手を遣り森下康彦はどんどん歩いた。
俺の耳には「参ったなぁ……ほんと、待つなよなぁ……。」と言う声が、小さな声が聞こえていた。
駅に着き、森下が別れ際に言った。
「ありがとうございました。ご足労をお掛けました。」
「いやいや、こっちこそ、ありがとうね。」
「では、失礼致します。」
「木村君!」
「はい?」
「元気だから……すみれちゃん。心配要らないよ。」
俺は頭を深く下げた。
そして、頭を上げられなかった。




