8,その約束、身元不明
8,その約束、身元不明
キーンコーン、カーンコン。
終業のチャイムの音が、校舎の隅々まで染み渡る。
その瞬間、教室の張り詰めていた空気が解けた。
皆、帰り支度を始め、部活のある生徒は駆け足で教室を出ていく。
僕も例に漏れず、帰り支度を始める。
「お疲れ様。湊君」
「顔色、朝よりはだいぶマシになってるね」
帰り支度を終えた白峰が労いの言葉をかけてくる。
「……そうか、お前にはこの顔がマシに見るのか」
「死んだ魚から死にかけに昇華してる」
「縁起の悪い例えするな」
「へぇー、この私に“縁起”を語るかね」
「……ん?」
そこで白峰は一呼吸置いた。
「凪先生から伝言。妖怪について知りたいなら来るようにって」
そうだ。昨日いいところでお預けされたんだった。
「ああ、行くよ。先生ならこの目との付き合い方も分かりそうだしな」
「そう。なら私から、これだけは言っておくね」
「なんだ?」
白峰の顔に一瞬影が落ちる。
その時、教室の窓から夕暮れ時の空気が風に乗って流れて来た。
夏に近づいている時期のはずなのに風が冷たく感じる。
「妖怪を知るってことね、今後の人生を妖怪と付き合っていくことを指すということ」
「……つまり?」
「表面的に普通の生活を送りたいなら、引き返すのは今だよ?」
白峰の目が、ほんの一瞬揺れた。
「引き返せるか……。」
一度、息を吐く。
「でも知りたいんだ、この目について。」
「鬱陶しいとだけだと思っていた。……けど」
視線を上げる。
「これは、多分——僕の一部だ、理解するべきだと思う」
「ちょっとそれってどういう事!?」
その時、僕ら二人の声以外が放課後の教室に響いた。
見ると僕の数少ない見知った仲がクラスメイトの女子と喋っていた。
明るく染めた髪に、派手すぎないが存在感のあるメイク。
傍からみれば魅力的にみえるが、今は女子としての圧を感じる印象になっていた。
「京平君、今日は行けないってなんで?麗奈と約束したじゃない!」
「いや、それはその……」
京平が困ったように笑う。
「俺にはそんな覚えが——」
「は?彼女の言った事も覚えてないの?」
教室の空気が一瞬で冷える。
その時京平の影が揺れ、余像が映し出される。
視えたのは校舎裏で話す京平の姿。その様子は推測するまでもない。
——嫌がってる。
「……はぁ」
「悪い、白峰。先行っててくれ」
「え?あ、ちょ……」
白峰の返答を待たずに京平の元に歩み寄る。
「あー探したよ、京平」
「湊?」
まさか誰かが助けてくれるとは思わなかった。京平はそんな反応をした。
「忘れたのか?今日職員室で進路相談だろ?」
「二人で行かないとあの教員パンフくれないんだからさ、早く行こうぜ」
そう言い、京平の腕を引く。
「なに、急に?」
「そんなの明日でよくない?」
てか、誰?と先ほど“麗奈”と名乗った女子も負けじと応戦してくる。
「今日じゃなきゃダメなんだよ。」
「もしかしてあれか?彼女として他の女子が寄らないように既成事実を作っておこう。とか?」
「……は?」
目の前の麗奈の顔が羞恥と憤怒で赤くなっていく。
「それは悪手だな。もし相手を落としたいなら、理解者だと相手に——」
「うっさい!しね!」
耐えられないと感じたのか、捨て台詞とともに麗奈は教室を出ていった。
「助かったよ。湊」
帰りの下校道で隣を歩く京平に言われる。
「気にすんなよ。女子に押されてる京平が見るに耐えなかったからさ」
ニヤリと笑ってやる。こういうこじれた話は早めに笑い話に変えてやるのがいい。
「しかし人気者ってのも考えものだな。あんなのに付き合わされんのかよ」
「あー、あの子はね……」
京平が申し訳なさそうに目線を泳がせる。
「あの女子、神崎 麗奈さんていうんだけど、クラスの女子の中心的存在でさ……」
「告白されて押し負けたと?」
そこで、いきなり京平が黙る。
「何かあったのか?」
「……告白断ったんだよ、俺」
「は?」
「一週間前。確かに神崎さんに告白されたけど断ったんだ。“無理です”ってね」
「じゃあなんで、向こうは彼女面してんだよ?」
「分からない、でも翌日に神崎さんこう言って来たんだ」
「“昨日はありがとう。ちゃんとOKしてくれて嬉しかった”って」
空気が止まる。
「……誰がそんなこと言ったんだよ?」
「……俺らしい」




