13. Fury
姉妹に『先生』と呼ばれるあの男が、闇の中からゆっくりと姿を現した。
短く刈り込んだ白髪の生え際から、赤黒い筋がいくつも伝い落ちている。
私が投げつけたファイルで切れたのか、その顔は乾きかけた血にまみれ、醜く歪んでいた。
淡々として、何を考えているのか読めなかったあの不気味さは微塵もなく、そこに残っているのは剥き出しの感情。
姉は、妹が突き飛ばされても、ランプを手にしたまま、その場にぺたりとしゃがみ込んでいる。
目の前で起きたことが理解できないのか、糸を切られた人形のように、虚ろな目を男に向けていた。
男は倒れた妹へと歩み寄ると、その淡い髪を無造作に掴み、力任せに顔を上向かせた。
「うっ……」
「手間をかけさせおって」
男は掴んだ髪を揺さぶりながら、低く吐き捨てた。
「魂の器を完成させるには、ただ容貌が似ているだけでは足りん。その魂を、狂おしいほどに思う——強い、強い思いがいる」
その言葉に、私はずっと感じていた違和感の答えを見た気がした。
なぜ、姉妹がここにいて、彼女たちがどんな役目を負っているのか。
「これまで、器にふさわしい人間を多く集めた。だが、どれも完成には至らなかった」
書斎で見た、あのファイルが脳裏をよぎる。
似た面影を持つ、幾人もの顔。あれは皆、器として試され、そして捨てられた者たちだったのか。
「だが、こいつが来たことで、ようやく最後の条件が揃った。足りなかったのは、器に魂を呼び戻すだけの、狂おしいほどの熱望だ」
こいつ、といったとき、男は私を指さした。
男は口角から泡を飛ばし、その目は、熱病に侵されたように濁っていた。
「お前たちは必要だ。……だが、それも、私に従う限りの話だ」
「やめて……」
妹の苦痛に歪む顔を見て、私は半ば無意識に男の背中に飛び掛かった。
「その子から手を離しなさい!」
しかし、振り向きざまに払われた腕にはじかれ、あっけなく尻餅をついてしまう。
男は妹から手を離すと、その濁った目が、ゆらりと私のほうへ向けられる。
「せっかく、ここまで馴染んだというのにな。この娘たちが、これほどの執着を見せたのはお前が初めてだ。もはや、完成は目前だった。だのに、私から逃げるとは、やはり、お前も失敗作だったか」
「やめて……。その人は失敗作なんかじゃない」
「なぜ邪魔をする。お前たちは、兄を取り戻したいのだろう!」
「……いいえ」
妹は男ではなく、私を見ていた。
「あなたは、器なんかじゃない。もう覚えてはいないでしょうけれど……あなたの仕草が、優しさが、どうしようもなく、お兄様に似ていた。だから、私は、私たちは——」
「——もういい。貴様らはこの場で、処分することにしよう」
妹の言葉は最後まで形にならなかったが、潤んだ瞳に滲んだものに、彼女の葛藤が見えた気がした。
兄を欲する気持ち、姉を思う気持ち……そして、私への——。
男は白衣の懐へと手を入れる。
抜き出されたその手には、メスのような鋭い刃物が握られ、その刃先が、不安定なランプの光を受けて冷たく光った。
「まずは貴様からだ」
男から後退りながら、何か武器になるものはないかと目で追うが、足元の暗闇が視界を妨げる。
「やめ……て」
掠れた声で、妹が私を庇うように男との間へ身を割り込ませようとするが、男は手にした刃物をぴたりとそちらへ向けた。
「お前たちはあとだ。そこで大人しく、『お兄様』の紛い物が始末されるのを見ていろ」
妹の身体が、強張って動きを止める。
背中が崩れかけた壁に触れた。
男の血にまみれた顔がすぐ目の前まで迫り、振り上げられた刃物が、まるで夢の中でもがいているかのようにゆっくりと感じられる。
次の瞬間。
どん、と鈍い音とともに、男の身体が大きく横へ吹き飛んだ。
「お姉様……!」
妹の悲鳴のような叫びが響く。
虚ろにしゃがみ込んでいたはずの姉が、いつのまにか立ち上がり、その両手を前へ突き出していた。
見開かれたその目には、爛々とした光が宿っている。
「お兄様に何をする!!」
闇を切り裂くような叫び声が、響き渡った。




