*第63章~買収の宴~
アレクとヴィンセントからの報告を終え一段落すると、紗羅はアイザックたちの様子が気になったので、部屋に2人を残したまま、隣の宿へ向かった。アイザックたちが泊まっている宿屋は外見のきらびやかさもさることながら、中へ入ると、贅沢の限りをつくしたような造りだった。紗羅が宿屋に一歩足を踏み入れると、出迎えの男性がすかさず紗羅の前に現れ、恭しく礼をする。
「いらっしゃいませ。本日はご宿泊でしょうか?」
紗羅は首を横に振った。
「ここに泊まっているアイザック・ベルンとユーリ・ローゼンに用がある。」
紗羅が2人の名前を出すと男は一瞬にして顔色を変えた。
「ベルン様とローゼン様のお知り合いでしたか。どうぞ、ご案内いたします。」
(やけにあっさり通したな。)
紗羅は男の対応に不自然さを覚えた。何故なら、先ほど紗羅が受付に視線を向けたとき、この宿に泊まろうとしている客相手に受付の男が身分証の提示を促し、その身分証を見た途端、手のひらを返したように客を追い出していたからだ。まるで客を選んでいるような宿だったが、紗羅に対しては身分証の提示を言わず、ただ知り合いと言うだけで易々と紗羅を案内したのだ。
色々と考えることはあるが、紗羅は男の案内について行った。
「さあ、こちらです。」
案内人の男が指し示した方向には小さな扉があった。その隣には大きく派手な扉があり、そこに娼妓がたくさん入っていくのが見えた。紗羅が小さな扉の中に入ると、案内人の男は扉を閉めて去った。
部屋の中をぐるりと見渡すと、この宿屋には不釣り合いな質素な造りとなっており、大きな鏡と、椅子とテーブルだけが置いてあった。そのテーブルの上に大きな箱が置いてあることに気づき、テーブルに近づく。箱の上には置手紙があり、何故か「サイル君へ」と書かれている。
紗羅がその手紙を手に取り、中を見る。
〈サイル君、やっと来てくれたね。僕はずっとユーリとかいう人の相手をしてて飽きたので、どうか暇つぶしになって下さい。この衣装は僕から君へのプレゼントです。それを身に着けて、隣の部屋に来てください。アイザックより。〉
紗羅は手紙を閉じ、箱の蓋を開けた。すると中には必要以上にヒラヒラした光沢のある水色の服と、たくさんの簪や化粧道具が入っていた。その衣装が何を示しているのか、紗羅にはすぐに分かった。
(私に娼妓に扮しろと言うのか?何を考えているんだアイザックは…。)
以前一度芸妓のふりをしていたことがあり、その時にアイザックにその恰好を目撃されていたが、娼妓は芸妓と違って、男性に密着したり、時には身体を売らねばならないこともあるため、紗羅にはリスクが高く、避けていたことだった。本当ならばそのようなアイザックの頼みなど、聞く気はなかったが、紗羅はそこに何か意味がある気がしたので、しばらく考え、アイザックの指示通りにすることにした。
身支度を整え、紗羅は小部屋を出て、隣の大きな扉の前に立つ。そこで一呼吸おいて、部屋に入るタイミングをうかがっていると、廊下の奥から、本物の妓女が現れた。
「あら、貴女も御呼ばれしているの?見ない顔ね。どこの店?」
興味津々と言った感じで、紗羅に詰め寄りながら聞く妓女に紗羅は少し戸惑った。
「い、いえ、私は―――」
「分かった。新人さんね。私についておいで。」
紗羅が何か言うよりも早く、勝手に思い込んで紗羅の手を引っ張る妓女。
「私は藍蘭よ。貴女は?」
扉に入る前に藍蘭が振り返って聞く。
「翡翠です。」
咄嗟に芸妓のふりをしていた時の名前を出した紗羅。
「そう、翡翠ね。よく似合っている名前だわ。さぁ、行きましょう。」
そう言って藍蘭は戸を叩き、扉を開いて中へ入る。紗羅は藍蘭に手を引っ張られたまま後をついて行った。
(?!!)
紗羅が部屋の中へ入ると、部屋の中には数人の男性と、その男性たちを両脇に挟み込むように、1人の男性につき、2人の妓女がぴったりと寄り添っていた。そして部屋の奥の舞台上では芸妓が踊りを披露していた。
(芸妓も呼んでいるなら、そっちの衣装を用意しておいてほしかった。)
紗羅は心の中で不満を言いながら、アイザックとユーリの姿を探す。2人は1人の男性の両脇にそれぞれ座っており、完全にお酒で出来上がっていた。
「お?新しい妓女か?どれ、近くに寄れ。」
アイザックとユーリの間にいる男がご機嫌そうに紗羅と藍蘭を呼んだ。藍蘭は紗羅の手を引いたまま、その男の前に向かい、膝をついた。
「わたくし、藍蘭と申します。こちらはまだ新人の翡翠でございます。」
藍蘭が紹介をすると、男は興味を持ったようで、寄り添っていた2人の妓女の手を離し、身を乗り出した。
「2人も、面を上げて、顔を見せておくれ。」
媚びるような男の声に、紗羅は吐き気を覚えたが、堪えておずおずと伏せた顔を上げる。紗羅がじっと男を見つめると、男が一瞬で紗羅の虜になったのが分かった。
「おい、翡翠とやら、そばに来なさい。」
紗羅を手招きして呼ぶ男。紗羅は内心近寄るのも嫌だったが、しぶしぶ隣に座った。隣に座る前に一度アイザックとユーリの様子を伺ったが、アイザックは紗羅と気づきニヤニヤと楽しそうな顔を浮かべていたが、ユーリは特に紗羅に気づいた様子もなく、隣の男との会話を楽しんでいた。
紗羅は男に酌をしながら、状況を把握しようと、会話に耳を傾けた。話の流れから、ここに集まっている男たちはロヴィスコ州の州官たちであることが分かった。
(ここで情報を集めようということか。なんだ、ちゃんと仕事をしているんではないか。)
紗羅は安心したように、ホッと笑みを浮かべていたが、ユーリが発言をした次の瞬間、激しく動揺をしてしまった。
「皆様、私たちにこのような素晴らしいおもてなしをしていただき、大変うれしく思っています。みなさんのそのお心づかいによっては、暗行御史としての任務の報告はいい内容を上に伝えさせていただくつもりです。」
ユーリがそう言うと、男たちは大いに盛り上がり、次々ともてなしが続いた。
(どういうことだ?まさか買収されたのか?!)
紗羅は反射的にアイザックを見たが、われ関せずと言った顔で何も反応を示してくれなかった。その後も、特にユーリ達は州官から情報を聞き出すそぶりもせず、ただこの接待を楽しんでいただけだった。
接待がお開きになると、紗羅を放さなかった男が紗羅に夜伽をしつこく迫ってきた。
「私が手ほどきしてあげるから、私の部屋に来なさい。」
もう、その男に対して嫌悪感しかなかった紗羅だが、さすがにここで本性を現すことが出来ずに、やんわりと断っていたが、男はいつまでたっても引き下がらない。紗羅は自分たちの横を通り抜けようとするアイザックに気づき、彼の袖を引っ張った。
「申し訳ございません、旦那様。わたくしは今日は既にこちらのベルン様と先約がございます。また次の機会にお願いいたします。」
自分よりも身分も、経済的にも上の立場にあるベルンの名前を出されて、男は仕方なく引き下がった。紗羅はそのまま強引にアイザックの腕を引っ張って、男の見えないところまで歩いた。角を曲がり、誰もいない事を確認すると、アイザックに詰め寄った。
「どういうことだ?何故僕にこんな恰好をさせて、あんな最低な場所へ呼んだんだ?」
紗羅は少し本気で怒っていたため、ギリギリとアイザックの衿を締め上げた。
「な、何故って、ちゃんと紙に書いてあったでしょ?暇つぶしってさ――――うぐッ!!」
ふざけた態度しかとらないアイザックに紗羅はつい力んでしまい、アイザックの首を絞めていた。そして真意を伺うようにアイザックを睨んだが、アイザックの表情から何か情報を聞き出すことは出来ないと理解し、手を緩めた。
「げほッ…。あー、苦しかったー。ところでさ、今日僕と一緒に一晩すごすんでしょ?」
しなだれかかってきたアイザックを避けて、紗羅は後ろに回り込む。
「そんなつもりはない。ヴィンセントたちも待っていることだし、そもそもあれはあの場を回避するためだけに言ったんだ。すぐに帰るさ。」
紗羅はそう言ってその場を去ろうとしたが、アイザックが紗羅の腕を掴み、それを阻む。
「だーめだよ。もしあの人に見つかったらどうするの?言っとくけど、あの州官、かーなりしつこいし、いろいろと汚い手を使ってくると思うよ?そんなのに見つかったら後々面倒なんじゃない?」
面白そうに話すアイザックに紗羅は再び怒りを覚えたが、諦めてため息をついた。
「仕方がない。今日のところはお前の部屋に泊まっていく。」
紗羅は部屋へ案内するようにアイザックを促すが、今度はアイザックがそっぽを向いた。
「?なんだ、早くしろ。」
紗羅は少しイラつきながらアイザックを急かす。するとアイザックは不満げな表情を浮かべ紗羅を見た。
「人にものを頼むときの態度がそれじゃあ、あんまりなんじゃない?もっと可愛くおねだりしないと、連れて行ってあげなーい。」
完全に楽しんでいるアイザック相手に、紗羅はしばらく言葉が出なかったが、人が近づいてくる気配がしたので、表情筋をフル活用して必死に笑顔を作った。
「お願いします、僕をあなたの部屋に連れて行ってください。」
その言葉を聞くと、満足したのか、アイザックは紗羅の手を引いて、歩き始めた。
今回はアイザックを目いっぱい出しました。そして昨日はオリンピックの誘惑に勝てずに更新できませんでした。さいきんさぼり気味ですねー。




