第9話 タマヨリ(魂憑)
二章最終話になります。
ナオクスヒメは妻戸を後ろ手に閉めて、しばしの間、満たされた気分で目を閉じていた。
頼通、か……。
いまだぬくもりの残る唇に手を触れると、自然に笑みがこぼれていた。
――が、次の瞬間、不穏な気配を感じて目を見開くと、高欄に手をついて庭に飛び降りた。
振り返った時にはすでに、青白く燃え上がる鬼火が数え切れないほどナオクスヒメの周りを取り巻いていた。
霊玉か……!?
ナオクスヒメは間髪入れずにクラノオハバリを宙からたぐり寄せると、それらを全て斬り払った。
「おまえ、何者……!?」
簀子縁から上ずった女の声が聞こえる。
ナオクスヒメは袖で口を押さえ、いまだ自分を取り巻く煙が消えるのを待った。
あふれた涙が一筋、ナオクスヒメの頬を伝って落ちていく。
「物の怪の気配がした……。どうして、わたしの呪符で祓えない……?」
女は茫然としたように、問うわけでもなく呟いている。
やがて、煙が晴れた後に見えた女は女房装束をまとっていた。
刺青を入れたかのように深い目元、色素の薄い亜麻色の髪――。
ナオクスヒメの記憶の片隅にかすかに残るその姿を思い出すや否や、涙を一気に拭い払った。
「汝、タマヨリ(魂憑)か」
「なぜ、わたしのことを……!?」
「死霊使いの端くれのくせに、吾の顔を知らぬとは笑止千万」
ナオクスヒメは口元を歪めて笑った。
タマヨリの血族――遥か昔、大陸より渡来した人外の霊力を持つ一族。
彼らは現世にさまよう死霊を呪符に封じ込め、手足として自由に操る。
その目的の大半は呪詛。
封じられた死霊は霊玉となって、人を死に至らしめるほどの霊力を持つ。
それはすでに死霊ではなく、悪霊。
遺された人をただ静かに見守っているだけの死霊に殺意を植えつけ、悪霊に変える。
時の権力者たちは、タマヨリの霊力を大いに利用してきた。
もちろん、死霊を辱めるタマヨリをナオクスヒメは許さなかった。
悪霊にさえならなければ、ナオクスヒメが斬る必要はないのだ。
その血族は根絶やしにしたはず。
しかし、いまだにその血は脈々と受け継がれていたのだ。
思わぬ伏兵に、ナオクスヒメは自分の迂闊さを思い知った。
今の声で警備の者たちが異変に気付いたのか、こちらに駆けてくる騒々しい足音が聞こえてくる。
「何事だ!?」
妻戸から太刀を片手に姿を現したのは頼通だった。
ナオクスヒメと女の姿が同時に視界に入ったのか、驚いたように目を剥いている。
「千鶴、何があった?」
「く、曲者が……! 誰かこれへ!」
女は女房の仮面をさっと付け、怯えた声で叫んだ。
ナオクスヒメはそんな女を見て、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「名は千鶴か。覚えておこう。しかし、あまり御いたをすれば、吾も黙っておらぬぞ」
ナオクスヒメは一歩後ずさり、クラノオハバリを消しながら身をひるがえした。
庭を駆け抜け、釣殿の高欄に飛び上がり、そのまま屋根に舞い上がる。
具平の死霊にタマヨリの女。
これほど似合いの組があるだろうか。
これから何か起こるといわんばかりだ。
タマヨリが入り込んでいるとなると、具平はすでに悪霊と化していることも考えられる。
なにより厄介なのは、タマヨリの血を引く者が女だということ。
女の方が感情的に動きやすい。
私怨、嫉妬にかられると、前後の見境なく、自分の霊力をおおいに利用してしまう。
厄介なところに厄介な者がいた、といったところだろうか。
取り敢えず何も起こらないうちにその存在を知ったのは、まだ救いだったのかもしれない。
それにしても……頼通も本当に運の悪い男というか。
ナオクスヒメは同情と共に嘆息した。
次話より三章が始まります。
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