第8話 はかりごと
三章最終話です。
一筋の光も入らない洞窟の中、男は壁に寄りかかっていた。
湿気った空気がその身に絡みつき、腐った肉のような生臭い香りが鼻腔をくすぐる。
男はその心地よさにうっとりと目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。
――と、同時に頭をよぎった顔に嫌悪を覚え、壁に拳を叩き付けた。
殺したくとも殺せない、あの憎々しい女――。
『ああ、愛しているわ。あなたに殺されるのなら本望ね』
年老いた女は口から血を滴らせながら、うれしそうに笑って言った。
この手で何度も殺そうとしたが、その度に自分の無力さを痛感させられる。
しかし、もう悩まされる必要はないのだ。
男は幻影を振り払って、静かに笑った。
やがて、ひたひたという静かな足音が闇に木霊し、男が目を開けると、灯皿を手にした少女がやって来るところだった。
「待たせたか?」
少女のぞんざいな口調は昔から変わらない。
「いや」
男は火明かりに浮かび上がる少女の顔を、ちらりと見やった。
黒髪が縁取る白磁のような肌も、濡れたような漆黒の瞳も、見た目に似合わず大人の女の艶やかさがある。
長い時がこの変貌を遂げさせたと思うと、なかなか興味深い。
「では、頂こう」
そう言って、少女は男の首筋に手を伸ばし、一気に掴み上げた。
縊るほどに締め上げながら、少女は目を閉じ、束の間の陶酔に浸っている。
「ああ……げに至福の瞬間ぞ」
少女の頬が紅潮するにつれて唇は乾いていく。
うっすらと開かれた唇から覗く真っ赤な舌が、ぺろりとそこを這い、艶を甦らせる。
「見つけた」
男の短い一言に、少女はかっと目を見開き、食い入るように見つめてきた。
「あれは何をしておる?」
「未だ知らず」
少女の手が離れ、男はゆっくり首筋を擦った。
「ならば、疾く――」と、少女は喜びと焦りを隠せない様子だ。
「時間を。そう焦ることもあるまい」
少女はもどかしげに指をさまよわせていたが、やがて小さく息をつくと、髪を振り払いながら男から離れた。
「ちょうどよい頃合いぞ。吾も満ち足りてきた。そろそろ動こうぞ」
「焦ることはないと言っているのに」
「汝とて、一日でも早い方がよいのではないか?」
「それは悩むところだな」
男はふっと笑い、女の姿を尻目に元来た道を帰った。
次話より四章が始まります。
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