第4話 遊戯
ナオクスヒメが後宮の局に戻ってきたのは、月入りが近くなった頃だった。
遣戸を開けた瞬間、ここにいるはずのない者の姿が目に入って、ナオクスヒメは唖然とした。
そこには、オオマガツヒが直衣を着崩して悠々とくつろいでいるのだ。
「……汝、このようなところで、何をしておる?」
「ずいぶん疲れた顔をしているな」
「返事になっておらぬ」
ナオクスヒメは軽く睨むと、部屋に入って袿を羽織りながら座った。
「夜語りはいかがでしょう、美濃殿」
オオマガツヒは女房たちに向けるような艶な眼差しを投げかけてくる。
「わざわざ吾とすることもなかろう。汝を待っている女はたくさんおる」
ナオクスヒメは冷たく言い放って、脇息にもたれかかった。
オオマガツヒはつまらなそうな顔した後、改めて彼らしい好奇で酷薄な目を向けてきた。
「それで、いつ殺るんだ?」
そのことかと、ナオクスヒメはオオマガツヒの目的を知って、ため息をついた。
「殺らぬ」
ナオクスヒメの一言に、オオマガツヒは少なからず驚いたように目を見開いた。
「戯れ言だろう?」
「この状況でなにゆえ、汝と戯れなければならぬ?」
ナオクスヒメがふんと鼻を鳴らすと、オオマガツヒは不快そうに眉根を寄せた。
「それでは、俺の楽しみが減るではないか」
オオマガツヒが不満そうに漏らすので、ナオクスヒメは内心いい気味だと笑っていた。
こやつを喜ばせなければならぬ道理が、どこにある。
「残念だったな。汝が邪魔をしたおかげで、気が失せた。あれだけ脅せば、もはやタマヨリの霊力を使おうなどとは思わぬだろう。一度くらいは許してやってもよい」
「恋は神まで変えるものなんだな。お前がタマヨリに情けをかけるようになるとは、世も末だ」
「うるさい」
そういえばと、ナオクスヒメは身体を起こして、オオマガツヒを頭から足の先まで眺め回した。
「なんだ?」
オオマガツヒは怪訝そうな目を向けてくる。
「……汝は、いるのだな」
他の神々が死んだというのに、オオマガツヒはこうして目の前にいる。
死んだのは天つ神のみで、国つ神は存在するということなのか。
「今日、初めて高天原に行った」
「ほう。それで?」
オオマガツヒは興味をそそられたように耳を傾けてくる。
「神々がことごとく死んでいた。彼らは永遠の命を持つ者だろう。そんなことはありえるのか?」
オオマガツヒは馬鹿にしたように小さく笑い、膝を立てて顎を乗せた。
「俺が知るか。何の神か知っているくせに」
「確かに」
オオマガツヒは穢れの塊でできている。
ナオクスヒメと同様、高天原への出入りは禁じられているし、入るつもりもないのだろう。
「高天原の神々がどうなろうと、お前の知ったところではないだろう? 何を気にする?」
確かにナオクスヒメが関わりを持つのは、黄泉に送るべき悪霊のみ。
そして、イザナキを探すこと。
「しかし、原子が――」
アマテラスたちが不在の今、日嗣の皇子への加護は、もはやないも同然。
原子の不安は見事に適中していたのだ。
「今上をあれほど想っているのに、吾は助けることができぬ」
ナオクスヒメが呟くと、オオマガツヒは呆れたように笑った。
「お前は本当、死霊にだけは情け深いな」
「死んだ者には吾しかおらぬ。想いを遂げさせ、一日も早く黄泉へ誘うためぞ。情けをかけて、何が悪い」
オオマガツヒが眉を上げて肩をすくめた瞬間、その目が光ったような気がした。
そして、彼はナオクスヒメに視線を定め、にやりと笑う。
オオマガツヒがこのような笑い方をする時は、ろくなことを考えていない。
ナオクスヒメは警戒心全開で、ずりっと後ろに這いずった。
「何するつもりぞ……?」
オオマガツヒは身体を起こして、少しだけナオクスヒメににじり寄る。
くすりと笑ったかと思うと、ナオクスヒメは手首を掴まれ、その場に押し倒されていた。
「お前は月がないと、本当にか弱い女でしかないな」
強い力で床に組み敷かれ、ナオクスヒメはその残酷な言葉通り、身動きが取れなかった。
「何をする!?」
ナオクスヒメは身の危険を感じ、自分の心の臓が激しく音を奏で始めるのを聞いた。
オオマガツヒは、これ以上楽しいことはないといったように、興奮に目を輝かせ、至近距離でナオクスヒメの顔を覗き込んできた。
「さあ、遊戯の始まりだ。どんな顔をするか見物だな――」




