第6話 諍い
何年ぶりかに隆姫は頼通と碁を打っていた。
新婚の頃が思い起こされるが、今はその頃の幸せに満ちていた時とは何かが違う。
隆姫は複雑な気分で、碁盤を挟んで向こう側に座る頼通を眺めていた。
頼通は直衣を着崩し、けだるげな様子で脇息に寄りかかりながら、碁石をもてあそんでいる。
視線はずっと碁盤の上に留まったまま、隆姫の方はほとんど見ようとしない。
姫宮降嫁のことで、少しは後ろめたいと思っているのか。
だから、ここ毎晩帰ってくるのか。
しかし、その話は頼通の方から未だない。
高倉殿は一応、頼通の所有であるが、それは隆姫が正室だからこそ。
姫宮降嫁となると、頼通は実質、今上の婿ということになり、もともと隆姫の父親所有のこの邸で、姫宮が一緒に住むとは考えにくい。
別の邸が本邸となって、頼通はここに通ってくることになる。
今でさえほとんど帰ってこないというのに、その上、ここが別邸になれば、愛情も持っていない、子もいない自分のところになど通ってくるだろうか。
形の上だけの次妻、悪ければ体よく離縁ということもある。
いや、頼通にとっては、それこそ願ったり叶ったりなのではないか。
今上の命で泣く泣く結婚しなければならない、という大義名分の下で、隆姫と別れることができるのだ。
そして、自分の家が日に日に朽ち果て、家人や女房たちもいなくなり、わびしい生活になることが目に浮かぶ。
それとも、宮仕えでもしなくてはならなくなるのか。
「……姫、姫?」
隆姫はすっかり青くなって、何も手につかず、頼通の呼ぶ声もろくに耳に入ってこなかった。
「だめよ……! そんなことには絶対ならない。父様だって黙っていないわ……!」
隆姫は自分の妄想の恐ろしさのあまり、目に涙を浮かべて身震いした。
「どうした? 具合いでも悪いのか?」
隆姫が顔を上げると、頼通が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「……いいえ」
「しかし、顔色が悪いな。床に入って休んだ方がいい。私は部屋に戻るから。千鶴はどうした? 今日はずっと姿を見ていないが、出かけているのか?」
「……千鶴は少々身体を壊して、休んでいますの」
「ならば、他の女房を呼ばねば」
「いいえ、結構です!」
頼通が扇を鳴らそうとするのを遮って、隆姫は叫んでいた。
彼は扇をぽろりと落として、目をみはる。
「何があった?」
隆姫は込み上げてくる感情を抑え切れず、口元を歪めて笑った。
「何があったか、ですって……? それは、あなたが一番よく御存知でしょう!?」
「何の話をしている?」
頼通の余裕の涼しげな笑みがこの上なく許しがたく、ただ憎いと思った。
「そうやって、いつまで空とぼけるおつもりですか!? わたくしが知らないとでもお思い? 姫宮と御結婚なさるそうですね。それはそれはおめでとうございます!」
隆姫は涙でかすむ目で頼通を睨み、最高の嫌味を込めて手をついた。
頼通は何を考えているのか計り知れない表情で隆姫をじっと見つめている。
緊迫感の漂う二人の視線のぶつかり合いは、頼通が先に視線をそらして終わった。
「そうか。やはり知っていたのだな。あなたが知っていない方が良かった」
頼通は少し淋しげに、ため息混じりに小さく笑った。
「それはどういう意味ですの? わたくしの知らない間に結婚して、知らない間に次妻にしようとしていらっしゃったの? わたくし、そこまで愚かではないわ!」
「姫、私はあなたが思うほど、薄情ではないと思っているよ」
隆姫の中で何かが音を立てて切れる。
気が付くと、手にいっぱいの碁石を掴み、頼通に投げつけていた。
幾つかは彼に当たり、幾つかは激しい雨のようにばらばらと床に降り注ぐ。
「姫様!? 今、すごい音が……!」
そう言って塗籠から飛び出してきたのは千鶴だった。
部屋の中の惨状を見た途端に、足をすくませている。
隆姫は硬直したまま、唇をただ震わせ、涙を浮かべて頼通を睨んでいることしかできなかった。
「千鶴、塗籠で何をしている?」
頼通の声は珍しく威圧的なものだった。
「わ、わたしは……」
「姫が落ちついたら、私の部屋へ来い」
「夜の御相手は妻ではなく、女房をお召しになるのですか!?」
隆姫の言葉が耳に入っているのかどうか、頼通は顔色一つ変えずにすくっと立ち上がると、一瞥をくれて部屋を出て行った。
「姫様、これはいったい……」
千鶴が隆姫の震える肩を抱き寄せ、背中を擦る。
その温かさに隆姫はついに全てを吐き出すように泣き出していた。




