第4話 救い
「そのようなことをおっしゃって、本当は姫様を一番に殺したいのでしょう?」
千鶴は懸命に余裕の笑みを浮かべて、ナオクスヒメをまっすぐ見つめた。
いちかばちかの賭けだ。
ナオクスヒメの誇りが高ければ、上手くいく。
ナオクスヒメが少し不快げに眉宇をひそめるのを見て、千鶴は救いの兆しが見えたような気がした。
「どういうことぞ?」
「だって、姫様がいなくなれば、頼通様を一人占めできますもの。神とはいえ、やはり女ですわね。わたしのおかげで姫様を公然と殺す理由ができて、内心喜んでいるのでしょう?」
もう相手の誇りを傷つけることくらいしかできない。
このようなことを言われて、腹立たしく思う相手ならば、隆姫は救われる。
「何を言い出すかと思えば、吾が隆姫に嫉妬していると申すのか。勘違いもはなはだしい」
ナオクスヒメは鼻で笑って、千鶴を改めて見る。
「あら、違いますの? けれど、あなたがどう仰せになっても、他の八百万の神々はそうは思いませんでしょうね。神ともあろう方が私利私欲、私怨で人間を殺したと思うでしょう」
千鶴の言葉に対して、ナオクスヒメは顔色一つ変えることなく、微笑み続けるだけだった。
「汝は何か誤解してはいまいか? 人間が思うほどに神は崇高ではないし、わがままで自分勝手ぞ。それに他の神々がどう思おうと、吾が知ったところではない」
やはり、だめか……!
千鶴は絶望の只中で、笑みを浮かべることなどもはやできなかった。
顔は強張り、そんな顔を見せるのは癪で、隠すように俯くしかない。
「命乞いは終わったか? せっかく汝の戯れ言に付き合ってやっておるのだから、何か申せ。でなければ、殺るぞ」
低く笑う声がおぞましいほどに耳に響いてくる。
こちらの手の内など、結局のところ全てお見通しだったのだ。
もう泣くしかなかった。
ただただ涙を流すしかない。
これが自分のしてきたことへの代償だというには、あまりにむごい。
結局、自分が一番大切だと思ってきた隆姫を、自らの手で殺してしまうことと同じになるのだから――。
「お願いです。どうか姫様だけは……」
「今度は泣き落としか? 憐れなものだな」
「憐れと思し召すのなら……!」
千鶴は涙声を張り上げ、その場に崩れるように座り込んだ。
「誰でもいい、助けて……!」
千鶴が半狂乱で叫んだその時、小さく舌打ちする音が耳をかすめた。
「月が雲間に入ったか」
千鶴が恐る恐る顔を上げると、ナオクスヒメは忌々しげに親指の爪を噛んでいた。
その手に握られていたはずの神剣、クラノオハバリが消えている。
「汝もなかなか運がいい。首は預けておこう」
そう言って、ナオクスヒメは身をひるがえすと、音もなく部屋を飛び出していった。
後に残された千鶴は、無意識の内に自分の首を擦っていた。
「たす、かった……?」
一時しのぎでしかないが、確かに今夜は助かったのだ。
千鶴は安堵したのと同時に、やはり涙があふれ、その場に伏して泣いていた。
「誰!?」
隆姫の鋭い叫び声に千鶴が再び顔を上げると、そこに白い狩衣に紅の指貫姿の見たことのない解き髪の男が立っていた。
「く、曲者!?」
男は神経質そうな細い人差し指を形のよい唇にあて、無邪気な子供のような笑みを浮かべた。
「騒ぐな。命の恩人にそれはないのではないか?」
「命の、恩人……?」
千鶴は唖然とその言葉の意味を考えていた。
「命拾いした気分はどうだ?」
『誰でもいい、助けて』
確かに千鶴はあの時、絶体絶命の状況で強く願った。
その声に導かれて現れてくれたのだとすると、この男は――。
「神……?」
男はくすりと笑っただけで、否定はしなかった。
「ありがとうございます! この御恩、決して忘れはしません!」
千鶴は平伏して、ただひたすらに感謝していた。
「礼には及ばぬ。楽しみを後に取っておいただけだからな」
どういう意味……?
千鶴が怪訝に思って顔を上げた時、すでに男の姿は消えていた。
はっと我に返って、隆姫に駆け寄ると、彼女はがたがたと震えていた。
「姫様、大丈夫ですか!?」
千鶴は隆姫の肩を抱き寄せ、その背中をさすった。
「わたくし、あの女に殺されるの……? あの女もあの人の妾なの? だから、殺されるの?」
隆姫は完全に混乱して、千鶴の声が耳に入っているのかどうかも怪しかった。
「ならば、あの女も殺せばいいじゃない! 千鶴、やってよ!」
「姫様!」
千鶴が思わず怒鳴ると、隆姫は怯えたような目で見上げた。
「彼女は神です。神を殺めることなど、只人にはできません。それに、人を殺めることも神は許しません。わたしたちは罰を受けなければならないのです」
近い未来、再びナオクスヒメは現れ、命を奪いに来る。
しかも、自分の一番大切な隆姫の命をも。
先ほどの艶やかな男神は、再び助けてくれるのだろうか。
千鶴は祈るような気持ちで目を閉じ、仰向いた。




