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溺れる魚たち  作者: 夏目カガリ
Drowning Fishes
22/29

2011年、深夜③

 

「さて、今日の“世界で活躍する日本人”のコーナーは、初のアーティストのご紹介です! 皆さん、 画家の一ノ瀬時子さんってご存知ですか?」

「知りませんねえ。僕は芸術とか全然疎いから」

「私は聞いたことありますよ、なんでもマーキーが熱狂的なファンなんでしょ?」


「田口さん、さすがお詳しいですねー。そうです、鬼才と名高いあの映画監督、ルイス・マーキーが火付け役となったことで、 今やセレブの間で爆発的な人気を誇る新進気鋭の画家なんですねー。 いまや彼女の絵はブロードウェイ・ストリートの広告に引っ張りだこですし、 また最近ですと『虹の時代』と呼ばれる、一つの色彩だけを用いた絵画シリーズを手がけていらっしゃいますね。 これもすごい人気で、値はつりあがるばかりだとか」

「へえー知らなかったなあ。在米日本人の方?」


「ええ、五年ほど前に渡米されてますね。逆輸入の形で徐々に日本でも名前が知られてきつつある、 この一ノ瀬時子さんなんですが、なんと! 2005年に一大ブームを巻き起こした映画、『名前のない肖像』で絵画の製作・提供をなさってたんですね」

「ああ、曾我監督の! 僕、好きなんですよあれ」


「さらに同年四月には、 若手の登竜門として有名なパリ国際美術コンペティションの油絵部門にて、歴代で三番目という若さで栄誉ある金獅子賞を受賞されてます。 ちなみに、こちらの写真がその受賞作品になるんですが」

「……なんか、やけに暗くて重いですね。いや、僕は芸術はよく分からないけどさ」


「そうですねえ。彼女の作品の特徴としてよく挙げられるのが、 緻密で繊細なタッチとそれを裏切るかのような大胆な構図、そして色彩の重厚さですね。 ところで、この絵がいま話題を集めているんですよ」

「へえ、またなんで」


「この作品で金獅子賞を受賞される前、一ノ瀬さんは人物画を描かない画家として知られていたんですって。 現に、この作品以前に一ノ瀬さんが描かれた人物画は一つもないんです」

「またまたぁ。一つもってことはないでしょ」


「まあ、たしかにいくつかの作品に人は出てくるんですが、どれも人物画と呼べるものじゃないんですね。 えー……たとえば、こちらのようにですね……ほら、隅にちいさく佇んでいたりですとか。 身体の一部分だけが誇張して描かれていたりですとか。学生時代のデッサンなんかはいくつかネット上で出回っているそうですが」

「ネット上では、よく議論されてるわよね。この青年についてさ」


「そうですね、この、まるで闇のなかに溶け込むような裸の青年は誰で、なぜ彼女はこの作品を皮切りに人物画を手がけるようになったのか。 そして、この絵は今現在、誰が所有しているのか」

「え、この絵、行方不明なんですか?」


「いえ、実際は非公式にされているだけなんですが」

「話題作りじゃないの~?」

「無きにしも非ず、よね」


「さてさて疑問は膨らむばかりですが、この一ノ瀬時子さんの個展が来月末に××美術館にて開催される予定で――」





 達朗は動画を停止して、イヤホンを外すと垂火に携帯を返した。

 画面には一時停止された女子アナウンサーが微笑んでいる。公式サイトにアップロードされていた、朝の情報番組の一部始終。


「もういいのか?」

「いい」

 達朗が低く答えると、垂火は画面を消して携帯を上着のポケットに仕舞った。

「なんで、そんな怖い顔してんの」

「別に」

「どう思う?」

「何が?」

「七年も経って、どうして今更この国で個展を?」

「……需要が出てきたからじゃねーの」

「今回は本人も来日するらしいよ。この個展のために」

 達朗はグラスを運ぶ手をとめた。

「さっきの番組。お前が停止した五秒後にそういってた」


 心の疑問を読み取って垂火がそう教えてやれば、達朗は緩慢に頷いた。 そして、独り言のようにこう呟いた。


「昔、あんたはいったよな。この世にはいくつか逃れられないものがあるって」


 老いに病、死。そして喪失。

 垂火はいつかの自分の言葉を脳裏に浮かべた。


「けど喪失の哀しみには忘去って薬がある。なんで、あんたはそいつを使わなかった? 早くにそうしてやりゃ、あんたもあの人もあんなに傷つくことはなかった」

「お前が評価してくれているほど、俺は出来た人間じゃないんだよ。 自己中心的だし、自分かわいさに他者を利用することだってあるさ」

「利用、ね」


 達朗のもの言いたげな目線を、垂火は横目で受け止めた。


「……何かを手に入れたいと思うんなら、代わりに何かを捨てる覚悟をしなきゃいけないんだと。手は二つしかないんだから」

「それ、死んだ男のセリフ?」

 垂火はうっそりとした笑みで応える。

「どんな人間だったんだ? 話に聞く限り俺にはどうも、禄でもない気がするんだがな」


 達朗の問いに、垂火は視線を斜め上に向けた。


「俺が高二、いや三年のときかな。隣の高校の区域で通り魔事件があったんだ」

「? うん」

「幸い死者は出なかったけど、まあ、厭な事件だよ。 そのうち犯人は捕まって、俺はなんかの話のついでに、最低だよな、何のためにこんなことしたんだろうな、 とかそんなことを時生さんに話した」

 そこで垂火は言葉を切り、たわむれにグラスを伝う水滴を指先ですくった。

「彼は事も無げにこういった。『例えば狼にとって、羊の種類や数は関係ないんじゃないか?』」

「……」

「俺は……もしかしたらこいつが真犯人なんじゃないかと、ちょっと本気で疑った」


 指先についた水滴を親指ではじき、垂火は打って変わっておどけた風にいった。


「ま、そんな感じの人間?」

「とりあえず、あんた以上に屈折してそうだってことは分かったよ。やっぱ禄でもねえな」


 ――ちがう。ただ寂しい人間だったんだよ。

 そう胸の内で呟いてから、垂火は肺から細く息を吐き出した。


「たまに生きることにうんざりすることがあるよ。その時には正しいと、最良の選択だと思っても後から振り返ればそうじゃなかったと後悔してしまう。その繰り返しばっかだよ、ホント。だから俺は、もう後悔だけはしたくないんだ」


 達朗はしばらくじっとその言葉をかみ締めながら、聞こえるか聞こえないかのボリュームで、そんなの俺もだよ、と呟いた。







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