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女神は月夜に降臨する ~孤独な女神の初めての恋は、世界の崩壊の始まりだったのか?~  作者: 糀野アオ@『落ち毒』発売中
八章

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第1話 特別な舞台

 外が夕闇に沈む頃、頼通《よりみち》は内裏《だいり》の東、宣《せん》陽門《ようもん》の自分の直廬《ちょくろ》を訪れた。


 朝、美濃と別れた後は一日、普段通りに仕事をこなした。

 特別に会いたい人はいなかった。

 最期に会いたいと思う相手に殺されるのだ。


 本望というべきなのか――。


 ここに来たからと言って、特に何かすることはない。

 頼通は何も考えずに座っていた。


 燈台の火が一瞬、揺らめく。


 どこからか吹いた風と共に、左近中将《さこんのちゅうじょう》が姿を現したのは、その時だった。


 昼間、宮中で見かけた彼は枯色《かれいろ》の直衣《のうし》に烏帽子《えぼし》をかぶっていたが、今は真っ白な狩衣《かりぎぬ》に紅の袴《はかま》をまとっている。

 なにより、冠を付けない解《と》き髪《がみ》姿は、禁中《きんちゅう》では異様に見えた。


「ここは、あなたが来るところではないと思うが」


 左近中将は口元に笑みを浮かべながら、ゆったりと腕を組み、頼通を見下ろした。


「せっかくお迎えにあがったというのに、心外ですね」


「迎え? 仕事か、それとも別の用事か」


「私が何者か、彼女からすでにお聞きでしょう?」


「その割には、ずいぶん慇懃《いんぎん》な態度を取るんだな」


 左近中将は軽く眉を上げて見せる。


「上司として、貴殿には敬意を表《ひょう》していますよ」


「そうして、裏では馬鹿にしていたのか」


 頼通がここぞとばかりに嫌味を浴びせかけても、彼の方は全く気に留める様子もなく、飄々《ひょうひょう》としている。


「いえいえ。彼女が貴殿を本気で愛したということに関しては、この私をかなり驚かせてくれた」


「あなたはこうなることを知っていて、彼女に近づくなと言ったのか? 彼女のためを思って」


 左近中将は「まさか」と、声高らかに笑った。


「恋だの愛だのに惑わされて使命を放棄されては、こちらとしては困るのですよ。結果的に問題はなかったので、最後の時間まで楽しませてあげましたが」


「イザナキを黄泉に送ることが彼女の使命だと聞いた。あなたもそれに関わりがあるということなのか?」


「そう焦らずとも、じきに詳しい話は聞けます。さあ、参りましょう」


「どこへ?」


「特別な舞台です」


 左近中将はにやりと笑ったかと思うと、すっと右手を伸ばして、頼通の手首をがっちりと握った。


 と、同時に、頼通の目の前は一瞬にして帳《とばり》が下り、その黒い幕に無数の光の渦が蠢《うごめ》く。


 頼通はその模様に吐き気をもよおし、思わず空いていた手で口元を覆いながら膝をついた。


 その次の瞬間、身が凍えるような冷たい空気が全身を打ちつけてきた。


 その涼しさに徐々に吐き気も収まり、ゆっくり目を開くと、そこはもはや平らな場所ではなかった。


 まばらな雪の塊の間から檜皮《ひわだ》がのぞいている。

 昼間、照りつけた陽によって、降り積もった雪の多くは下に滑り落ちてしまったらしい。


 明らかにここは屋根の上だ。


「情けないな。転移は人間に無理があるのか」


 左近中将の嘲笑いの含まれた声が頭上に降ってくる。


「ここは……?」


「承香殿《しょうきょうでん》の上ですよ」


 生涯、自分が来るはずのない場所に、死ぬ直前に一瞬のうちに連れてこられるとは。


 あまりに滑稽《こっけい》で、思わず笑いが洩れていた。


「せっかくの最初で最後の宴だ。最高の舞台を用意してやらなければな」


 左近中将は独り言のように言って、両手を広げた。


「どういうことだ……?」


 頼通が眉根を寄せて顔を上げると、左近中将はうっすらと笑みを浮かべて見下ろしてきた。


 突如、耳を塞ぎたくなるような爆発音が聞こえ、後宮の一番西奥、雷鳴壺《かんなりのつぼ》から火柱が上がるのが見えた。


 一度燃え上がった殿舎は、そのまま空高く火の手を伸ばして、夜の闇を掴もうとしている。


「さあ、一つ目だ」


 嫌な予感がして、頼通の全身に寒気が走った。


 その予感通り、左近中将は次から次へと、まるでそこに雷を落とすかのように端から殿舎《でんしゃ》を爆発させていった。


 その顔は、まさに玩具で遊ぶ子供。

 あまりに無邪気で楽しそうだった。


 火の燃え盛る轟音、焼けた木がはじける軽快な音、そして、逃げ回る女たちの甲高い悲鳴――。


 頼通は目を見開いたまま耳を塞いで、そこにしゃがみ込んでいた。


 震えが止まらない。


 神の、しかも邪神の脅威に初めて触れ、人間の無力さを身に染みて感じていた。

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