第2話 なれの果て
長い……。いったい、いつまで続くのか。
月は西の空に沈もうとしている。
ナオクスヒメもそろそろ内裏に向かわなければ、また路頭に迷うことになる。
これでは今宵、イザナキを黄泉に送るのは無理だな。
ナオクスヒメは一日先延ばしになったことに、喜びにも似た安堵を感じていた。
さあ、帰るとしよう。
ナオクスヒメが内裏に向かって屋根の上を跳んでいくと、ふと近くに同じ方角に向かっている死霊――というよりは、悪霊の気配を感じた。
横を見ると、すでに人型を留めない悪霊が飛んでいた。
「汝は――」
その悪霊はびくりとしたようにナオクスヒメを振り返り、ぴたりと宙に止まった。
ナオクスヒメもちょうど足に触れた屋根の上に立ち止まる。
「お前は……!」
それは絞り出すようなしわがれた声で、恨みがましく叫んだ。
目はぎょろりと剥き出し、黄色く濁った白目に赤い血筋がくっきりと浮び上がっている。
乱れてばさばさになった白髪の隙間から、その瞳だけがはっきりと覗いていた。
「なぜ、あの姫を助けた!? なぜ、私の邪魔をする!?」
この悪霊は具平のなれの果て。
生前の詩歌を好んだ柔和な彼の顔を思い出し、ナオクスヒメはそこに憐れなものを感じた。
咲姫にずっと憑いていたのだろう。
具平がここにいるということは、今頃咲姫は息絶えている。
「汝まで憑いていたとはな。吾はただ霊玉たちに殺させたくなかっただけのことぞ」
「頼通殿の妻はただ一人、隆姫のみ。邪魔者は全て消す」
「なるほど。そして、次は女二宮のところへ行くのか」
「邪魔をするのなら、お前も殺す!」
いきり立つ具平に、ナオクスヒメは嘲笑を浴びせかけた。
想いの強さが彼に多大なる霊力を与えている――がしかし、それはナオクスヒメの比ではない。
「具平、人は人を殺めてはならぬことは知っておるだろう。それは人間の生が終わったからとて、許されることではない。汝はすでに一人殺してしまった。このままこの現世に留めることはもうできぬ」
ナオクスヒメは腕を月のもとに掲げ、神剣クラノオハバリを掴み取った。
「黄泉へ参られよ」
「まだ行けぬ……!」
具平は焦燥混じりの叫びを上げて、ナオクスヒメの元から飛び去る。
ナオクスヒメもまた、間髪を入れずに追った。
ここで会ったのも宿世。
具平を野放しにしておけば、イザナキを黄泉に送る時に邪魔になるかもしれない。
ナオクスヒメはそんな思いを抱きながら、逃げ惑う具平から目を離さず、月の光を身に受けながら屋根の上を駆けた。
強い夜風に衣が音を立ててはためく。
棟木で踏み切り、大きくクラノオハバリを振り被って、具平を一気に斬り捨てた。
「あああ……っ」
哀しい最期の叫びが、ナオクスヒメの耳に突き刺さる。
直後、具平の狂おしいほどに娘を愛する想いが、ナオクスヒメの胸に襲いかかってきた。
ナオクスヒメはその痛みに、胸を押さえてうずくまった。
「隆姫をそれほどに愛しいと思うのならば、汝は静かに行く末を見つめるだけに留めておくべきだったのだ……」
もはや具平に届くことはないと知りながらも、呟かずにはいられなかった。
ナオクスヒメは涙のにじむ目頭をおさえ、ゆっくりと立ち上がった。
「咲姫が死んだということは、子はどうなった……?」
無事に生まれたのか、それとも、もろともに殺されたのか――。
ナオクスヒメは頼通のいる邸をちらりと振り返り、束の間、その家明かりを眺めてから内裏に向かった。




