第1話 五十賀
二十五日、関白左大臣道長の五十賀へ参会するため、昼から牛車やら手輿がぞろぞろと土御門殿に向かって、土御門大路を練り歩いていた。
会の主催は道長の長女である皇太后の宮、彰子。
その皇子である幼い東宮を始め、数多い藤原氏の一族が勢ぞろいして、土御門殿の広々とした邸内と庭は、ひしめくほどに華やいでいた。
ナオクスヒメは中宮付きの女房たちと一緒に寝殿の南廂に座って、庭で行われている舞楽や贈歌の模様を見ていた。
伴ってきた女房たちは、ここぞとばかりに華麗な衣装を身に付け、贅を競い合っている。
さすが宮付き、摂関家付きの女房たちだけあって、みすぼらしい者は誰一人としていなかった。
教通に衣装を贈られなかったら、さすがに来ることはなかったのだと、ナオクスヒメは改めて納得していた。
この会に参加できたことを喜ぶべきなのかどうなのかは未だわからないが、楽しければ教通に感謝というところだろう。
それに高倉殿で逢って以来、音沙汰のなかった頼通を御簾越しに見つけ、ナオクスヒメは少し心が浮き立っていた。
「今宵こそ、権中納言様の目に留まってみせるわ!」
隣に座っている和泉は鼻息も荒く、目をらんらんと光らせている。
「なぜ、今夜なのですか?」
ナオクスヒメが不思議に思って聞くと、和泉は「何をわかり切ったことを聞くの」と、言って笑った。
「こういう宴の時しか、近づく機会がないからに決まっているじゃない。権中納言様は中宮様とは異母兄妹。普段、藤壺の方にはあまりいらっしゃらないでしょう?」
「ああ、なるほど」
「それに御酒を召し上がりになって、ほろ酔い気分で夜語りでも、となる。そして、意気投合。その後は朝まで、ふふふ……」
「ふふふ?」
「いやあね、そこまで言わせないでよ」
ばちん、と音が立つくらいに和泉に背中を叩かれ、ナオクスヒメは目に涙を浮かべた。
***
酒宴も酣になった頃、頼通は父親の道長に呼ばれ、庭から階を上って御簾の前に控えた。
「お呼びと伺いましたが」
声をかけると御簾が巻き上げられ、中に通された。
道長はことのほか機嫌が良く、勧められる酒を勢いよくあおっていた。
「何を堅苦しいことをしておる。酒が足りないのではないか。さあ、一献」
「ありがとうございます」
頼通は注がれる酒を一気に飲み干し、空になった土器を下に置いた。
「父上はずいぶんと御機嫌のよろしいようで。この祝宴は満足していただけたでしょうか」
「満足だ。それ以上に今日は良い話があってな」
「良い話、ですか」
この父親の言う『良い話』とは、頼通にとってではなく、父親自身にとってということがほとんどだ。
そんな前例が数あるため、頼通は懐疑的に、しかし、顔に出さないように笑みを浮かべた。
「どのようなお話でしょうか」
「お前の結婚が決まった」
「めでたいめでたい」と、道長は扇で顔を煽っている。
片や頼通はあわや失神するかと思うほどに、血の気が引いて真っ青になっていた。
「結婚、とは……? 私はすでに結婚しておりますが。どなたかとお間違えでは……?」
「何を馬鹿なことを言っている。妻一人で良いなどと言うつもりか? 五年も経つのに子一人できない。この家の長子だという自覚があるのか?」
「――して、相手というのは、后宮の女二宮のことでしょうか」
「他にいるか」
確かに内親王の降嫁は臣下にとって、この上なく名誉なことかもしれない。
が、しかし――
「お断りできないでしょうか」
「痴れ者!」
道長は怒りもあらわに叫び、閉じた扇で脇息を打ちつけた。
「こんな良い話があるか! しかも、あちらからお前を是非にと勧められた話だ。もう返事はしておいたから、お前も準備を始めろ。できるだけ早くな」
「父上は私に死ねとおっしゃるのですか!?」
思わず叫んだ瞬間、頼通はしまったと思い、礼もあやふやに御簾を飛び出した。
そのまま庭の宴席に戻って、一気に酒をあおる。
父親の魂胆はすぐにわかった。
今上は病を抱えていて、いつ譲位してもおかしくない状況にある。
譲位するにあたって気になるのは、女二宮のことのみ。
つまり、彼女が結婚すれば、何の憂いもなく譲位できるということだ。
そして、今東宮の即位。
今東宮は道長の孫。
彼は外祖父という立場で、全ての実権を握ることができる。
結婚は早ければ早い方がいい。
おそらく来年早々にでも、譲位をほのめかす気でいるのだろう。
頼通の地位が若くして高いのは、この父親一人が作った土台のおかげだ。
この先、自分には摂政関白の道が確実に開かれている。
それは充分承知の上だが、命あっての物種。
女二宮と結婚すれば、隆姫は当然次妻。
亡き具平親王は決して許しはしないだろう。
美濃のためならば、命も惜しくはないと思った。
しかし、好意すらない女二宮のせいで、物の怪の怒りを買って死ぬのは御免である。
頼通はあまりの悔しさに、自分ではどうすることもできない無力さに腹立たしく、涙までにじんでくるのを感じた。
「兄上?」
気が付くと、教通が恐ろしいものでも見るかのように、自分を眺めていた。
「何かあったのです?」
「女二宮の降嫁が決まった」
「兄上に、ですか?」
頼通は前を見据えたまま、黙々と酒を飲んでいた。
「どうして、いつも兄上の方に良い話が行ってしまうのでしょうね。時々、兄上より先に生まれたかったと悔やまれます」
嫌味のたっぷり含まれた教通の言葉に、かっと頭に血が上る。
「お前はそれ以上に何を望む!? 大納言家の婿として大切にされ、子も生まれ、官位とて申し分ない。何が不満なんだ!?」
「恐妻家の兄上らしい反応ですね。隆姫はそれほど怖いですか?」
「そうではない――っ」
頼通が顔を真っ赤にしてつづろうとした言葉を遮って、教通は目を細めてにっこりと笑った。
「兄上、飲み過ぎですよ」
教通のたまに見せる対抗心が、本音だということはわかっている。
何かにつけて頼通を引き合いにし、その嫉妬で燃えんばかりだというのに、人当たりの良い笑顔で上手にかわす。
時にはそれが白々しく見えることもあり、馬鹿にされているようにも思える。
何より血の繋がった弟だからこそ、余計に苛立ちを覚えさせるのかもしれない。
「ほっといてくれ。今夜は過ごしたい気分なんだ」
やれやれと教通は眉を軽く上げると、土器を置いて立ち上がった。
「兄上の自棄酒には付き合いきれませんね。今宵、季節はずれの珍しい蝶が舞い込んでいるのですよ。それを見ないことには眠れそうにない。では兄上、あまり飲みすぎないように」
あの、色好みが……! また新しい女房にでも目をつけたか。
頼通は舌打ちして土器を傾けようとした瞬間、嫌な予感がして、反射的に教通の行方を振り返っていた。
新しい女房――。
教通が美濃に目をつけていることを、すっかり忘れていた。
彼女がここに来ているとは思ってもみなかったが、教通が絡んでいるとなると話は違う。
酔いも一気に覚めて立ち上がると、教通の姿を必死に探し始めた。




