EPISODE09. フランスは難しい。
2025年3月15日。
ハミンは相変わらずハンドルに顔を突っ込んで運転していた。
「おい、そんなことしてて揺れたらハンドルが回るぞ?」
ヨハンがハミンに言った。
「俺みたいなベストレースが、そんな初歩的なミスをするわけないだろ?」
ガタッ。何かに乗ったのか、ミニバスがガタガタと揺れた。同時に車体が大きく揺れ、ふらついた。
「運転の癖を直せ! 危うく死ぬところだったじゃないか!」
ヨハンは拳を突き上げた。しかし、思いとどまって振り下ろすことはできなかった。
***
土曜日の弘大は相変わらず賑わっていた。
まだ午前中だというのに、人も多く、騒音も多かった。
ヨハンとハミンはギターケースだけを背負い、人混みの間をすり抜けて歩いた。
「ヨハン。今日ここで何かイベントでもあるの?」
「お前が知らないのに、俺が知ってるわけないだろ?」
「あ、やっと知能差を認めたんだな。」
「誰が見ても、僕の方が賢く見えるんじゃないか?」
ヨハンはハミンの腹の部分をじっと見つめた。
「まあ、お前もなかなかやれるだろ?」
ハミンはヨハンの異様に突き出た腹を見つめた。
「一戦交えたいのか?」
ヨハンは拳を握りしめた。
「暴力反対!」
ハミンが逃げ出した。
ヨハンは逃げ去るハミンの後ろ姿を見つめながら、嬉しそうに笑った。
***
ヘジンはすでにハンギョルのスタジオに来ていた。
二人は無言で録音ブースの中で演奏をしていた。
口元には笑みが溢れていた。
演奏が続いている頃、ヨハンとハミンがスタジオに入ってきた。相変わらずタバコの煙が充満していた。
ハミンがこっそりと首を回し、録音ブースの中を覗き込んだ。中から手を振るハンギョルと、不機嫌そうな表情でベースをいじりながら見つめるヘジンが見えた。
ハミンがためらうことなく窓辺へと歩み寄った。びっくりしたハンギョルが立ち上がり、録音ブースのドアへと近づいてきた。
「ヨハン、出られないように止めてくれ。」
ハミンがニヤリと笑いながらヨハンに言った。ヨハンはうなずき、ドアノブを握った。
ハンギョルが必死にガラスドアを叩く音が聞こえてきた。
「うーん、そんなことしたってドアが割れるわけないだろ~」
ハミンがぶつぶつ言いながら窓を開けた。開いた窓の隙間から白い煙が漏れ出た。
ガラス扉を叩く音がさらに大きくなった。
「遅かったな、お前。」
ハミンは体を向き直してハンギョルを見つめ、ニヤリと笑った。
黒い顔に白い線が浮かんだ。実に整った歯並びだった。
録音ブースの中で演奏を終えた4人の友人が互いを見つめ合った。
「もう、うまく合ってきた気がするけど?」
ハンギョルが口を開いた。
「前回の路上ライブの後から、手足がよりよく合うような、そんな感じ?
ハミンがニヤリと笑った。
「うまくいったんだから、ご飯でも食べよう。昼食の時間はとっくに過ぎてるし。お腹空いた。」
ヨハンが不機嫌そうな表情で言った。
「お前は練習不足だ。」
ヘジンがヨハンを見つめながら言った。
ふと、ブースのドアの方からガタガタという音が聞こえた。友人たちの視線が音がした方へ向かった。
華やかな容姿の女性がブースのドアにぴったりと張り付いて、中を覗き込んでいた。視線は正確にハミンに向けられていた。
「オホホホホ。PDさん、バンドもやっていらっしゃるんですね。素晴らしい演奏でした。」
ハンギョルは自分のこめかみをグイグイと押さえながら、女性を見つめた。
「こういうジャンルをニューエイジと言うんですか?それともフュージョンジャズ?」
ヘジンは冷ややかな目で女性を見つめた。
「オホホ。」
終わりのないおしゃべり。
ハンギョルは頭痛がするかのようにつむじに皺を寄せ、首を横に振った。
「本当に斬新ですね。さすが天才PDさんが率いるバンド、メンバーも並外れて素敵ですね。」
華やかな女性。カン・セリンの視線はハミンから離れることがなかった。
「おい、腹ペコで死にそうだ。いい加減にして、さっさとご飯でも食べに行こうよ。」
状況を眺めていたヨハンが唸った。
それは、爆発直前の最後の導火線が燃える音に似ていた。
セリンの視線は一瞬ヨハンに向けられたが、すぐにハミンに戻った。
「おほほ。私がよく知っているレストランがあるんですが、一緒に行かれませんか?私がご馳走しますよ。」
ハンギョルは、見ているのが耐えられないかのようにセリンから視線を外し、顔を背けた。
ハミンはただ無邪気に笑った。
ヘジンはいつも通り無表情だった。
ヨハンは歯を見せて満足感を露わにした。
***
スタジオを出て、二十分ほど歩いた。商店街を過ぎると住宅街が現れた。
ヨハンの表情が爆発する直前、一行の目の前に白い二階建ての一戸建てが見えた。
前には、何か華やかな筆記体でアルファベットが書かれた看板が見えた。
[L’Atelier de Minuit]
「エル・アトリエ・ド・ミニュイ?」
ハミンが看板を見てつぶやいた。
「おほほ、『ラ・アトリエ・ド・ミニュ』と読みますよ。フランス語だと知らずに読めば、普通そう読みますよね。」
セリンがハミンに言った。
「お腹が空いた。早く入ろう。」
ヨハンが颯爽と階段へと足を向けた。
食事は豪華だった。
きちんとしたシャツに黒いベスト、黒いズボンを着たウェイター。
ワイングラスみたいなグラスに注がれた澄んだ水。
最初に出てきたのは、お皿に盛られた小さな魚の切り身だった。
白いお皿の中央で白い魚の切り身が威風堂々とそびえ立ち、その横には何だか分からない草の切れ端が、何だか分からない形をして置かれていた。
そして、黒に近い赤いソースが線を描きながら、魚と草の切れ端の上をぐるぐると回り、描かれていた。
ヨハンは思った。一口分か?これで終わりなのか?
一口で魚の切れ端を平らげたヨハンが目を光らせた。
次第に表情が険しくなりかけた頃、次の皿が出てきた。
少し内側が窪んだ皿の上に、白くて薄い麺が乗っている。ソースは全く見当たらず、麺の上に赤や黄色の丸いゼリーがいくつか載っていた。
ヨハンの表情がさらに険しくなった。
「このお店、このパスタが本当に絶品なんです。」
ハミンの隣に座り、ハミンから視線を離さないままセリンが言った。
セリンの言葉を片耳から聞き流したヨハンがフォークを手に取り、麺をくるくると巻いた。
口の中にフォークで巻いたパスタを放り込んだ。何の味もしなかった。
「上にあるゼリーを麺の上にのせて食べれば大丈夫ですよ。ゼリーがソースの代わりになるんですから。」
遅れて、セリンがハミンに言っている言葉が聞こえてきた。
フォークで黄色いゼリーをすくって口に入れた。爽やかな柚子の味が口の中に広がった。
何度か麺を巻いて噛み、ゼリーをすくって口に入れることを繰り返すと、あっという間に皿は空になった。
ヨハンの表情が少し和らいだ。
しばらくして、また別の皿が出てきた。
水にセメントを溶かしたような色のソース。ソースの中に所々、飛び出している小さな塊がいくつか。
ヨハンの表情が再び険しくなった。
小さな塊を口に入れたヨハンの表情が曇った。
「これ何だよ。まずい。」
優雅に座って食事をしていた一行がヨハンを見つめた。
みんな美味しそうという表情だった。ハミンを除いて。
「小学生の味覚。」
ヘジンが言った。
「まずかったら僕にくれ。」
ハンギョルが言った。
「僕の分も持って行って。」
ハミンが言った。
向かい合って座ったヨハンとハミンがしばらく言い争っている頃、ウェイターがカートを引いて出てきた。カートの上には、丸い蓋が乗せられた銀色の皿が目を引いた。
ウェイターがテーブルの中央に大きな銀色の皿を置き、蓋を開けた。
「マダイを使った当店のシェフ自慢のシグネチャー料理です。どうぞごゆっくりお召し上がりください。」
皿の上には、大きな魚の頭が空を見上げていた。正体不明の灰色のソースの上に ちょこんと突き出ている魚の頭は、まるで泥水の上に頭を突き出した魚のように見えた。ソースの間からちらりと見える白い魚の身が、まばらに散らばっていた。
ヨハンの表情が再び険しくなった。
ハミンの顔が少し明るくなった。
ハンギョルが明るい表情で笑った。
ヘジンは無表情だった。
「うっ、目が合っちゃった!」
ハミンの嫌悪感を背景に、ヨハンは慎重にフォークを手に取り、魚の目を刺してみた。フォークがわずかに沈んだが、変化はなかった。
「生きてるわけじゃないな。」
「おい、誰が見ても調理済みだろ。どうやって生きてるんだ?」
ヨハンの安堵感。そして、それをたしなめるハンギョルの言葉が続いた。
ヨハンとハミンは慎重に床に置かれた魚の身を摘んで食べ、ハンギョルとヘジンは本格的に魚の頭を解体して平らげた。
その後、ごく普通のケーキとコーヒーを飲み、コースは終わった。
4人の間抜けと一人の女性歌手の食事の場は、それなりに平和だった。
***
レストランを出たヨハンがぶつぶつ言った。
「これ、食べた気がしないんだけど?体力がさらに落ちた気がする。」
「おい、まずは『ありがとう』って挨拶しろよ。」
ハンギョルの言葉に、ヨハンはセリンを見つめた。
セリンの目は執拗にハミンだけを見つめていた。
「やらなくてもいいんじゃない? 僕たちはただの添え物だったし。」
「それでも挨拶はしろよ。何かもらったなら、当然そうすべきだろ。」
ヨハンはぶつぶつ言いながらセリンに近づいた。
「今日はありがとうございました。本当に美味しい食事でした。」
ハミンから視線を外さずに、セリンが答えた。
「これくらいなら何でもないですよ、ハミンさんのために…あ、美味しく召し上がっていただき、良かったです。」
「おい、もう僕ら、公演に行かなきゃ。」
有頂天になったハミンが友達たちに飛びかかりながら言った。
「今?」
「この時間に?」
もう日が半分ほど傾いていた。
「そもそもバスキングって夜にするものじゃないの?」
「おい、許可も取ってないんだぞ。また逃げ出したいのか? 前にケーブルも何本かなくして、胃が痛くて死にそうだったんだ。」
ハンギョルがぶつぶつと文句を言った。
「そうだ、そうだ!キャンプ場に行こう!俺、こうなると思ってキャンプ場を予約しておいたんだ。」
テンションが頭まで上がっているハミンは、にこにこ笑いながら、イカのようにぐにゃぐにゃと踊り出した。
「このクソ野郎が?」
コムが怒りを露わにした。
「私も一緒に行ってもいいですか?」
セリンが空気を読まずに割り込んできた。
友達たちはセリンを見つめた。
ゆっくりと沈む太陽が、路地の間に細長い5つの影を作り出していた。
***
ミニバスの後部ドアから乗り込んだハンギョルは、口を大きく開けた。
「おい、ハミン、これ全部何だ?」
ミニバスの後部にあるテーブルの上には、クラシックギター、ベース、ウクレレが並んで置かれ、紐で固定されており、テーブルの下には上面にクッションが付いた四角い木箱が一つあった。
木箱の横には大きなクーラーボックスが一つ置かれており、クーラーボックスの上にはヨハンのギターケースが載っていた。
「ママのものを盗んできたんだ。」
運転席のハミンが、誇らしげに言った。
「お前、全部計画してたんだな?」
ハンギョルがうんざりしたような表情でつぶやいた。
「計画的な男。それが俺さ。ふふ。」
「あら、これ全部何ですか?車内がすごく居心地がいいですね。」
セリンがバスに乗り込むと、目を丸くした。
「はい、私の大切なヒルデガルドへようこそ。」
「ヒルデ…何ですか?」
セリンの眼差しが揺れた。
***
薄暗くなった空。
3月の夜はまだ肌寒かったが、道路を走るハミンのミニバスの車内には、温かい温もりが流れていた。
自分の白いアコースティックギターを弾くヨハン。
演奏に合わせて歌を口ずさむ友人たち。
そして、運転席のハミンだけをじっと見つめながら、ニヤニヤと笑っているセリン。
キャンプ場へ向かう道中は、すでに楽しいものだった。
***
揺らめく焚き火の光が差し込み、赤く見えるミニバス。
屋根から横に張り出したオーニングの下には、キャンプチェアやキャンプテーブルが整然と並べられている。
少し離れた場所の焚き火の周りに、五人が輪になって座り、演奏をし、歌を歌っていた。
ヨハンとハミンは互いを見つめ合いながら、アコースティックギターとクラシックギターを弾いていた。ヘジンは居心地が悪そうな、どこか不機嫌そうな表情とぎこちない手つきで、ベースウクレレを弾いていた。
その友人たちを見つめながら、ハンギョルは四角い木箱の上に座り、下へ手を伸ばしてリズムよく箱を叩く。
セリンは聞こえてくる演奏に合わせて歌を歌った。
黒い空に輝く星たちが一行を見下ろしていた。
夜はそうして幸せに深まっていった。




