第1話 出産の儀
七日を過ぎると、夕方天頂近くに現れる月は子の刻まで沈まない。
ナオクスヒメにとって、月が昇るのがこんなに憂鬱だったことは、未だかつてなかった。
毎月毎月、これからの半月こそが、長く自由に動ける期間であり、自分らしく過ごせる日々であったというのに――。
ナオクスヒメは月が昇ると、まず頼通を探しに出かけた。
今夜、彼は宿直で後宮の周りの警備だと聞いている。
ナオクスヒメは殿舎の屋根を飛び移りながら、庭を歩く頼通を見つけ出し、それからはその姿を追いながら、遠目に彼を眺めていた。
ヨモツからは時間の猶予をもらえなかった。
ナオクスヒメは月の出ている今宵、すぐにでもイザナキを黄泉に送らなければならない。
月が沈むまでまだ時間はある。それくらいの猶予はよいだろう?
ヨモツにそう問いかけたら、それすらも許されない気がするが、こうして頼通を見守っている以上、イザナキを逃すことはない。
何の問題もないはずぞ。
しかし、逢うたびに愛しさの込み上げてくる今、本当は一刻も早く殺してしまった方がいいのかもしれない。
その方が傷も浅く済む。
頭ではわかっているが、心では少しでも長く、頼通と過ごす時間がほしいと思ってしまう。
それが叶わないのなら、せめて最後の瞬間まで、こうして頼通の姿を目に焼き付けておきたい。
ナオクスヒメがそんなことを考えながら麗景殿の上に飛び移った時、庭を歩いていた頼通に殿上童が駆け寄るのが見えた。
何かあったことがすぐにわかるほど、頼通は血相を変えて即座に駆け出す。
ナオクスヒメはゆっくりと立ち上がると、隣の梨壺に跳んで頼通の行方を見守った。
頼通は宜陽門から内裏を出て、そこから牛車でさらに東、上東門に向かって行く。
上東門を出てまっすぐに進むので、土御門殿か高倉殿に行くのかと思いきや、車は堀河で右に折れた。
「……ああ、咲姫のところか」
おそらく咲姫が産気付いたのだろう。
前に会った様子では、いつ生まれてもおかしくない状態だった。
先回りして咲姫のいるという五条まで行くと、彼女の身を寄せている邸はすぐにわかった。
地を揺るがすような読経の声がそこから響いてくるのだ。
邸の中門の上に立って庭の様子を覗けば、悪霊ばらいの散米が行われ、憑坐となった女は、いかにも悪霊が憑いたように奇声をあげてわめき散らしている。
それが出産の儀式だということは百も承知だが、ナオクスヒメはそれでもあまりの滑稽さに失笑が漏れる。
邸の中では数多い僧侶が祈禱の声を張り上げ、陰陽師も祝詞をあげている。
女の声も聞こえるので、女房たちも集まって祈っているのだろう。
実に騒々しいことこの上ない。
じきに簀子縁に姿を現した頼通は、いつのまにか白装束に着替えており、そのまま部屋に入っていった。
頼通に自分の子の顔を見せてやるくらいの時間は与えてもいいだろう。
毎回、そんな風に言い訳をしながら、殺すことを先延ばしにしてしまう。
そんな自分にナオクスヒメは苦笑しながらその場に腰を下ろし、子が生まれてくるのを待つことにした。
人は子を残すことで、自分の生きた証を残そうとする。
頼通もまた氏の長者になるのだから、おそらくそうに違いない。
初めての子の誕生を喜び、そして、死ぬとしても少し気が楽になるかもしれない。
それは吾の勝手な言い分か……。
ナオクスヒメは膝の上に顎を乗せて、出産劇が終わるのをただ待っていた。




