第8話 イザナキの印
雪降る夜は美しく明るい。
庭の篝火が雪に反射して、局の中まできらきらと赤く照らし出している。
狭い部屋の中は炭櫃などなくとも、人の体温で充分に温まっていた。
ナオクスヒメは全身に絡み付く頼通の素肌の温かさが心地よく感じられ、自然に笑みをこぼしていた。
このまどろみの中のたゆたうように流れる時間が、安らぎと休息を与えてくれる。
事が果てた後の彼の胸の鼓動は、依然として早かったが。
「あなたの身体はひんやりとしていて、心地よいな……」
頼通は少し眠そうに目を細めて囁いた。
「朝になるまで少し休め。吾はここにおるから」
「……あまり眠りたくないな。先ほど嫌な夢を見たから」
「夢を怖がるとは、幼子みたいだな」
ナオクスヒメが思わず笑うと、頼通も口元にふうっと笑みを浮かべた。
「初めて会った時から、何度もあなたの夢を見てきた。いつもあなたは駆けていて、私が追いかけている。辺りが黄金色に染まった美しい夢だ。あれは前世が見せる夢なのかもしれない。私の前世もきっとあなたに恋をしたのだろう」
頼通は目の前のナオクスヒメを通り越して、どこか遠くを見ているようだった。
その幸せそうな笑みを浮かべている唇に、ナオクスヒメはついばむように軽く接吻した。
「人間は前世という言葉が好きだな。死んだら魂となって黄泉へ行くのか、現世に留まるのか。いずれにせよ、生まれ変わることなどないというのに」
「なんだ……」
頼通は明らかにつまらなそうな顔をして、目を閉じてしまった。
死んでもまた甦って愛しい人に逢いたいというのが、人間の夢なのだろうか。
ナオクスヒメには理解ができなかった。
「しかし、夢はその人の願望の表れともいう。それが本当ならば、汝はそれだけ吾のことを想っているということなのだろう。それは光栄ぞ」
「そう、きっとそうだったんだ。夢の中のあなたはいつも無邪気で、幸せそうに笑っていたから」
「吾はそれほど不幸せに見えるか? 今は汝のおかげでそうでもない」
頼通はこぼれるような笑みを浮かべたが、直後、目を開いて顔を曇らせた。
「では、先ほどの夢は、何だったんだろう……」
「どのような夢ぞ?」
頼通は少しの間、視線をさまよわせ、小さく唸った。
「嵐の中、あなたの声が聞こえた。私のことを愛しそうに、『汝兄の命』と呼んでいた。なのに、殺されそうになって、ただただ怖かった……」
頼通の言葉にナオクスヒメは、全身が凍り付いたかのように身震いした。
「まさか、そんなはず――」
ナオクスヒメは頼通の腕から抜け出し、手のひらで口元を覆った。
「どうした?」
ナオクスヒメは頼通を恐る恐る振り返り、ゆっくりと起き上がってくる彼の肩に両腕を伸ばした。
「背を見せよ……」
「背中を?」
頼通は怪訝そうに眉根を寄せながらも、後ろを振り返った。
ナオクスヒメは彼の右肩を指先でなぞり、腕の付け根でぴたりと止めた。
雪明りの中、ナオクスヒメの指の下に、火傷痕のような星型の痣がうっすらと浮かび上がる。
イザナキの印――それはヨモツがイザナキを襲った時に残した霊力の残骸。
ナオクスヒメは真っ青になって、頼通の背中に額を押し付けた。
なにゆえ……?
頼通はタカミムスヒの子、アメノコヤネ(天児屋)の命の末裔である藤原氏族。
この二柱の神はイザナキから生まれた神ではないので、頼通にイザナキが宿るはずがない。
「何か?」
頼通の振り返る気配にナオクスヒメは身体を起こし、慌てて微笑みを浮かべた。
「何でもない」
ナオクスヒメはこんな顔を頼通に見せることはできず、そのまま首筋に腕を絡めて唇を押し当てた。
「明日も明後日も、永遠に月が隠れているとよいな」
唇を離し、ナオクスヒメは小さな声で呟いた。
「私もその方がいい。月が出ていると、あなたはすぐにどこかに行ってしまう」
「そうでは――」
ナオクスヒメの言いかけた言葉の続きは、頼通の唇で塞がれてしまっていた。




