第4話 永遠の愛
「そんな馬鹿な!」と、ナオクスヒメは声を上げていた。
「あの時負けたのは、確かに吾の方だった」
訴えるナオクスヒメに対して、ツクヨミは静かにかぶりを振った。
「イザナキは吾を含め、八百万の神々を黄泉から解放した。そして、最後に汝を清めた。汝の奪い取ったヨモツの霊力も含めて。その相反する霊力は相殺して、二柱の神は魂すら残さず消滅した」
『二度と会うこともあるまい』
イザナキの最後に残した言葉は、ナオクスヒメではなく、彼自身が消えることを意味していたのか。
「ありえぬ……」
ナオクスヒメは信じられない思いで両の手で口元を覆い、あの晩のやり取りを思い返してみた。
イザナキがナオクスヒメに対して、殺意を持って復活したのは確かだった。
何がイザナキの気を変えたのか――。
ナオクスヒメは思い当たる節があって、「あれか……?」と小さく呟いた。
『汝は一番ずるい方法を取るのだな』
死にたくないと泣き騒ぐナオクスヒメに、イザナキはそう言った。
その方法とはナオクスヒメが生きる代わりに、イザナキ自身が消えることだったとしたら――。
「イザナキは吾のために、自らの消滅を選んだのか……?」
「汝のためかどうかはわからぬ。ただ、イザナキはイザナミをこよなく愛しておった。汝とイザナミはよく似ておる。愛しい人の死にゆく姿を二度も見るのが、忍びなかったのかもしれぬ」
「イザナキは母上を愛していたのか……? 消滅したと聞いても、顔色一つ変えなかったというのに」
「イザナキはかつて吾にこう言った。中つ国に留まるのは、いつもイザナミを感じられるからだと。永遠に愛しい存在だったのだ」
「永遠に愛しい存在……」
「イザナキがイザナミと共に消滅するという形を取ったのは、イザナミと再び一つの魂に還り、永遠の時を手に入れるためだったのかもしれぬ」
ナオクスヒメは初めてイザナキの想いを知り、涙があふれてくるのを感じた。
数千年という長い時を越え、逢うことの許されなかった二人は、ようやく一つの魂に戻り、その愛を永遠のものとすることができたのだ。
これでよかったのだろうか……。
その答えは永遠にわかることはない。
しかし、それでよかったのだと思いたかった。
たとえそれが、遺された者の勝手な言い分だと言われても――。
ナオクスヒメが頬に触れる手にふと気が付くと、流れるままにしていた涙をツクヨミが拭っていた。
「泣くのはもう終わりぞ。汝をずっと待っていた者に早く会ってやるがよい」
「吾に?」
ナオクスヒメは誰のことか思いつかず、首を傾げた。
「高天原中に響き渡る声で叫んでいた大切なことを忘れているとは」
ツクヨミはそう言って呆れたように笑っている。
ナオクスヒメはようやくそのことに思い当たって顔を赤くすると、自分の腹に両手を置いた。
「子は無事なのか……?」
恐々とツクヨミを見上げると、彼は垂れ衣の方を目配せした。
ナオクスヒメも目をやると、垂れ衣の隙間から先ほどの幼女が顔を覗かせる。
大きな瞳を輝かせて、ナオクスヒメの傍らに駆けてくると、「母上」と言ってそこに座った。
「生まれていたのか……!?」
ナオクスヒメは驚きに震える手を伸ばし、娘の頬に初めて触れてみた。
幼いながらも聡明な顔立ち。
そして、頼通によく似たやさしげな目元。
自分が初めて生んだ子に愛しさが込み上げてくる。
「新月の夜に生まれた」
ツクヨミが言った。
「神として生まれたのか」
今宵は望月。
半月ほどで人間の子供がここまで成長することはありえない。
ナオクスヒメからしても、それは疑いようのない事実だった。
「早く名を与えてやるがよい。名がなければ、神としての霊力を持つことはできぬ」
ツクヨミにそう言われたが、ナオクスヒメは突然のことに困惑した。
「名といっても……」
「神はその存在意味なくして、生まれることはない。この娘もまた役割を持っておる。ヨモツの消滅した今、黄泉戸は機能しておらぬ。死人は黄泉に入れず、黄泉戸の前にあふれ返っておる。彼らの道しるべとなる神が必要ぞ」
「人間との間に生まれたこの娘が、その役目を果たすと……」
ナオクスヒメは娘をじっと見つめ、ふさわしい名を思い巡らせた。
「ミタマトヒメ(御珠戸比売)はどうだろう――?」
「ありがとうございます、母上」
初めて名を持った娘は、愛らしい笑みを見せてくれる。
「これでようやく神になれました。あるべき場所に参ります」
そう言って、ミタマトヒメはナオクスヒメが引き止める間もなく、その姿を消した。
「吾が片時も離れず、共に生きていこうと思っておったのに……」
「ミタマトヒメは黄泉国と中つ国の間におる。会おうと思えば、汝はいつでも会える」
ツクヨミの言葉にナオクスヒメは少しだけ慰められ、微笑みを返した。
「ならば、これでよいのか」
あの無邪気な笑顔を決して孤独に染めまい。
ナオクスヒメはミタマトヒメのいた場所を束の間見つめ、改めて胸に誓った。
「ナオクスヒメ、汝もまたすぐにでも中つ国に戻ってもらわねばならぬ」
「え?」
「イザナキが黄泉戸を開いた時、かつて汝が黄泉へ誘った悪霊たちが再び中つ国に出てきてしまった。早急に戻してもらわねば困る」
「そんな……」
自分の生きてきた千年は何だったのかと、なじりたい気分だった。
しかし、そうも言っていられない。
ナオクスヒメは息をつくと、ゆっくり立ち上がり、ツクヨミを見下ろした。
「それが吾の神としての役目、存在の意味ならば仕方がない」
そして、ナオクスヒメはクラノオハバリを呼んだ。




