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空白の肖像  作者: 音鳴 凪


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13/14

13. Fury

 姉妹に『先生』と呼ばれるあの男が、闇の中からゆっくりと姿を現した。


 短く刈り込んだ白髪の生え際から、赤黒い筋がいくつも伝い落ちている。

 私が投げつけたファイルで切れたのか、その顔は乾きかけた血にまみれ、醜く歪んでいた。


 淡々として、何を考えているのか読めなかったあの不気味さは微塵もなく、そこに残っているのは剥き出しの感情。


 姉は、妹が突き飛ばされても、ランプを手にしたまま、その場にぺたりとしゃがみ込んでいる。

 目の前で起きたことが理解できないのか、糸を切られた人形のように、虚ろな目を男に向けていた。


 男は倒れた妹へと歩み寄ると、その淡い髪を無造作に掴み、力任せに顔を上向かせた。


「うっ……」


「手間をかけさせおって」


 男は掴んだ髪を揺さぶりながら、低く吐き捨てた。


「魂の器を完成させるには、ただ容貌が似ているだけでは足りん。その魂を、狂おしいほどに思う——強い、強い思いがいる」


 その言葉に、私はずっと感じていた違和感の答えを見た気がした。

 なぜ、姉妹がここにいて、彼女たちがどんな役目を負っているのか。


「これまで、器にふさわしい人間を多く集めた。だが、どれも完成には至らなかった」


 書斎で見た、あのファイルが脳裏をよぎる。

 似た面影を持つ、幾人もの顔。あれは皆、器として試され、そして捨てられた者たちだったのか。


「だが、こいつが来たことで、ようやく最後の条件が揃った。足りなかったのは、器に魂を呼び戻すだけの、狂おしいほどの熱望だ」


 こいつ、といったとき、男は私を指さした。

 男は口角から泡を飛ばし、その目は、熱病に侵されたように濁っていた。


「お前たちは必要だ。……だが、それも、私に従う限りの話だ」


「やめて……」


 妹の苦痛に歪む顔を見て、私は半ば無意識に男の背中に飛び掛かった。


「その子から手を離しなさい!」


 しかし、振り向きざまに払われた腕にはじかれ、あっけなく尻餅をついてしまう。


 男は妹から手を離すと、その濁った目が、ゆらりと私のほうへ向けられる。


「せっかく、ここまで馴染んだというのにな。この娘たちが、これほどの執着を見せたのはお前が初めてだ。もはや、完成は目前だった。だのに、私から逃げるとは、やはり、お前も失敗作だったか」


「やめて……。その人は失敗作なんかじゃない」


「なぜ邪魔をする。お前たちは、兄を取り戻したいのだろう!」


「……いいえ」


 妹は男ではなく、私を見ていた。


「あなたは、器なんかじゃない。もう覚えてはいないでしょうけれど……あなたの仕草が、優しさが、どうしようもなく、お兄様に似ていた。だから、私は、私たちは——」


「——もういい。貴様らはこの場で、処分することにしよう」


 妹の言葉は最後まで形にならなかったが、潤んだ瞳に滲んだものに、彼女の葛藤が見えた気がした。

 兄を欲する気持ち、姉を思う気持ち……そして、私への——。


 男は白衣の懐へと手を入れる。

 抜き出されたその手には、メスのような鋭い刃物が握られ、その刃先が、不安定なランプの光を受けて冷たく光った。


「まずは貴様からだ」


 男から後退りながら、何か武器になるものはないかと目で追うが、足元の暗闇が視界を妨げる。


「やめ……て」


 掠れた声で、妹が私を庇うように男との間へ身を割り込ませようとするが、男は手にした刃物をぴたりとそちらへ向けた。


「お前たちはあとだ。そこで大人しく、『お兄様』の紛い物が始末されるのを見ていろ」


 妹の身体が、強張って動きを止める。


 背中が崩れかけた壁に触れた。

 男の血にまみれた顔がすぐ目の前まで迫り、振り上げられた刃物が、まるで夢の中でもがいているかのようにゆっくりと感じられる。


 次の瞬間。


 どん、と鈍い音とともに、男の身体が大きく横へ吹き飛んだ。


「お姉様……!」


 妹の悲鳴のような叫びが響く。


 虚ろにしゃがみ込んでいたはずの姉が、いつのまにか立ち上がり、その両手を前へ突き出していた。


 見開かれたその目には、爛々とした光が宿っている。


「お兄様に何をする!!」


 闇を切り裂くような叫び声が、響き渡った。


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