第7話 信頼と愛情
頼通は脇息にもたれかかりながら、千鶴が来るのをまんじりともせずに待っていた。
人には知らない方が良いことがある。
隆姫が他の女に嫉妬するのは当然のことで、それなりのことをやっている自分が責めることはできない。
ただ、どこの誰かわからない相手に嫉妬するのは、幻影を相手にしているようなもの。
嫉妬も慰めの言葉一つで、思い過ごし、ただの思い込みで済まされることもある。
しかし、それがどこの誰で、どういう女かということを知ってしまうと、嫉妬する対象が定まり、現実の恨みや妬みに変わる。
半年ほど前から隆姫の嫉妬がひどくなった。
それは咲姫が懐妊したことを知ってしまったせいではないか。
そして、頼通もそんな彼女を相手にするのが億劫になって、輪をかけて帰らなくなった。
美濃から霊玉について聞いた時、あまりに思い当たる節があって、すぐに信じたのと同時に、それが嘘ならばいいとも思った。
やはり見張られているというのは、気分の良いものではない。
隆姫に対する今までの信頼が失せてしまう。
同様に隆姫も夫に対する信頼を失っていたのだろう。
確かに隆姫をただ一人の妻として大切にしてきたつもりだったし、降嫁の話など出なければ、一生彼女だけだと思っていた。
それが愛情かと言われると、少し違うような気がし始めたのは、夢に見てきた少女に再び会ってしまった時からだった。
今、本当に愛しいと思うのは美濃だけだ。
最初はただ幸せな笑顔を見たいと思っていた。
なのに今では、その淋しげな目にすら惹きつけられてしまう。
一筋に逢いたく思い、逢えない時間の一刻一刻が過ぎるのを遅く感じさせる。
彼女のことを考えると、この気鬱も消え果て、胸が温かくなるような気さえした。
「頼通様、千鶴でございます」
御簾の向こうから声が聞こえ、頼通は瞬時に現つに戻ると、千鶴を中に招いた。
「姫の様子は?」
「お疲れになったようで、お休みになられました」
「そうか」
千鶴は手をついたまま、萎縮したようにその身を縮こまらせている。
「話は手短に済ませよう。姫はお前を使って、何かしようとはしていないか?」
「どういうことでしょうか……?」
千鶴が俯いたままぴくりと身体を震わせたのを、頼通は見逃さなかった。
「知らぬふりをしなくても良い。今までずっと私を尾行させていたのだろう? 霊玉とやらを使って」
千鶴の初めて上げた顔は真っ青で、唇は震えてすらいた。
「どうして、それを……?」
「ある人が教えてくれた。おそらく、お前のしてきたことは姫のためになっていない。今までも、そして、これからもだ。だから、私を追い回すようなことはもうするな」
「……わたしは姫様の望みを叶えるだけでございます。申し訳ございませんが、頼通様がいかに仰せになっても、姫様に逆らうことはできません。今までも、そして、これからも」
千鶴の言葉に迷いは全くなかった。
彼女は落ち着きを取り戻し、凛とした眼差しで、正面から頼通を見据えてくる。
隆姫と千鶴の関係はそう簡単に崩れるものではない。
親子、兄弟関係が希薄なこの世の中で、乳兄弟とは遥かに長い時を共に過ごし、生涯信頼を失うことのないものだ。
頼通はこれ以上、何を言っても無駄だと判断し、諦めて息をついた。
「頼通様はあの方とお知り合いなのですか?」
千鶴の言葉に、頼通は少なからず驚いた。
「なぜ、わかった?」
「わたしがタマヨリであることを知っているのは、姫様の他はただ一人。いつぞや、わたしが曲者と申し上げた方ですわ」
千鶴は目を細めて儚げに笑った。
「確かにそうだが」
「もしもその方に会うことがございましたら、お伝えください。全てはもう遅かった、と」
「どういう意味だ? お前は彼女が何者か、知っているというのか?」
頼通の心の臓が激しく鳴り始める。
千鶴は美濃の正体を知っている。
そして、今、はっきりとわかりそうなところまできているのだ。
「タマヨリの天敵ですわ」
「それでは答えになっていない」
「その方にお聞きになられたらよろしいでしょう。頼通様は彼女にお心を寄せておられるのですね。姫様にまた酷い仕打ちをなさること」
千鶴はそれだけ言うと、もう一度頭を下げて、部屋を出て行った。
頼通は確かに美濃に『何者でもいい』と言った。
直接問うこともなかったが、気にならなかったわけではない。
ただ、知ることでこの関係が終わってしまうのが怖かった。
美濃から聞く話はいつも断片的でなかなか繋がらない。
いつか全てを知る時が来るのだろうか。
そして、その先に待っているものは何なのか――。




