EPISODE13. 葛藤、いや渇き。
2025年6月30日、深夜。ハンギョルのスタジオ。
明かりの消えたスタジオ、唯一の光源であるモニターの光がハンギョルの顔を照らしていた。
ハンギョルはしばらくモニターを見つめた。
テーブルの上のキーボードを叩き、ノブを調整した。
しばらくしてヘッドセットを装着し、マイクを手に取った。
「ジャバドジャバド、終わりのない。」
「一対のゴキブリ。」
「ガバドガバド ずっと出てくる。」
「二組のゴキブリ。」
「ヘバドヘバド なかなか現れない。」
「僕だけのゴキブリ。」
怒りをこらえ、歯を食いしばって吐き出した、たどたどしいラップ。
その眼差しは狂気に染まり、光っていた。
ラップを捧げ、録音を停止した。
ノブを調整して波形を重ね合わせた。
音源を再生した。
満足げに頷いた。
モニターの電源を切り、席から立ち上がってソファへ向かった。
ソファの上に散らばった毛布をかぶって横になり、眠りについた。
目を閉じたハンギョルの顔に、満足げな微笑みが浮かんだ。
録音中に見せた怒りの痕跡は、どこにも見当たらなかった。
2025年7月5日。午前。ハンギョルのスタジオ。
「ハンギョル、出てこいよ~」
ハミンとハンギョルは拳を突き合わせ、抱擁し、握手をした。
後を追って降りてきたヨハンとウンビは、呆れたような表情を浮かべた。
「ヘジンは?」
「ちょっとコンビニ。何か買ってくるって。」
「来た。」
ハンギョルの言葉が終わるやいなや、後ろからヘジンの声が聞こえてきた。
「うん。何か美味しいの買ってきた?」
ヨハンは舌なめずりをしてヘジンを見つめた。
「……」
ヘジンがじっとヨハンを見つめた。
「うん、そうだ。お前が食べ物を買ってくるような奴じゃないよ。」
ヨハンがぶつぶつと文句を言った。
「もう騒ぐのはやめて、こっちに来てちょっと聞いてくれ。これ、俺たちのセットリストの3曲目にやるんだ。」
ハンギョルは友達たちに「早く来いよ」と手を振った。
「心血を注いだ、出来立てホヤホヤのクソ曲を紹介する。」
ハンギョルはスピーカーの音量を上げ、再生ボタンを押した。
キーボードの電子音が流れ出した。冷たく薄っぺらで、ジャズ風の抑えたスローな音。
続いて、柔らかな打楽器の音が聞こえた。何か固い木の樽を叩くような音。
ドラムの音がそれに続いた。拍子に縛られず、押し流され引きずられるようなリズム。
低く太く、鮮明なベースギターの音が加わった。リズムを飾るのではなく、土台にしっかりと根を張るような音だった。
エレキギターのストロークを削り取るような音が聞こえてきた。ピックが弦を弾かず、撫でるように擦った。音は半分引っかかったまま引き裂かれ、摩擦音だけが薄く残った。
調和しない音たちが重なり合い、妙にバランスが取れていた。
そして声が聞こえてきた。
歯を食いしばって吐き出したような、たどたどしいラップ。
[ジャバドジャバド 終わりのない、一対のゴキブリ。]
[ガバドガバド 次々と現れる、二対のゴキブリ。]
[ヘバドヘバド 決して現れない、僕だけのゴキブリ。]
真剣な顔で音楽を聴いていた友人たちの表情が、一人、また一人と崩れていった。呆気にとられた表情と笑いが同時に浮かんだ。
ハンギョルだけが相変わらず真剣な表情だった。
ベースギターの音程がさらに低くなった。低音が床を擦った。
エレキギターの音が長く響いた。木片を叩く音だけが残った。
最後の音さえ消えた後、音楽が終わった。
音楽が終わると、4人の友達がハンギョルを見つめた。
顔は呆気にとられた表情と笑みが半々だった。
「マジでめっちゃいいんだけど…」
ハミンはニヤニヤ笑いながら呟いた。
「なんか妙に中毒性があるな。」
ヘジンは曖昧な表情でハンギョルを見つめた。
「ラップがちょっと…変…いや、なんかそうだな。」
ヨハンが困った表情で言った。
口元は笑っていた。
「ハンギョルお兄ちゃん。これめっちゃ笑える!」
ウンビがクスクスと笑った。
「これ、お兄ちゃんがゴキブリのパートやる時、私がコーラス入れてもいい?」
ウンビが笑いながらハンギョルに言った。
「どうやって?」
ハンギョルは不思議そうな表情を浮かべた。
「ラップ、一度やってみて。すぐに盛り込むから。」
ハンギョルは躊躇したような表情を浮かべた。
「いや、これセットリストに入れるんだろ?ラップは誰がやるの?」
ハンギョルはヨハンを見つめた。
「僕。ゴキブリがいる。これはいない君がやるべきだよ。」
ヨハンがハンギョルを見つめた。
ハンギョルが周囲を見回した。
みんなにこにこ笑いながらハンギョルを見つめていた。
なんとヘジンまで笑っていた。
「…わかった。僕がやるよ、僕がやる。」
ハンギョルは諦めたような表情を浮かべた。
「今すぐやればいいの?」
「うん。」
「わかった。じゃあ…ジャバドジャバと終わりのない、一対のゴキブリ…」
「カクラ~チュ。」
ハンギョルが「ゴキブリ」という言葉を口にした瞬間、ウンビがコーラスを入れ始めた。
ふにゃふにゃとして、空気がたっぷり混ざった、妙にエロい声だった。
ヨハンとハミン、ヘジンが爆笑した。
「おい、俺がラップする時、ヨハンはただ遊んでるだけ? ギターのボディを叩きながら?」
ハミンがヨハンを見つめながら、ぐずぐずと文句を言った。
ヨハンが手帳を取り出し、ハミンの目の前で揺らした。
「さっき歌詞を書いた。読んでみて。」
「え?」
ハンギョルは眉をひそめながら、手渡された手帳を声に出して読み始めた。
「君の傍らには、冷気漂う機械ばかりが溢れている。」
「僕の傍らには、温もりに満ちた恋人の眼差しが溢れている。」
「孤独な君の人生における伴侶は機械だけ。」
「幸せな私の人生における伴侶のささやき。」
「寂しいか、辛いのか、物悲しいか。」
「君は今生は終わったな。」
「君以外の奴らはみんなゴキブリ。」
「寂しいか、辛いのか、物悲しいか。」
「お前は今生は終わったな。」
「お前以外、みんなゴキブリだ。」
ハンギョルの目に怒りが込み上げた。
ハンギョルがヨハンの手からボールペンを奪い取った。
手帳に書かれた歌詞をシュッシュッと消し、何かを熱心に書き込んだ。
「あった。お前、これでやれ。」
手帳を受け取ったヨハンが、そこに書かれた文章を読んだ。
「俺のそばには冷気漂う機械ばかりなのに。」
「お前のそばには温もり漂う恋人の眼差しがいっぱい。」
ヨハンの表情が次第に曇っていった。
「孤独な僕の人生における伴侶は機械だけ。」
「幸せな君の人生における伴侶のささやき。」
「寂しい、辛い、物悲しい。」
「僕も彼女が欲しい。」
「僕以外、みんなゴキブリ。」
「繰り返す。」
読み終えたヨハンが手帳を閉じた。
「でも俺、彼女いるんだけど?」
「言われた通りにやるだけだ。命令だ!」
ハンギョルが爆発した。
編曲は続いた。
「この部分のギターはこうしよう。やっぱりギタリストじゃないからか、センスがないな。」
ハミンがぶつぶつと呟いた。
「ベースラインがちょっと空っぽすぎる。その実力でミュージシャンだと名乗るのは無理がある。」
ヘジンが無表情に言った。傷つけるつもりは微塵もなさそうだった。
「ボーカルのメロディをそんな風に渡されたら、俺には歌えない。理想と現実を混同するな。」
ヨハンが唸った。
「お兄ちゃん、私手小さいから、あんなに上下に動くのはちょっと……」
ウンビが可愛く振る舞った。
ハンギョルは両目をぎゅっと閉じていた。
ハンギョルのスタジオは今日も平和だった。
***
夕方。弘大。レッドロード。
すでに日が沈み、暗くなった夕方。
男女二人が道を歩いていた。
「お兄ちゃん、あの時見たバンドあるでしょ。」
「どのバンド?俺たちが見たバンドなんて、一、二組あるだろ。」
「違う、あの時、パワーレンジャーみたいに色とりどりのレザージャケットを着てたやつ。」
男はしばらく考え込んだ後、感嘆の声を上げた。
「あ!あの『静かな夜、聖なる夜』?」
「バンド名がそれ?」
「え…たぶん?」
「そのバンド、最近アンダーグラウンド系のバンドの中で結構有名だって聞いたよ。」
「ふっ、そのバンドの名前を広めるには、このお兄ちゃんの力が…」
「お兄ちゃん、あそこに人が集まってるよ。」
女が男の腕を引っ張った。
「えっ?このお兄さんが…」
「早く。」
心臓の鼓動を思わせるドラムの音。
聴覚を刺激する、歪みきったエレキギターの電子音。
ピコピコという音が聞こえ、DJがレコードを回す音が聞こえた。
一見したところ、百人近い人々が密集した人の壁を作っていた。
[さあ、次の曲はまさに今日リリースされたばかりの、アツアツの新曲です。]
聞き覚えのある、荒々しく低い声が聞こえてきた。
「え?まさか?」
男が呟いた。
「お兄ちゃん、ここからは見えないよ。」
「ちょっと中に入ってみようか?」
男が人混みの中に入ろうとした途端、すぐに罵声が飛んできた。
「後ろから見て!」
「はい。」
男は「はっ」と声を上げ、彼女を連れて後ろのベンチの上に上がった。
ステージ上の五人の姿が見えた。
最前列の二人。
兄妹のように似た顔で、互いを見つめ合っていた。
普通のテーパードフィットのジーンズに白い半袖Tシャツを着た女性。
その横には、細長いキーボードがハンガーにかかっていた。
8分丈の黒いスリムフィットのズボンにワークブーツを履き、黒い半袖Tシャツを着た男性。
真っ白なアコースティックギターを抱えていた。
その左側、少し後ろには、ぽっちゃりとした体型の黒人ギタリスト。
相変わらず奇妙な形の青いエレキギターを背負い、白い歯を見せて笑っていた。
右側には、白いスーツのズボンに白いスーツのベスト、紫色のシャツに金色のネクタイを締めた女性。
無表情に自分の金色のベースギターを見つめていた。
一番後ろのDJブースには、ベレー帽にサングラス、マスクで顔を隠した熊のような体格の男性。
肩にかけたストラップには、メロディオンのようなショルダーキーボードが繋がれていた。
「おや?『きよしこの夜』じゃないか!」
男が彼女に言った。
「え?今日はラッキーね!」
彼女が嬉しそうに笑った。
黒いアンプからまず音が漏れ出した。キーボードから始まった音だった。
一番前の女性のキーボードではなく、DJの男のショルダーキーボードから始まった音だった。
冷たく薄いコード。ジャズの土台を敷くように押し込められた音が、ゆっくりと流れた。
機械音だった。息がない。
一番前の男性がアコースティックギターを掲げた。
弦を弾かず、手のひらでボディを叩いた。
トントン。トントン。
パーカッションのように響く鈍い音。
キーボードの冷たさに合わせて、無理やり心拍を合わせているような感じだった。
DJがショルダーキーボードから手を離し、顔を上げた。
テーブルの上のゴム板を叩くと、アンプからドラムの音が炸裂した。
正確ではない拍子。わざと遅れ、わざと引きずられるリズム。
ジャズロック特有の居心地の悪いスタートラインだった。
ベースギターが入ってきた。
低く、太かった。
リズムを飾ることはなかった。
床に打ち込むような音だった。
人々が足で踏みしめて立っている弘大のアスファルトを、そのまま押しつぶすような音。
その上にエレキギターが割り込んだ。
澄んでもいなければ、汚くもない音。
意図的に音を引っ掻いた。
キーボードとベースの間を引き裂くようにノイズを乗せた。
黒い服を着た男性が、足を大きく開いたままスタンドマイクを両手で握った。
私の傍らには冷気漂う機械ばかりなのに
君の傍らには温もりのある恋人の眼差しがいっぱい
歌うように歌わなかった。
話すように、嘲笑うように、少し乾いた口調で。
マイクから手を離し、アコースティックギターを手に取り、弦を弾きながら再びボディを叩いた。
歌とリズムは分離しなかった。
孤独な私の人生における伴侶は機械たちだけ
幸せな君の人生における伴侶のささやきが
サビに入り、DJはキーボードを押しやった。
DJブースに取り付けられたマイクに顔を近づけた。
ショルダーキーボードはそのまま体にぶら下がったままだった。
寂しい 辛い 物悲しい
僕にも彼女が必要だ
僕以外みんなゴキブリ
叫んだ。
歌ではなく叫びだった。
ドラムパッドが同時に荒々しくなった。
拍子が一瞬崩れたかと思うと、再び噛み合った。
寂しい、辛い、物悲しい
俺も彼女が必要だ
俺以外みんなゴキブリ
観客の笑い声が聞こえてきた。
DJがマイクを掴み、ブースから抜け出してステージの前へと歩いてきた。
歯を食いしばったその隙間から、速くないラップが飛び出した。
ジャバドジャバド 終わりのない一対のゴキブリ。
カクラッーチュ。
ゴキブリの鳴き声に重なり、キーボードの前に立つ女性の、ささやきのような魅惑的な音色が飛び出した。
ガバドガバド 次々と現れる二組のゴキブリ。
カクラッーチュ。
今度はコーラスをより鮮明に盛り上げた。
まるでDJの怒りをわざと整理してあげているかのように。
ハバドハバド 生まれない 僕だけの…
カクラッ-チュ。
「カクラッチュ」と歌う女性の音色が、DJのゴキブリの音を押しつぶした。
ベースがもう一度沈んだ。
低音が床を擦った。
エレキギターが長く響いた。
白いギターのボディを強く叩く音が聞こえた。
演奏が終わった時
時折小さく漏れていた笑いが、大きく弾けた。
見守っていた観客全員がクスクスと笑っていた。
5人は互いを見なかった。
ただ笑いながら、それぞれ自分の楽器を片付けていた。
こうしてまた一日が過ぎ去った。
***
兄貴たち。俺、今日ホンデで彼女ができなくて悔しい思いをしたバンドの話をするよ。
やあ?前に「逃げるバンド」の話書いたことあるよね。
今回、第3弾として戻ってきたよ。
今日また彼女(俺、彼女いるよ。妄想彼女じゃない。羨ましい奴はDM送れ。証明写真送ってやるから。)と一緒弘大に行ったんだけど。どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきてさ。
見たら、人がすごく集まってて、ざっと見て70〜80人くらい?
その時、ピンと来たんだ。
あ!これ、あの時の「逃走バンド」だ。
だから行って、熱心に観たよ。
でも、このバンドの連中、普通の変人じゃないよ。wwww
歌詞が、本当に彼女ができなくて焦りまくってる感じの歌詞でww
まず、ボーカルが腐ったような表情で歌ってるのが最初の笑いのポイントで
後ろにDJがいるって言ったよね?そのDJがラップしてるんだけど、歯を食いしばってやってるんだよ wwwwwww
そこがまた2つ目の笑いのポイントで、最後に歌詞の中で「どうのこうのゴキブリ」とか言ってるんだけど、ゴキブリってところでそのバンドにサブボーカルがいるんだ。女性サブボーカル。
この子がセクシーに「カークラッチ~~」って言うんだけど、あーもう(笑)声がマジでゾクゾクするんだけど、それがまた最後の笑いのポイント(笑)
僕と彼女、面白すぎて床で転げ回って帰ってきたよ。
(転げ回ったって変な意味じゃないよ。この野郎ども。)
僕らだけじゃなくて、曲が終わるやいなや四方八方から笑い声が本当に(笑)
このバンド、どうやらお笑いバンドみたいだ。
でも曲はいい。
たぶん撮影してる人たちが少し映ってたから、YouTubeで探せばあるはず。
じゃあ、みんな、僕はここまで。今日はちょっと疲れたから早く帰るよ。
次回、第4弾で会おう。バイバイ~




