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女神は月夜に降臨する ~孤独な女神の初めての恋は、世界の崩壊の始まりだったのか?~  作者: 糀野アオ@『落ち毒』発売中
六章

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第2話 千鶴の望み

 隆姫《たかひめ》の甲高い悲鳴が響き渡る。


 そんな中、頼通《よりみち》は千鶴の亡骸のそばから動くことができなかった。


 千鶴の首からは留まることなく鮮血があふれ出し、床を赤黒く染めていく。


「何が、どうなったら、このようなことになるんだ……?」


 頼通が自問自答している中、隆姫は音を立てて倒れ、悲鳴を聞きつけた女房たちが隣の部屋からなだれ込んでくる。


 悲鳴を上げる者もいれば、そのまま失神する者もいて、突如として辺りは騒然となった。


 庭からは家人《けにん》や一緒にここへ来た随身《ずいじん》が部屋に駆けつけてくる。


「左大将《さだいしょう》様、これはいったい……!?」


 千鶴の血にまみれた死体が目に入るなり、皆、足がすくんだように立ち止まり、顔色を変えていた。


 ああ、動かなくてはならない。


 頼通はむっと立ち込める生臭い血の香りに、目眩を起こしそうになるが、それでも、自分を奮い立たせなければならなかった。


 ぎゅっと拳を握り締めて立ち上がると、家人たちを振り返った。


「女房が一人自害した。遺体は鳥辺野《とりべの》でも河原でも、どこでもいい、とにかく即刻運び出せ」


 頼通はそれだけ言うと、気を失っている隆姫を抱き上げた。


「誰か、気の確かな者、すぐに寝殿《しんでん》の方に姫の床《とこ》を用意しろ!」


 そう言ってみたものの、女房たちは誰一人として正気ではなく、動ける者はいなかった。




 ***




 ナオクスヒメは結局、体調不良ということで、今日一日仕事を休んで自分の局《つぼね》に籠もっていた。


 そして、月が昇った今も、いつものように出かけることができないでいる。


 少なくとも自分のいないところで、頼通が殺されたり死んだりしない限り、イザナキを探す役目は終わったのだ。


 後は頼通を殺す心の準備をすることのみ。


「これが夢ならば、どんなにか……」


 ナオクスヒメは突然の死霊の気配に、抱えた膝から顔を上げた。


「千鶴……」


 ナオクスヒメはこれが生霊でないからこそ、驚愕に目を見開き、青ざめた。


 千鶴は悲しげに顔を歪め、目を瞬かせた。


「何があった!? まさか、吾《あ》に殺される前に自害を選んだのか!?」


「いいえ。言付《ことづ》けの届くのが少々遅すぎただけですわ。姫様の心の病があれほどひどくなる前に、許すという言葉を聞きたかった……」


 ナオクスヒメは口の中が乾ききり、ごくりと喉を鳴らした。


「姫が、どうした……?」


「姫様は御自分が死ぬことを怖れていらっしゃいました。だから、自分が死ぬのなら頼通様も一緒にと……」


「二人は……無事なのか?」


「ええ。その代わりに、わたしはこのような姿になってしまいましたけれど」


「頼通をかばったのか」


 千鶴が自嘲しながら小さく笑うのを見て、ナオクスヒメはイザナキを逃さなかったことに安堵するのと同時に、千鶴が哀れで涙があふれていた。


「汝《なれ》には大きな借りを作った」


 ナオクスヒメはぽろぽろと涙がこぼれるのを止められず、膝に顔を埋めて声を殺して泣いた。


「あなたはこんな罪深いわたしにさえ、涙を流してくださるのですね。そのやさしさが身に染みます」


 千鶴の静かな言葉に、ナオクスヒメはほんの少し慰められたような気がした。


 そして、涙を払い、顔を上げた。


「吾のもとに来たということは、何か頼みごとがあるのではないか?」


「ええ。ナオクスヒメの神、お願いです。もう頼通様と隆姫様の仲を引き裂かないでください。姫様には頼通様が必要なのです」


「それが汝の死霊としての望みと――」


 これがいつもならば喜んで叶えてやったかもしれない。


 いや、具平《ともひら》の気持ちをも無視したこの恋は譲れなかっただろう。


 しかし、今や状況はすっかり変わってしまっている。


「すまぬ。それは約束できぬ」


「なぜ……!?」


 千鶴は泣きそうな顔で訴えた。


 頼通を殺したら、千鶴もまた怒るだろう。


 ナオクスヒメは千鶴を見ていられず、視線をそらした。


「わたしがタマヨリだからですか!? だから、聞いていただけないと……!」


 ナオクスヒメは静かに首を振った。


「吾とて不本意なのだ」


 今はそれ以上答えることはできなかった。


 死霊を慰める言葉さえ見つけられない自分がもどかしい。


「――して、これからどうする? 現世《うつしよ》に残ったのは、隆姫に付いていたいからだろう?」


「ええ……」


「ならば、片時も離れず付いていてやれ。たとえ、汝の声が姫に届かなくとも。そして、気が済んだら、吾のところに再び来るがいい。その時は黄泉に送ってやる」


 千鶴はまだ何か物言いたげだった。


 やがて、諦めたのか、小さく頷いて格子の向こうにその姿を消した。


 ナオクスヒメはぎゅっと目を閉じ、再び涙があふれてくるのを感じた。

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