第1話 特別な舞台
外が夕闇に沈む頃、頼通は内裏の東、宣陽門の自分の直廬を訪れた。
朝、美濃と別れた後は一日、普段通りに仕事をこなした。
特別に会いたい人はいなかった。
最期に会いたいと思う相手に殺されるのだ。
本望というべきなのか――。
ここに来たからと言って、特に何かすることはない。
頼通は何も考えずに座っていた。
燈台の火が一瞬、揺らめく。
どこからか吹いた風と共に、左近中将が姿を現したのは、その時だった。
昼間、宮中で見かけた彼は枯色の直衣に烏帽子をかぶっていたが、今は真っ白な狩衣に紅の袴をまとっている。
なにより、冠を付けない解き髪姿は、禁中では異様に見えた。
「ここは、あなたが来るところではないと思うが」
左近中将は口元に笑みを浮かべながら、ゆったりと腕を組み、頼通を見下ろした。
「せっかくお迎えにあがったというのに、心外ですね」
「迎え? 仕事か、それとも別の用事か」
「私が何者か、彼女からすでにお聞きでしょう?」
「その割には、ずいぶん慇懃な態度を取るんだな」
左近中将は軽く眉を上げて見せる。
「上司として、貴殿には敬意を表していますよ」
「そうして、裏では馬鹿にしていたのか」
頼通がここぞとばかりに嫌味を浴びせかけても、彼の方は全く気に留める様子もなく、飄々《ひょうひょう》としている。
「いえいえ。彼女が貴殿を本気で愛したということに関しては、この私をかなり驚かせてくれた」
「あなたはこうなることを知っていて、彼女に近づくなと言ったのか? 彼女のためを思って」
左近中将は「まさか」と、声高らかに笑った。
「恋だの愛だのに惑わされて使命を放棄されては、こちらとしては困るのですよ。結果的に問題はなかったので、最後の時間まで楽しませてあげましたが」
「イザナキを黄泉に送ることが彼女の使命だと聞いた。あなたもそれに関わりがあるということなのか?」
「そう焦らずとも、じきに詳しい話は聞けます。さあ、参りましょう」
「どこへ?」
「特別な舞台です」
左近中将はにやりと笑ったかと思うと、すっと右手を伸ばして、頼通の手首をがっちりと握った。
と、同時に、頼通の目の前は一瞬にして帳が下り、その黒い幕に無数の光の渦が蠢く。
頼通はその模様に吐き気をもよおし、思わず空いていた手で口元を覆いながら膝をついた。
その次の瞬間、身が凍えるような冷たい空気が全身を打ちつけてきた。
その涼しさに徐々に吐き気も収まり、ゆっくり目を開くと、そこはもはや平らな場所ではなかった。
まばらな雪の塊の間から檜皮がのぞいている。
昼間、照りつけた陽によって、降り積もった雪の多くは下に滑り落ちてしまったらしい。
明らかにここは屋根の上だ。
「情けないな。転移は人間に無理があるのか」
左近中将の嘲笑いの含まれた声が頭上に降ってくる。
「ここは……?」
「承香殿の上ですよ」
生涯、自分が来るはずのない場所に、死ぬ直前に一瞬のうちに連れてこられるとは。
あまりに滑稽で、思わず笑いが洩れていた。
「せっかくの最初で最後の宴だ。最高の舞台を用意してやらなければな」
左近中将は独り言のように言って、両手を広げた。
「どういうことだ……?」
頼通が眉根を寄せて顔を上げると、左近中将はうっすらと笑みを浮かべて見下ろしてきた。
突如、耳を塞ぎたくなるような爆発音が聞こえ、後宮の一番西奥、雷鳴壺から火柱が上がるのが見えた。
一度燃え上がった殿舎は、そのまま空高く火の手を伸ばして、夜の闇を掴もうとしている。
「さあ、一つ目だ」
嫌な予感がして、頼通の全身に寒気が走った。
その予感通り、左近中将は次から次へと、まるでそこに雷を落とすかのように端から殿舎を爆発させていった。
その顔は、まさに玩具で遊ぶ子供。
あまりに無邪気で楽しそうだった。
火の燃え盛る轟音、焼けた木がはじける軽快な音、そして、逃げ回る女たちの甲高い悲鳴――。
頼通は目を見開いたまま耳を塞いで、そこにしゃがみ込んでいた。
震えが止まらない。
神の、しかも邪神の脅威に初めて触れ、人間の無力さを身に染みて感じていた。




