6,重なる“自分”
6,重なる“自分”
路地裏はやけに暗く、静かだった。
街灯はある。
だが、多種多様な虫が群がっているせいで、隙間から光の粒子がちらちら見えるだけだった。
後は、ぽたぽたと水がみずたまりに落ちる音。
その音は壁に反響し、ししおどしのように、一定の間隔で響いていた。
その路地を男が一人、早足で歩いていた。
靴底が濡れた地面に貼りつくたび、不快な音が響く。
「……クソ……なんなんだよ!」
吐き捨てるように言うと、足をさらに速める。
自分が歩いてきた道をなぞるかのように、同じような音が後ろから聞こえる。
音が、背中に張りついてくる。
タッ、タッ、ビチャ。
自分の走るリズムと、寸分違わず重なる足音。
タッ、タッ、ビチャ。
同じ速度で追ってくる。
規則的で、迷いがない。まるで、最初から、“わかってる”みたいに。
「なんで、なんで!」
男は走り出していた。
息が荒くなる、肺が苦しい。水たまりの水が跳ねてズボンが濡れようと気にしない。
ビール瓶を薙ぎ倒し、置かれた花瓶を投げつける。
だが、振り切れない。
「なんで、“俺”なんだよ!?」
その瞬間、足を段差にぶつけ転んでしまった。
硬いアスファルトに膝から落ちる。膝からジュクジュクと血の気配がする。
痛みに耐え、すぐさま立ち上がろうとするが、できない。
見ると、服を踏まれている。
「ハッ、ハッ、ヒィ」
必死に振り解こうとするが、びくともしない。
気づいた時には、後頭部をすごい力で掴まれていた。
少しこけた頬、吊り目、目の下の泣きぼくろ、そしてコンプレックスだった小鼻。
間違いなく、“自分”の顔だった。
だが決定的に違うものがあった。
目が——合ってない。
自分を見てるはずなのに、焦点が合ってない。
そして“自分”の口が、ゆっくりと開く。
人のものとは思えないほど、大きく。
そして——。
顔が、沈んだ。
「や、やめ——」
引き抜こうとしても、力が入らない。
それどころか、体の奥から何かを引きずり出され、そのまま“自分”の中へと吸い込まれていく感覚。
「あああぁぁ!」
男の悲鳴が路地裏に反響する。
やがて声は聞こえなくなった。
そこにいた“なにか”も、最初から存在しなかったかのように消えていた。
そして夜はようやく、静けさを取り戻した。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、柔らかな光が部屋の中をゆっくりと満たしていく。
スマホから六時半を告げるアラームが鳴り響く。
「……ん」
目を覚ます。
あまり、寝つきがよくなかったらしい。嫌な夢を見た気がする。
瞼が重い。まだ、体は覚醒を拒んでいるらしい。
なにしろ、昨日は脳がストライキを起こしかねない一日だった。
妖怪との遭遇に刀を持って戦う女子高生、自分には妖怪の“現象”が残るおまけ付きだ。
そんな出来事を経験した脳みそが休憩時間を要求してくるのは明白だった。
賛成!と拍手喝采を送って賛同してやりたいところだが、転校二日目で寝坊はまずいので死力でベットから這い出る。
顔を洗い、制服に着替え、リビングに向かう。
ダイニングテーブルの上には、昨日作り置きしラップをかけた料理が放置されていた。
どうやら、おばさんは昨日会社から帰ってこなかったらしい。
スマホを見ると、メッセージアプリに痛々しいスタンプが送られている。
「……はぁ、もっと早く言ってくれよ」
ため息をつきながら、料理を冷蔵庫に入れる。
その時——。
ピンポン!とチャイムが鳴った。
「こんな朝に来客か?」
どう考えても非常識な奴だ。家によっては寝てる人だっているんだぞ。
そう考えつつモニターをオンにする。
「はいはい」
「おはよ!生きてるー?」
なんとも縁起の悪い挨拶とともに白峰が玄関前に立っていた。
「うげっ……隈すごいよ?」
「仕方ないだろ、あんな事あったんだから」
「大丈夫、まだ片足も突っ込んでないから!」
「言ってる事矛盾してんぞそれ」
朝から元気な白峰と登校することになってしまった。
昨日あんなことがあったというのに、白峰は涼しい顔をして笑っている。
(普通なら、喜ぶ場面なんだろうけどな。)
「お前なぁ、べつにわざわざ迎えにこなくてもいいんだぞ。どうせ学校で会えるんだし」
「妖怪に取り憑かれた君が教室のドアを開けて入ってきたら怖いし」
「だったら、ここで斬っておこうかと」
物騒なこと言いやがる。
「ご冗談を、奥さん」
「……」
「無言で笑うのはやめてくれ、心臓がもちそうにない」
「冗談冗談、単なる親切ってやつだからありがたく受け取ってよ」
丸腰をアピールするかの如く手を振る。いや昨日、何もないところから刀出してましたよね?
「ところで、黒渕くん今日さ——」
「……あー、それ」
「……?」
白峰が困惑の視線を向けてくる。
「……なんか、あんまり好きじゃないんだよな」
ぽり、と頬をかく。
「“黒渕”って呼ぶのやめてくれ」
「え?」
「……自分の苗字好きじゃないんだ」
一瞬言葉が詰まってしまい、気まずい沈黙が流れてしまう。
そのせいで、少し思い出してしまう。関わりたくもない、何もかも壊していった、あの男の顔を。
「白峰さえよければ、下の名前で呼んでくれないか?」
白峰は一瞬、きょとんとした顔でこちらを見ている。
当然の反応だと思う。理由も言わずに、急に言われて困惑するのは当たり前だ。
「……実は——」
「おっけ!じゃあ、湊君だね!」
「……え?」
今度はこっちが面をくらってしまう。
「……理由、聞かないのか?」
「なんで?」
「急に男子に下の名前で呼べ、なんて言われたら感じないのか、その……下心とか」
「え?あるの?」
本当に疑問にこもった声で聞いてくる。
「あるわけない」
「うん、そういう顔してた」
「もしあったとしても、湊君なら気にしないよ」
「おまっ……」
思わず立ち止まってしまった。
白峰は僕の前に来て、いたずらっぽく振り返り、少しだけ笑う。
「だって、私の方が強いもん」




