4
ジェマは身体を起こして、辺りを見回す。見たことがある場所。近々来ようと思っていた場所。
「ヒュプノスさんの、お家?」
「そうだよ。私のお家だ」
ヒュプノスは一瞬目を見開いて息を飲んだ。けれどすぐに小さく笑って頷いた。お家、と言えば少々異なる。が、ジェマからすれば、ここはヒュプノスの叡智が詰まった興味の巣窟。どんな闇がこの地を巣食おうとも、その闇すらジェマの闇属性の魔力に飲み込まれるように霧散する。
「ジェマ。君が生きていてくれて、本当に良かった」
「そうですね。ヒュプノスさんのおかげで、私は助かりました。ありがとうございます」
「ふふ、うん。そうだね」
ヒュプノスは小さく笑う。どこか、寂し気に。生きていて良かった。その言葉は、ジェマが産まれたあの日から続く想い。同じ闇属性の王族だから。同じ不遇な扱いを受ける王族だから。それだけだった想いは、知れば知るほど、会ってしまえばもっと深く大きなものになった。
今ではただ、可愛い妹、そして互いに極めたい道の理解者として。ジェマが目の前で、触れられるところで笑っている。それが何よりも心を温めた。
「ヒュプノス」
ジャスパーが咎めるように言うと、ジェマが首を傾げる。ヒュプノスはジェマの不思議そうな瞬きに嬉しそうにその黒髪を撫でる。
「大丈夫。分かっているよ。今はまだ、その時じゃない。それよりもジェマ。過呼吸の原因、教えてくれるかな?」
ヒュプノスの問いに、ジェマがヒュッと息を飲む。視線が彷徨い、その場にいる全員の顔を見回す。思わずというようにジェマが伸ばした手は、誰でもなく、ドルゲの袖を摘まんだ。
「まず、ドルゲさんに、お話、しても良いですか?」
ジェマのいつになく不安げな顔に、ジャスパーとヒュプノスの眉間に皺が寄り、ドルゲに嫉妬の視線が刺さる。
「い、いやいや。俺よりジャスパーとか、契約者の方が良いだろ」
「だめ、ですか?」
ジェマが泣きそうな顔で見上げると、ドルゲはグッと言葉に詰まる。そして迷うようにジャスパーとヒュプノスに視線を向けると。ジャスパーもヒュプノスも、ジェマを泣かせたらただでは済まさない、とでも言いたげな笑みを浮かべていた。
「……俺で良ければ、聞いてやっても、良いぞ」
ドルゲは諦めて隣の部屋にジェマを連れていく。ジェットが不安げについて行きそうになるのを、ジャスパーが浮遊魔法で浮かせて引き留めた。
「今は、ジェマの意思を尊重してやれ」
「そうだね。ジェマが過呼吸になるくらい、何かを抱えている。それにジェマはまず、と言った。話の流れによっては私たちにも話してくれるということだろうから。一緒に待っていよう」
ジャスパーとヒュプノスに窘められて、ジェットは拗ねたように頷く。モアレは飛び跳ねながら我関せずという様子で魔力をたっぷりと含んだ魔石付与魔道具を眺める。お腹はいっぱいでも、本能的に魔力に引き寄せられてしまう。その様子に気が付いたヒュプノスは、影の中に魔石付与魔道具を収納してモアレから隠した。
一方、隣の部屋。ドルゲはどこか気まずそうにソファにジェマを座らせると、その隣に座った。
「で? 内緒話はなんだ?」
「私は、魔力の制御が下手なんです。今日、無意識にポーションに魔力を混ぜてしまって」
「いや、下手というか。まあ、あれだけバカみたいな量を溜め込んでいればあり得なくはないよな」
ドルゲは自身が発見したときに作業部屋に満ちていた魔力を思い出す。あれはまるで、ヒュプノスが自身の魔力の限界を試そうと周囲に魔力を放出する実験をしていたときと同じだけの緑色の魔力の輝きが溢れていた。
「そのポーションを飲んだ方に生命力を与えるだけのつもりが、全盛期の身体に作り替える薬になってしまったんです。私は、自分の作るものが、誰かを傷つけることになる可能性が、怖くて」
思わず深くため息が漏れる。ドルゲは天井を見上げるとジェマの頭をガシガシと撫でてやった。
「今気が付けたなら、それで良いだろ。まだ誰も死んでない。傷ついていない」
「でも……」
「過去は変えられないが、未来は変えられる。今気が付いたなら、契約者に相談すれば魔力操作についても教えてくれる。契約者は魔法の操作について研究していたことがあるからな。正確無比な遠距離狙撃を可能にするのはそのバカみたいな魔力操作だ」
ジェマは俯いて肩を震わせる。ドルゲはそんな様子にジェマの顔を覗き込んだ。
「なんだ? 言いたいことがあれば言ってみろ」
「わ、私は」
ジェマは言葉を選ぶように目を泳がせる。ドルゲはその額にデコピンを食らわせると、ニヤリと笑う。
「悩みがあるときは言葉を選ぶな。ただ思っていることを伝えられた方が気持ちが伝わりやすい。それに、俺はお前に気を遣われたくないからな」
「どうして、ですか?」
ジェマの迷子の子どものような瞳にドルゲは小さく笑う。その笑みはヒュプノスのものとよく似ていた。
「契約者の大事なやつだからな。俺とお前。同格の存在として認めてやる」
乱暴なようで、温もりのある言葉。ジェマは素直に頷いて、手をギュッと握りしめた。




