ローテンドのワンド
ジェマが戻ると、ヒュプノスは思わずといった様子でガバッと立ち上がって駆け寄った。
「ジェマ、大丈夫? 泣かされてない?」
「おい」
ドルゲは苦笑いを浮かべてヒュプノスの後頭部にチョップを食らわせる。ヒュプノスは肩をすくめると、腕を広げてジェマをそっと抱き締めた。
「ヒュプノスさん?」
「ジェマ。私は力になれるかな?」
全てを見抜くようなヒュプノスの真っ直ぐな瞳。鏡を見ているような気分になる、ルビーとサファイアの瞳。ジェマはヒュプノスの肩に顔を埋めてみる。浅く息を吸って、深く息を吐き出す。もう一度ゆっくり息を吸うと、ヒュプノスが纏っている闇の涼しい香りがジェマの鼻をすぅっと抜けていった。
ヒュプノスはその大きな手でジェマの頭をそっと撫でる。その温もりにジェマはホッと息を吐いた。
「ヒュプノスさん、魔力操作、教えてください」
「それはもちろん。私の得意分野だからね。それだけで良いの? 他にも、なんでも良いんだよ? 闇属性魔法を使いこなしたいとか、この国の王になりたいとか、お兄ちゃんって呼びたいとか」
早口なヒュプノスの言葉にジェマがきょとんとすると、ジャスパーとドルゲは額に蹄や手を当てて首を横に振った。
「私利私欲に塗れているな」
「ああ、うちの契約者の本音がダダ洩れだ」
ジェマは冗談だと思ったのか、安心したように頷いて笑う。
「本当に、ヒュプノスさんは私の味方でいてくれるんですね」
「ん? ああ、なるほど」
ヒュプノスはドルゲにちらりを視線を向ける。ドルゲが目を逸らすと、小さく笑ってジェマの髪を撫でた。
「私は、世界で1番ジェマのことを愛していますよ」
真っ直ぐな言葉にジェマは何度か目を瞬かせる。そして、どこか照れ臭そうにへにゃりと笑った。
「えへへ、ありがとうございます」
「へぇ、あいつ、あんな顔もするんだな」
「ラルドもハナナも、あれくらい素直に言えばジェマも気が付くのにな」
「あいつらには無理だろ」
ドルゲとジャスパーのひそひそ話を聞くと、ヒュプノスはそっとジェマを抱き締めて自分の方へと引き寄せてさりげなく耳を塞ぐ。ジェマが首を傾げると、にこやかに微笑んで誤魔化した。
「どうしたんですか?」
「ふふ、なんでもないよ。ねえジェマ。教えてあげる代わりに、敬語は止めてくれないかな? その方が話しやすいからね」
楽し気に笑うヒュプノスに、ジェマは安心したように頷いた。不思議な気品があるヒュプノスの穏やかな笑み。ジェマの了承にヒュプノスは早速大きな手を差し出した。
「ジェマ、この手を握ってみてくれる?」
「うん」
ジェマが素直に手を握ると、ヒュプノスは瞼を閉じて静かに呼吸を繰り返す。何かドクドクと脈打つものが、ジェマの手に感じられる。ジェマもヒュプノスに倣って瞼を閉じると、感じる静かな揺らぎに意識を集中させる。
ただジッと、静かな時間が過ぎる。ドルゲの計らいで隣の部屋に移動した精霊と魔獣。モアレは楽し気にぽふぽふとその場を跳ねまわり、ジェットも楽し気に少ない陽向でぽかぽかと日向ぼっこを楽しんだ。ジャスパーはドアの方を気にしながらも、ソファにどっかり座ってジッと待っていた。
「心配性なくせに」
「だからどうした」
ドルゲは苦笑いを浮かべながら、ドアの方に目をやる。
「大丈夫だ。俺の契約者は、ジェマを傷つけることはしない」
「それは、分かっている。だが、絶対に知られないようにしなければいけない。ジェマの出自を」
ジャスパーの言葉にドルゲはため息を漏らした。
「それ、どうなんだろうな。ジェマは知りたいかもしれないぞ」
「どうだろうな。ジェマは実の両親のことなんか気にしたことはないぞ」
「それは気遣いじゃないのかな? 君や父親のために、ね」
ドルゲのどこか軽やかな口ぶりに、ジャスパーは目を逸らした。
「そんなことはない。ジェマの心と繋がっているから、分かる。ジェマは自分の出自よりも道具のことばかり考えているさ」
「考えすぎて、壊れかけてしまったけれどね」
ドルゲの言葉にジャスパーはため息を漏らして頭を掻いた。
「俺ではスレートの代わりになれないことくらい、分かっている。だが、それでも。俺はジェマを守ると決めている。だからヒュプノスが本当にジェマを守ってくれるなら、頼ることはやぶさかじゃない」
「いやいや、アイツ、ちゃんと第2王子だからな? それにアイツの魔法は誰も敵わないほどに強い。ジャスパーでも勝てるかどうか五分五分だろうな。もしもアイツがこの国の中枢を攻め落とす覚悟を決めたら、世界は変わるぞ」
真っ直ぐに見つめてくるドルゲに、ジャスパーは小さくため息を漏らした。
「本当にあのバカ王妃を引きずりおろせるなら、そうして欲しいもんだがな」
スレートが生きていたころ。スレートの力を欲した王妃が【チェリッシュ】を、スレートを狙い続けた。何度も襲撃を受けながらも、スレートはその手に堕ちることはなかった。不可解に死んでしまったけれど。
「ジェマのことを必ず守ると誓ったんだ」
ジャスパーの静かな重たい声に、ドルゲはゆるりと口角を上げた。




