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女神は月夜に降臨する ~孤独な女神の初めての恋は、世界の崩壊の始まりだったのか?~  作者: 糀野アオ@『落ち毒』発売中
七章

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第5話 愛した証

 ナオクスヒメは油の減った燈台の薄闇の中、人の気配に戸口を見やった。


 来るべき時がついに来てしまった。


 ナオクスヒメは緊張に身を固くして、局《つぼね》に入ってくる頼通《よりみち》の姿を見守った。


「久しぶりだね」


「本当に」


 鈍色《にびいろ》の喪服姿の頼通は心なしほっそりと見え、実際、痩せたようでもあった。


 咲《さき》姫《ひめ》の葬式の手配に駆けずり回っていたせいなのか、それとも子を失った心痛からなのか。


 頼通は疲れたように笑いながら、ナオクスヒメの前にゆったりと腰を下ろした。


「本当は慎まなくてはならないのだが、やはり逢いたくて」


「雪の中、出かけるのは大変だっただろう」


「こんな時だから、あまり人目につかなくていい」


 頼通はそう言って笑ったが、どこか儚《はかな》げで何か思い詰めたような表情だった。


「子のこと、残念だったな」


「もう六日も前のことか……。それほど経ったとは思えない」


 突然、格子の外からきしむような鈍い音が聞こえ、ナオクスヒメはびくりと肩を震わせた。


 屋根に降り積もった雪が落ちたらしい。


「それにしても、毎晩毎晩よく降る。神がお怒りなのかな」


 頼通が格子の方を見やりながら、呟くように言った。


「いや、楽しんでおる。しかし、それも明日までの話」


 そして、夕刻には月が昇る。


 オオマガツヒとはそういう約束になっているのだから、違《たが》うことはないだろう。


「……何かあったのか? いつになく暗い目をしている」


 心配そうに頼通に聞かれ、ナオクスヒメは話す覚悟を決めた。


 背筋を伸ばし、毅然と彼を見据える。


「今度、月が昇る時、汝《なれ》と逢う最後になる」


「それはどういう意味で……?」


 不安そうな顔をする頼通の前で、ナオクスヒメは努めて穏やかに話を進めようとしていた。


「明日の夜、吾《あ》は汝の命を絶つ」


 頼通の息を呑む声が一際、大きく聞こえた。


「それは神の決めた宿世《すくせ》なのか……? 明日までの命だと」


「そうなのかもしれぬ。イザナキが汝を器《うつわ》に選んだ時点で、少なくともそういう宿世を背負った。そして、吾に出会ったことによって、汝の死は決まった」


「私がイザナキの器? イザナキとはこの世を生んだ神のことか?」


 ナオクスヒメは静かに頷いた。


「かつてイザナキはヨモツ大神《おおかみ》に襲われた。その時、イザナキは己の身体を捨てたのだ。夢に見たのだろう?」


「……あれが!? あなたではなかったのか?」


 頼通は驚いたように目を剥いた。


「汝が聞いたのは吾の母、かつてはイザナミと呼ばれていた神の声」


 ナオクスヒメは手を伸ばし、人差し指で頼通の胸に触れた。


「その後、イザナキは人間の身体を借りて生き続けてきた。吾はずっとそれを探しておった。そして、今はここにいることを知ってしまった。吾はイザナキを黄泉に送らねばならぬ。それが吾に科された神としての役割」


「私の中にイザナキが? たとえそうだとしても、私は私だ。イザナキなどではない。なのに、死ななくてはならないのか?」


 頼通は自分の死に納得していない。

 突然このような話を聞いて簡単に受け入れられるという方がおかしい。


 ナオクスヒメは俯いて、頼通の衣を握り締めた。


 どう声をかけていいのか思案していると、頼通の深い吐息が沈黙を破った。


「死とは突然にやってくるものだと思っていた。もしくは長く生きて自分の死期を悟ってからくるものだと。それがこのように一日前に宣告されるとは――」


 死への漠然とした恐怖からなのか、頼通の身体は小刻みに震えている。


「確かにそうすることもできた。こうして話しているのは、吾の身勝手な行動。許せ」


「……なぜ?」


 頼通に問われた直後、ナオクスヒメは胸に込み上げてくる熱いものに涙がこぼれるのを止められなかった。


「わからぬか? 汝をためらいなく殺せるほど、吾にとって汝はどうでもいい存在ではない」


 ナオクスヒメはもはや感情を押し殺すこともできず、言葉が次から次へとあふれ出してくるのを感じた。


「なにゆえ、この世で誰よりも愛しい男をこの手で殺さねばならぬ!? 永遠の中の束の間すら、汝と一緒にいることも叶わぬ。なにゆえ――」


 言葉を重ねるごとに涙は止めどなくあふれ、頬を伝わって落ちてゆく。

 そんな顔を見られまいと、ナオクスヒメは頼通の首筋にすがり付き、涙で霞む目をその肩に押しつけた。


「会うべきではなかったのだ。さすれば、汝はイザナキと共に天寿を全うし、吾はイザナキを探す日々を送るだけでよかった……」


 突如、頼通の乾いた笑い声が、ナオクスヒメの耳をかすめた。


「それが私の宿世か。神が相手では逃げることもできない」


 頼通の意外にも落ちついた声に、ナオクスヒメは身体をゆっくりと起こし、彼の顔を覗き込んだ。


 頼通は何かを悟ったように、澄んだ光を瞳にたたえていた。


 頼通はナオクスヒメの頬に手を伸ばし、涙をやさしく拭うと、その身体をぎゅっと抱きしめてきた。


 その温かさにナオクスヒメの目には再び涙がほとばしっていた。


「あなたにとっても不本意だということはわかったから、悲しむ必要はないよ」


「なにゆえ、そのように割り切れる!? 吾は未だ覚悟できぬままだというのに……!」


 頼通は抱きしめる腕を緩め、やさしく唇を重ねた。


「私はあなたに会えてよかったと思っているよ。ずっと恋焦がれてきたあなたとこうして一緒にいられる時間を持てたんだから」


「それに」と、頼通は目を細めて微笑む。


「そうでなければ、私はもっと簡単に、容赦なく殺されていたんだろう?」


「……汝はそうやっていつも人を見透かす。ずるい男ぞ」


 ナオクスヒメの口元にも自然に笑みが浮かんでいた。


 この安らかな顔を見ることは二度とない。

 このまま永遠に止まってほしい時間は、神でもどうすることもできない。


 ならば――。


 ナオクスヒメは両手を伸ばし、頼通の頬にそっと触れた。


 もう込み上げてくる涙はない。

 気持ちはいつのまにか落ち着いていた。


「吾は確かに汝を愛した。この心を永遠に持ち続けるだろう。その証《あかし》をくれまいか?」


「証とは?」


「今一度、契《ちぎ》りを」


 意味が通じなかったのか、少しの間、沈黙が走る。


 ナオクスヒメは自分の言動に急に恥ずかしさを覚え、頬が熱くなるのを感じた。


「それは……あなたが私の子を産んでくれるということなのか?」


 ナオクスヒメが小さく頷くと、頼通は再び強く抱きしめ、頬を寄せてきた。


「私の子――私が生きていたという確かな証。それを他の誰でもない、あなたが与えてくれるんだ。こんなに嬉しいことはない」


「吾はその子をこの生ある限り、慈しむことを約束する」


 そして、生まれる子には自分と同じような孤独や淋しさを与えまい。


 ナオクスヒメはそう固く誓い、頼通の背に腕を回した。

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