第4話 呪詛
千鶴が七歳の時、母親に連れられ、北嵯峨の祖父のところへ初めて遊びに行った時のことだった。
『わしでもう最後かと思っていた。しかし、お前もまたかわいそうな宿世を背負ってしまったのだな』
祖父の突然の言葉に、千鶴はわけがわからず、ただ首を傾げた。
『どういうことなの?』
『この髪の色とその顔立ち。わしもかつてそうだった』
祖父は皺の深いたるんだ眼の奥で、憐れみを浮べて千鶴を見つめ、その頭を撫でた。
千鶴はこの亜麻色の髪が嫌いだった。
両親の髪は他の人と同じ、きれいな黒髪。
なぜ、自分ばかりが違うのか、いつも疑問に思っていた。
しかも、両親とは似ても似つかない彫りの深い顔立ち。
同じ年頃の子供たちと遊ぶ中で、「気味が悪い」、「もらわれっ子」などと、いじめられる原因となっていた。
ただ一人、隆姫だけが味方になってくれた。
『千鶴の髪はとても美しいわよ』
そう言って、泣き悲しむ千鶴を慰めてくれた。
『お祖父様も同じだったの?』
すでに出家して、髪のない祖父の頭を見やりながら千鶴は聞いた。
『そう。この髪はタマヨリの証なのだ』
『たまより?』
『この世をさまよう死霊に、言うことを聞かせられる霊力を持っておるのだよ。お前の身体には、その血が流れている』
『すごいわ!』
祖父は俄かに興奮する千鶴の両肩に手を置き、その目をしっかと見つめてきた。
『千鶴、よく聞きなさい。我々、タマヨリの一族をこよなく憎む神がいる。その神の怒りに触れ、今まで何人もの同族が死んでいった』
『なぜ、わたしたちが憎まれなくてはならないの? それも、し、死ななくてはならないなんて……』
千鶴は震える拳を膝の上に握り固め、祖父の視線から少しでも逃れようと、上目遣いに見上げた。
『それは、我々の持つ霊力が死んだ者の魂を穢すからだ。死んだ者は本来、黄泉に属する者。この現世にいる者が利用することは許されない』
『誰が許さないの? 黄泉の神様?』
祖父は静かに首を横に振った。
『黄泉の神、ヨモツ大神の娘――死霊を誘う誘魅の娘、ナオクスヒメの神という。この世で唯一、死霊と化した魂を黄泉に送ることのできる女神だ。死霊に情けをかけ、その想いを遂げさせる、やさしい美神。神剣クラノオハバリと共に月下に現れる』
『そして、わたしもいつか殺されるの……?』
祖父は目元を緩めて、千鶴の肩をやさしく叩いた。
「いいや。霊力さえ使わなければ、ナオクスヒメの神の目に留まることはない。わしもそうして生きてきた。お前も長く生きたくば、タマヨリの霊力など忘れ、只人として生きなさい」
千鶴は何度も頷き、決して霊力を使うまいとその時誓った。
千鶴は真っ青になって口元を覆った。
決して忘れてはならないことを、今の今まで記憶の中に封じ込めてしまっていたのだ。
「あれはナオクスヒメの神――」
俄かに冷や汗が浮ぶのを感じた。
このままだと殺される……。
すでにあの女神は千鶴の存在に気が付いている。
なぜ、あの時、物の怪などと間違えてしまったのか。
後悔してももう遅い。
『あまり御いたをすれば、吾も黙っておらぬぞ』
あの時の寒気がするほどぞっとさせられた冷たい声を思い出して、千鶴は自分の身体を抱きしめた。
……いいえ、過ぎてしまったことは仕方がないわ。
とにかく今は、得た情報だけでも隆姫に伝えなければならない。
それは隆姫にとって重要なことなのだ。
千鶴はかぶりを振って、自分を悩ませる女神の存在を脳裏から抹殺した。
***
隆姫は顔を強張らせて、千鶴の話を聞いていた。
「その、姫様のおっしゃるような、頼通様の新しい恋人かどうかはわかりませんが……」
「どちらでも同じことよ。わたくしはもはや正室ではなくなるのよ」
「けれど、まだはっきりと決まったわけでは……。頼通様の方もお困りの様子ですし」
「そうね、まだ決まったわけではないのよね」
隆姫がふっと笑みを浮かべるのを見て、千鶴は反射的にびくりと震えた。
「やりなさい」
隆姫の一言に、千鶴の身体からは冷や汗が噴き出し、目には涙があふれてきた。
「一人も二人も同じことでしょう?」
「姫様、申し訳ありません!」
千鶴はぺったりと額を床に付けて、平伏した。
「わたしにはできません。どうかお許しを。わたし、このままですと殺されてしまいます。まだ死にとうございません」
「何を馬鹿なことを言っているの。誰があなたを殺すというの。あなたにはあれが付いているのだから、誰も殺せやしないわ」
「いいえ、いるのです。神が――」
「神?」
千鶴の震える言葉をかき消すように、隆姫は「何をいまさら」と言って、甲高い声で笑った。
「臆病風にでも吹かれたの? 馬鹿馬鹿しい。わたくしと神、どちらを取る気? どちらが大切?」
「それはもちろん、姫様でございます。けれど――」
「ならばつべこべ言わずに、さっさと準備に入りなさい」
「……かしこまりました」
千鶴は袖で涙を拭きながら、再び塗籠に籠もった。
こんなことならば、タマヨリの血を引いていることなど、話さなければ良かったのだ。
千鶴が最初に霊玉を使ったのは、隆姫が結婚して一年ほど経った頃だった。
頼通の訪れが急になくなったことで、隆姫は他の女の存在を疑い始めていた。
邸の中にいる女は出歩くこともままならず、夫が何をしているのか、どこにいるのか、知る術がない。
聞いたところで、夫は適当にはぐらかすばかり。
乳兄弟として幼い頃から一緒に育ってきた姫の憂い苦しむ姿を見るのは忍びなく、『良い方法がある』と言って、自分の特異な能力について教えてしまった。
それからというもの、事あるごとに霊玉を使って頼通を尾行し、行く場所、文の届け先、全てを調べ上げてきた。
それだけなら、まだ良かったのかもしれない。
何かが狂い出したのは、頼通の妾妻の一人、六条の咲姫が懐妊した時からだった。
霊玉を自由に操れることに全ての力を握ったような気になっていた自分もまた、狂っていたのかもしれない。
そして、道を踏み外した。
咲姫の子が無事に生まれることはないだろう。
そうなるように呪詛したのだから。
今頃、咲姫の周りにはたくさんの悪霊が取り巻き、死を囁いている。
そしてまた一人、殺さねばならなくなった。
それとも、先に死ぬのは自分の方か。
ナオクスヒメは決して許さないだろう。
あの妖しい笑みを浮かべ、クラノオハバリをきらめかせて舞いに来る。
千鶴は覚悟を決めると、懐剣を抜き、袖をまくった腕に一筋の傷を入れた。
「さあ、死霊ども、我が血のもとに集まらん――」
黒々と滴る血は小さく切った懐紙に吸い込まれ、複雑な文字を浮び上がらせた。




